第35話 神殺しの女

 シンと静まり返って、店の客たちが私たちの様子を眺めている。

 その様子だけでも、目の前の男が只者ではないことが見て取れた。


「この男がオーディン?」


 オーディンって確か北欧神話の神様の名前だった気がする。

 私でも知ってる有名人だ。


「オーディンなんて私、ゲームくらいでしか見たことないわよ」

「こう見えても俺ぁ北欧の神の中でも最強よ」

「へぇ? こっちのトールの方が全然強そうに見えるけど」


 私が言うとトールは「がははは!」と笑った。


「恐れ多いな姉ちゃん! 親父に比べれば俺なんぞまだまだよ!」


 敬っているのか喜んでいるのかいまいち判別出来ない。

 と言うか、親父って何だ。


「あんたたち親子なの? とてもそうは見えないけど。っていうか、トールの方がよっぽど父親っぽい見た目してんじゃん」

「本当の親子じゃない! 仮のだ! 戦士のルールのようなものだな!」

「あぁっ? どういうこと?」


 意味がわからず首を傾げていると、天狗が口を開いた。


「オーディンの立場を絶対神として高めるため、トールは自ら息子としての地位を得たのだ」

「ふぅん? 部下にすると角が立つから家族にしちゃったってこと?」


 どうやら色々と複雑らしい。

 神様の世界考え方というものだろうか。

 私にはよくわからない世界だ。


 考えていると、トールはお構いなしに隣の椅子をバンと叩く。


「親父ぃ! せっかく来たんだ! ちょいと座って飲んでいけよ!」

「あぁ。こんな面白そうな会合に参加しないってのは無粋ってもんよ。おうお前らも飲め飲め!」


 オーディンが号令をかけると、店内が一層騒がしさを取り戻す。

 かなり統率されている。

 彼が北欧の神々の中で最強というのは、本当の話なのだろう。


 賑わいを取り戻した店内を見渡し、オーディンはどこか満足気にカッカッカと笑いながらトールの隣りに座った。

 どうでも良いがこいつら、笑い方の癖が強いな。


 オーディンとトールはどちらもタイプの違う巨漢だった。

 トールはボサボサの髭をはやし、丸々と太ったパワータイプの海賊。

 一方で、オーディンは若々しくたくましい戦士という印象だ。


 どちらも身長はかなり大きく、人間の男を遥かに凌駕している。

 二メートルから、三メートル近くはありそうだ。

 二人して並ぶとテーブルが半分余裕で埋まってしまう。


 天狗も大きいが、こうして見るとオーディンやトールの方が天狗より一際ごつく見えた。

 天狗も合わせれば、大男三人が勢ぞろいだ。

 私と小結など、ちょっと油断すればすぐに潰されてしまいそうにも見える。


 トールの横に座ったオーディンは、運ばれてきたビールを一気飲みすると、美味そうに声を上げた。

 すぐに二杯目を注文し、息を吐いて鋭い視線を私たちに寄せる。


「それで、お前らはどうしてここに来たんだ?」

「龍穴に向かってた時にたまたま寄っただけだ」

「龍穴? なぜだ?」


 天狗が答えると、オーディンは首を傾げた。

 肩をすくめる天狗の代わりに、私が答えることにする。


「飲み比べよ。龍ってすっごくお酒強いんでしょ? だから潰してやろうかと思ったの」


 するとオーディンとトールは一瞬きょとんとして顔を見合わせた後。

 やがて、豪快な笑い声を上げた。

 嘲笑している風ではなかった。

 むしろ嬉しそうだ。


「恐れ知らずな娘だな。詳しく話してみろ」

「じゃ、飲みながら話しましょ」


 私は酒の肴がてら、これまでの道中を軽く話した。

 私の話を聞いたオーディンとトールは、時に嬉しそうに笑ったり、ハイタッチしたりしている。

 オーバーなリアクションが小気味良い。


「中々面白い旅路をしているな。お前は今宵の酒に招かれているというわけか」

「何よ、酒に招かれるって」

「俺たちの間ではそう言われている。飲んでも酔わない奴は、酒が酔わせようとしてどんどん酒のある方へと誘うんだ」


 その話は、何となく分からないでもない。

 下らない飲み会だと、普通は最終的にカラオケで歌って終わりになるのが関の山だ。

 でも、酒が強い奴だけが集まると、時にもっと酒を求めて、強い酒が集まる場所に向かうことがある。


 酒にどんどん招かれ、強い酒を飲まされるようになる。

 ここでオーディンが言っているのは、そうした飲みの話なのだろう。

 そして、そうした飲み会は、大抵誰かが潰れたのをきっかけにお開きになる。


「酒に誘われて、それでも潰れなければどうなるのかしらね」

