第7話 天狗は不味い酒を飲む

 男は月を背景に、高くたたずんでいた。

 見たこともない意匠の和服を着ており、靴ではなく高下駄を履いていてますます大きく見える。


 見上げなければその顔を確認することはできない。

 鼻が奇妙に高く、長い。

 それはよく見ると天狗の面だった。


「何をやっている」


 妙な威圧感のある、くぐもった声。

 僕は少し体を引きながら答えた。


「あ、実はちょっと道に迷ってしまって。仕方ないので酒盛りを」

「何故道に迷ったら酒盛りなどするのだ」


 至極まっとうなツッコミだ。

 僕も自分で言ってる意味は全くわかっていない。

 完全に混乱していた。


「どいつもこいつもうっさいわね。仕方ないでしょうが!」


 背後で非常に不機嫌な声を先輩が出している。

 怖いもの知らずかこの人は。

 全く怯む様子がない。


 目の前の男が普通ではないことくらい分かっているはずだ。

 それでも一度キレたこの人の前では、そんなこと関係ないらしい。


「貴様は道に迷ったら酒を盛るのか」

「道が分からないから飲むしかないでしょ! そう言うの自棄酒って言うのよ!」

「そうか……」


 俄然強気の先輩に、さすがの男も面食らったらしい。

 しばし重い沈黙が立ちこめた。

 このままでは拉致があかない。

 僕はそっとため息を吐いて、事情を話す。


「実は人を探していたんです」

「人?」


 僕は頷く。


「お酒を飲む特別なの集いがあるらしくて。それで、どこなのかと探しているうちに道に迷ってしまったんですよ」

「結果、自棄酒してるというわけか」


 男が納得したように首肯した。

 ようやく話が通じてホッとする。


「まぁ、飲んでるのはこの人だけですよ。僕は飲んでません」

「聞き捨てならないわね。今からあんたも飲ませるつもりだったのよ」


「流石にこんな場所で飲む気ありませんよ」

「目上の勧める酒が飲めないって言うの?」


「先輩の勧める酒はご遠慮願いたいです」

「貴様ぁ……」


 僕と先輩が睨み合っていると、男は不意に腕組みした。


「日本酒を飲んでいるのか」


 男が先輩の手にしている日本酒を覗き込む。

 興味があるのだろうか。

 でかい図体の男が迫るのはなかなかに迫力があった。

 しかし先輩は身じろぎ一つしない。


「何? 飲みたいの?」

「ああ。一口飲ませてくれ。味が気になる」


 思わぬ言葉に、僕と先輩は目を合わせた。


「ふぅん? そこまで言うなら仕方ないわね」


 先輩は心なしか嬉しそうな顔で鞄から紙コップを取り出す。

 コップ半分まで酒を注いだところで、ズイと男に手渡した。


「ほら、飲みなさいよ」

「感謝する」


 男は酒を受け取ると、おもむろに面を少しずらして一気に口に運ぶ。

 かなり豪快な飲み方だ。

 そのまま味わうように口の中で転がし、ゴクリと音を鳴らして飲みこんだ。


「良い飲みっぷりねぇ」


 先輩が腕を組んで唸る。

 確かに、見てて清々しい飲みっぷりだった。

 しかし僕たちのリアクションとは裏腹に、男はガックリと肩を落とす。


「不味いな」

「……褒めて損したわ」

「何故こんな不味い酒を持っている」

「私の財力だとそれが精一杯だったのよって言わせんな殺すわよ」


 先輩が男をギロリと睨むのが何だかおかしくて、僕は少し笑った。

 鋭い視線が男から僕にスライドする。


「何笑ってんのよ、コウヘイ」

「いや、馬鹿馬鹿しい会話してるなって」

「誰が馬鹿よ。ぶちのめすわよ」


 物騒な物言いだ。

 僕は無理やり笑顔を引っ込めた。


「で、私の不味い酒を飲んだから聞くけど、ここら辺で宴を開いてる場所を知らない?」

「あぁ、知っている」

「えっ!?」


 思わず二人して声を上げた。


「来い。不味い酒の礼に案内してやろう」


 一見淡々とした口調に聞こえる。

 しかし、微妙に先輩をからかっているのがわかった。

 意外と人間味溢れる人なのかもしれない。


 ただ先輩はその意図に気付かず、「そんなに不味いかしら」と真顔で首を傾げていた。


「貴様らは面白いな。共に酒を飲み交わしてみたい。不味い酒でなく、美味い酒でな」

「不味い不味い言うんじゃないわよ。段々ムカついてきたわ」


 先輩は顔をしかめると、ビンに蓋をしてリュックに突っ込んだ。


「じゃあさっさと行くわよ。えぇと……」


 先輩は眉間にしわを寄せる。


「あんた……名前なんだっけ」

「先輩、まだ聞いてませんよ」

「そだっけ?」


 きょとんとする先輩に、不意に声が響く。


「天狗」


 男は確かにそういった。

 その言葉に、二人して「はっ?」と声を出す。


「天狗だ。皆からはそう言われている」


 くぐもった声で、男はそう言った。


 天狗。

 先輩と同じあだ名。

 この人もまた、酒豪なのだろうか。

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