第36話 温泉の滝、龍穴

どれくらいの時間が経ったのだろう。

かなり経ったような気もするし、それほど経っていないような気もする。


「うぅ、もう飲めねぇ……」


私の足元で、トールがゴロンと横になった。

その様子を見て、私の横でオーディンが驚きの声を上げる。


「こりゃあ、たまげたな」


彼が驚くのも無理はないのかもしれない。

先程まで私を取り囲んでさんざん好き放題言っていた屈強な男たちは。

今は誰一人として立っていないのだから。


「まだジョッキ六杯目だけどもう死んだの? さんざん偉そうなこと言ったくせに、北欧の神って言ってもたいしたことないのねぇ」


私はそっと嘆息する。

私の足元には飲み比べに参加した男たちが全員横たわっていた。

死屍累々というやつだ。

店の中には、足の踏み場もないほど人が倒れている。


その様子を見て、天狗と小結がほぅと息を吐いた。


「言うて姉さん、三リットル以上飲んではりますよ?」


すると天狗が「違う」と補足する。


「六リットルだ。このグラス一つで一リットルの酒が注がれる」

「はえぇ、たいしたもんですねぇ」

「そんなに飲んでたの? ビールだといくらでも飲めちゃうから、そんなに飲んでるなんて思わなかったわ」


ケロリとしている私を見て、オーディンはかっかっかと豪快に笑った。


「大したもんだなぁ! ここまで飲める女はそう居ねぇ!」

「私が勝ったんだから、これで龍に口聞いてくれるのよね」

「おうよ! 約束は守るぜ」


威勢の良いオーディンの様子に、天狗が「良かったな」と言葉を漏らした。


「龍は気難しい。己れが頼んだだけで酒を譲ってくれるかは怪しかった」

「じゃあ渡りに船ってことね」


店を出た私たちは、北欧神話の街を抜け、龍穴へ向かった。

少し歩くと街の雰囲気は、再び温泉街のようなひなびた景色が戻ってきた。

北欧の街並みを模した作りは、あの一帯だけだったようだ。

そこまで広くないらしい。


落ち着いた街並みに入って、私はぐっと伸びをした。


「やっぱこっちの方が良いわね。落ち着くわ」

「あの街は元々俺たちが作り直した所だからな。お前らの肌には合わねぇよ」

「違いないわね。で、龍ってどこにいんの?」

「急くな。あの滝の根本よ」


オーディンが指さした先には、巨大な岩壁と、そこから流れる大きな滝が見えた。

あれが、宴の街の最深部なのだろうか。

滝の根本に龍穴はあるらしい。


滝までは結構距離があるように見えたが、穏やかな街並みを眺めながら歩けるのでそれほど距離は感じない。

提灯が優しい光を灯し、街を温かい光で照らし出す。

この優しい空間は、いつまで居ても飽きそうにない。


「毎度おおきに」


不意に近くの店から動物が爪楊枝を口に咥えながら出てきた。

気になって店の中を覗いてみる。

服を来た動物の姿が多数見えた。


よく見るとこの辺はあまり妖怪の姿はない。

座っているのは動物ばかりだ。


「ここらへんは動物が多いのね。見たことないのも居るけど」

「あれは神獣だ」

「神獣?」


天狗の言葉に私は首を傾げた。

天狗は頷く。


「麒麟に龍、朱雀に玄武、そうした神と同等の力を持つ獣達が、このあたりには集っている」

「ふーん、いよいよらしくなってきたってわけか」


緩やかな勾配の坂を下ると、先ほどまでは遠巻きに見えた岩壁が近づいて来る。

遠巻きに見ても大きかったが、近づくとその迫力は一層増して見えた。

普通に生活していたら、この規模の壁にはまず出会えない。

首を直角に曲げてようやく壁の切れ目が見えるくらいだ。


「すご……。こんな場所もあるのね」

「あたいもここまで来るのは初めてです」

「本当に広い街ね。油断するとすぐ迷いそう」


私と小結が呆けていると、天狗が腕組みした。


「感心するのは尚早だな。この上にもまだ街は続いている」

「はぁっ?」


天狗の言葉に私は驚いて目を見開いた。


「こんな高いところにも街があるって言うの? 大体、どうやって登るのよ!」


すると天狗とオーディンが何やら訳知り顔でお互いの顔をふふんと見合った。

少し得意気なのが腹立たしい。


「なぁに、洞窟の中を通ればすぐよ」

「洞窟の中に階段がある。そこを昇れば、じきに上につく」

「じきにって、この高さでしょ? ちょっとした山登りじゃない」

「人にはちょっと辛いだろうな」

「天狗だって同じでしょ。あんたも二足歩行でしょうが。羽もないし」

「己れは風を使う。今日はお前たちに合わせているだけだ」

「ズル……」


思わず唇を尖らせる。

よくよく考えたら、この街は色々な種族が来るのを前提としているのだ。


入り口の巨大な鳥居を思い出す。

もしかしたらまだ見てないだけで、ダイダラボッチやら巨人やら、規格外の巨大生物がいるのかもしれない。


「巨人と飲み比べしても勝てるかしら……」

「何をぶつぶつ言っている。見えたぞ」

「へっ?」


天狗の言葉に思わず間抜けな顔で前に視線をやった。

すると、岸壁をくり抜いたかのような巨大な洞窟の入り口が見えてきた。

すぐ横には巨大な滝が流れており、洞窟はちょうど滝の裏側に存在している。

近寄らねば見えないわけだ。


壮大な情景に感心しながら滝裏の道へ入った。

道幅がかなりあるので落ちる心配はない。

手すりもしっかりと設けられていた。


思わず感嘆のため息を漏らす。

ものすごい作り込みだ。

あまりに広大すぎて一日で回るのはとても不可能だろう。


手すりから身を乗り出して下の方を眺めている。

どうやらこの滝は大きな湖に流れているらしい。

熱気があり、湯気が立ち上っていることからこの滝がお湯なのだと気づく。


「温泉で出来た滝かぁ。あーあ、温泉も入ってみたかったなぁ」


私がそっとため息を漏らしていると、いつの間にか天狗が背後に立っていた。

どうやら私が落ちないよう見張りに来たらしい。


「温泉なら湖沿いにちょうど風呂屋がいくつかある」

「あら、時間あったら入ろうかしら」


すると慌てたように小結が私の服を引っ張った。


「トモ姉さん、酒入ったままお風呂入ったら危ないですよ!」

「いいじゃん、ケチ」

「おいお前ら! そんなとこで何ぐずぐずしてんだ! さっさと中に入ろうぜ」


洞窟の入り口でオーディンが声を張る。


「分かってるわよ! ったく……神のくせにうるさい男ね」

「貴様そっくりだな」

「どこがよ!」


下らないことを話しながら、オーディンに誘われ私たちは洞窟の中へと足を踏み入れた。


そこで広がっていた情景に、私はそっと息を飲む。

広がっていたのは、龍たちによる活気ある店の数々と、配られる食物、酒。

その情景は、どう見ても中華街だった

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