第28話 脳髄に響く味
「いつまで見とるんじゃ、行くぞ」
美しい情景に見惚れていると、座敷わらしはまっすぐ道を歩き始めた。
僕は手すりに手を乗せ、街を眺めながら彼女の横を歩く。
僕と座敷わらしの間にはタマもいた。
「こんな良い景色の中で酒を飲むとさぞかし美味いでしょうね」
「うちの酒だと尚更美味いでな」
しばらく歩くと徐々に街の入り口が近づいてきた。
来た時に見た、あの妙に大きな鳥居だ。
いま僕たちがいるのは、鳥居の貫と同じ高さらしい。
改めて、あの鳥居がいかに大きいかを実感する。
すると近くにある下り階段を座敷わらしが顎で指した。
「そこの階段を下りると入り口まですぐ戻れるぞ」
「案外近いんだ……」
そこでふと、周囲の様子に目が行った。
キョロキョロし始めた僕に「どうした?」と座敷わらしが尋ねてくる。
「いや、この辺り入り口が近いのに全然人いないなって」
歩いてきた道を見ても、誰も歩いている様子はない。
出店がある一帯までは賑やかだったのに。
店と共に、途端に人が消えた感じだ。
「ここらへんはまだほとんど店が出されとらんのじゃ。酒を飲むのに、わざわざ長い階段を上ろうだなんて思わんからな」
確かに言われてみると、辺りの建物には光が灯っていない。
下の建物にはたくさんの提灯が灯されていることを考えると、灯りのない建物は誰も使っていない空き家なのだろう。
そこで初めて、この街はまだ発展途上なのだと気づいた。
「もう街が開いて随分時間が経ったな。こんなところをわざわざ出歩く奴もおらんじゃろ」
「僕たち以外は……ですか」
「そういうことじゃ」
座敷わらしはどこか不敵な笑みを浮かべる。
この街でお店を巡って飲み歩く人は案外少ない。
大体が、一つ処で腰を据えて飲んでいる印象だ。
時間が経つと、それはより顕著になるのだと思われた。
階段沿いの道から、建物がひしめく狭い通路へ入る。
ここら辺は、まるでゴーストタウンだ。
しかしながら、怖さや不気味さはなかった。
宴の街の独特な雰囲気が、居心地の良さを与えてくれる。
入り組んだ道を進むと、奥深くに二階建ての小さな建物が見えた。
ここだけ
「ここがうちの店じゃ」
こんな入り組んだ場所にあるのか。
誰も気づかないわけだ。
店主も基本いないのなら、まず誰も足を運ばないだろう。
暖簾をくぐって中に入ると、座敷わらしが中の提燈に灯りを灯してくれる。
思わず、あっと息を呑んだ。
机と言う机。
棚と言う棚に。
見たこともない量の酒が置かれている。
ワイン、焼酎、リキュール、古酒、日本酒、スピリタス、ウイスキー……。
量だけじゃない。
種類も様々だ。
奥には流しがあり、そこから水がチョロチョロと流れ出ていた。
氷水が流しに張られ、割り物が冷やされている。
かなり用意周到だ。
「すごい量のお酒ですね」
「美味いと思ったものは全部模して作った」
「つまり全部自作ってことですか?」
とんでもない話だ。
思わず目を丸くする。
座敷わらしは僕のリアクションに満足したのか、フフンと得意気に腕を組んだ。
「まぁ、完全な再現ではないがな。近い味のものを造っとるだけじゃ」
一体どれだけの味覚と知識と技術を持てばそんなことが出来るんだ。
文字通り、人間業じゃない。
何百年と生きているからこそ出来ることだろう。
お酒の神様と言われても仕方がない気がする。
「なんでこんなにたくさんお酒を?」
一つの酒を造るのにも相当手間がかかるはずだ。
ただ美味しいお酒を飲みたいだけであれば、自分で作る必要はない。
その店にもう一度行けば良いのだ。