「さぁな」


 オーディンは肩をすくめた。

 その姿を見てトールがまたもや豪快に笑う。


「俺らもそこまではたどり着いたことがねぇ! 何せ途中で酔いつぶれて死んじまうからなぁ!」

「自慢して言うことでもないじゃない」

「違いねぇ!」


 どうにも調子が狂うな。

 まぁ、だからこそ話しやすいと言うのもあるが。


 酒の深層か……。

 私も、多分コウヘイだって、まだそこまでたどり着いたことはないだろう。

 こうして、酒が何万種類と満ち溢れた場所で、夜通し飲み歩いて、酒豪たちに囲まれて。

 どんどん、どんどん奥へと進んでいく。

 そんな場所でなければ、酒の深層へはたどり着けない気がした。


「龍なら行ったことあるかしら。酒が招く最終地点へ」


 私が呟くと、オーディンは「かもな」とビールを口に運びながら頷いた。


「だが気性の荒い連中よ。ああ見えてへそを曲げれば簡単に竜巻なんぞ起こしてくる」

「竜巻……」


 小結が私の隣でぶるりと体を震わせた。

 するとトールが「安心しろ子狐!」と豪快に小結の背中を叩く。

 叩かれた小結は思わずむせていた。


「この街では誰も力は使えねぇ! 喧嘩は起きねぇんだ!」

「ど、どうしてですか……?

「そういう風になってるから、でしょ?」


 私の言葉にトールは「おうよ!」と頷いた。


「この街では争いは起きねえ! たとえかつて殺し合った一族であれ、ここでは平穏無事に飲むことが出来る」

「それって何で? 街の力?」

「深くはわからねぇな」


 オーディンが答えた。


「だが、危険分子はこの街に入れないと言われている。殺し合いをするような奴らは、街には招かれない」

「誰が選定してるの?」

「知らねぇよ。この街のことは、俺らですらわからないことが多い」


 オーディンはそっと肩をすくめると、不意に顎に手を当てて何やら考え始めた。


「龍か……」

「なにか知ってるの?」

「何、すこし因縁があってな。どうしてるかと思っただけだ」

「親父は昔、龍と喧嘩したことがあるからなぁ!」

「でも龍って竜巻を起こすんでしょ?」

「そんな物屁でもねぇ。俺たちの世界にはよくあることよ」

「今では龍の中にも知り合いがいてな! この街では時折酒をもらうんだ」

「へー、仲良いんだ」


 どうにもスケールの大きな話だ。

 オーディンはしばし考えた後、やがて口を開いた。


「せっかくの機会だから、行ってみるのも悪くはないな」

「口聞いてくれるってこと?」


 思わぬ言葉に、私は机に身を乗り出す。

 そんな私を、オーディンはそっと手で制した。


「ひとつ条件がある」

「条件?」


 オーディンはニヤリと笑った。


「ここにいる奴らとも飲み比べをしてもらう」

「はっ!? 何で?」

「小娘が酒の深層に辿り着くにはまだ早ぇからな。試練ってやつだ」


 オーディンはニヤリと笑みを浮かべて立ち上がると、ドンと地面を強く踏み鳴らした。

 すると店の男たちが一斉にこちらに視線を寄せる。


「おいお前ら! この娘と飲み比べをする気概のある奴はいるか!」


 オーディンが声を上げると、店内にいる屈強な男たちが一斉に立ち上がった。

 地響きのような歓声が、店内に響き渡る。

 ビリビリと窓が揺れ、隣に座る小結が萎縮するように身を縮めた。


「この小さな娘が俺たちと飲めるのか!?」

「オーディンよ、冗談も大概にしてくれ!」

「勝負にすらならんだろう!」


 屈強な男たちは、私を囲んだまま好き放題言ってくれる。


「トモ姉さん、あたい心配です」

「おい、大丈夫なのか?」


 そんな私を見て、心配そうに小結と天狗が声を掛けてきた。

 私の対面では、トールやオーディンがニヤついた顔で私の様子を探っている。


「親父! 俺ももちろん参加するぜぇ!」

「どうする? 逃げ出すなら今のうちだ」


 私は腕組みすると、コキリと首を鳴らした。


「何かさ、無性に楽しみになってきたわ」


 思えば、ここまで酒で馬鹿にされるのは初めての経験だ。

 だけどそれが、今は私の胸を弾ませる。

 挑戦される側だったのが、挑戦する側になる感覚に近いのかもしれない。


 私はそっと、近くのウェイトレスに声をかけた。


「お姉さん、悪いけどこいつらと私にビールをジョッキで10杯ずつお願い」


 私は不敵な笑みで、男たちを睨み返す。


「悪いけど、全員死んでもらうから」

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