でも彼女はそれをしない。
わざわざ飲んだ酒を自分で造り、店に飾る。
確かにすごいが、見方を変えれば悪趣味だ。
酒造の腕自慢と捉えられても不思議ではない。
でも、それは彼女らしくない気がした。
座敷わらしと話したのはまだわずかだが。
少なくとも、彼女は酒に対して誠実な人に見える。
そして、酒を造る人に対しても、敬意を抱いているのは確かだ。
「わしはただ、自分の飲みたい酒を誰にも邪魔されずに飲みたいんじゃ」
つまり自慢ではなく、自分で楽しむために造ったのか。
この街で酒を扱う者は、皆が皆、人に酒を飲ませたがると思っていた。
意外だ。
「二階に行くぞ。ここでは落ち着いて飲めん」
「そう言えば、椅子が一つもありませんね」
棚や机はいくつもあるが、酒が置かれているばかりで飲むスペースがない。
「一階は倉庫みたいなもんじゃ。飲むのは二階でええ」
座敷わらしは一本、棚に置いてある大きな酒瓶を手に抱え「こっちじゃ」とカウンター横にある階段を上った。
黒い漆に塗られた、かなり段差が急な階段だ。
古い民家がこんな感じだった気がする。
手をつきながらよじ登るように階段を上がると。
畳が敷かれた和式の部屋へと繋がっていた。
コタツ机とコップを置く棚があるだけ、殺風景な部屋。
奥に窓があり、木で出来た窓枠からは街と大きな満月を眺めることが出来た。
座敷わらしは持ってきた酒を机に置くと窓を開ける。
爽やかな風が部屋に優しく吹き込んだ。
「めちゃくちゃ景色良いですね」
「眺めが良い家を選んだからな。窓に座ってよく酒を飲みよる」
「気持ちよく酔えそうだなぁ」
座敷わらしは陶器の器を二つ取り出す。
「まずは一杯やろうではないか」
座敷わらしの声に答えるように「にゃあ」とタマが鳴く。
いつの間にか机の下に陣取っていた。
座敷わらしは微笑むと、そっと酒の栓を抜く。
ポンっと栓の抜ける心地よい音が響いた。
ビンを傾け、器が透明な液体に満たされていく。
提燈の光が反射し、憂いの色彩を帯びて水面が揺らめいた。
「あれ?」
匂いを嗅いで、妙な既視感を覚えた。
以前にも嗅いだことある香りだ。
「気付いたか。味をみてみい」
「じゃあ、いただきます」
軽い乾杯を交わし、僕は酒をゆっくりと口に運んだ。
息吹が颯爽と、風のように抜ける。
凝縮した旨味が広がり、飲み込むと指の隙間から砂が溢れるようにサラサラと消えた。
「これは、弁天さんの……?」
僕の言葉に座敷わらしは頷いた。
「弁財天の酒の模造酒じゃ。弁財天から酒をもらったと言っておったじゃろ。これを飲んだんじゃないかと思うてな」
「予想以上にすごいですね……」
そこでふと疑問を抱いた。
「模造酒と言うことは、過去に飲んだことがあるんですか?」
「あたりまえじゃ。知らん味を作れる訳がない」
「じゃあ弁天さんとはお知り合いで?」
しかし座敷わらしは首を振った。
「もう忘れとるじゃろ。飲んだのは何年も前に、一度だけじゃからな」
「たった一度飲んだだけで味を再現したんですか……?」
「良い酒は脳髄まで響く。忘れようとしても、舌が忘れん」
「どうして今日この酒を……?」
「何となくな。弁財天の話を聞いて、この酒を飲みたくなった」
彼女にとって、酒と記憶は繋がっているのかもしれない。
座敷わらしは器に入った酒をゆっくりと飲み。
僕もそれに倣った。
脳髄に響く味。
その一片一片を味わうように、僕はお酒を口に運んだ。
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