第8話 たどり着いたのは酒の街

 巨大な男の背中に導かれ、Y字路を右へ右へと歩いていく。

 やってる事は先輩と変わらないが、妙な安心感があった。

 先輩と歩いている時とは雲泥の差だ。

 

「コウヘイ、何か失礼なこと考えてない?」

「……気のせいじゃないですか」


 先輩の執拗な視線から僕は顔を逸らす。

 先輩は「まぁ良いけど……」と天狗の方を向いた。

 

「それにしてもあんた、天狗だなんて変なあだ名ね」

れには名前がないからな」

「名前がない?」


 先輩が眉を潜める。

 天狗は特に気にする様子もなく続けた。


「生まれた時から天狗と呼ばれるようになるまで、名前はなかった」

「何それ。変なの」


 変な話ではあったが、どこか当たり前に受け入れてしまうのは、この異質な空間のせいだろうか。


「この場所は一体何? どう考えても普通じゃないんだけど」

「己れには分からん。知っているのは、宴が開かれる時期と、そこまでの道のりだけだ」

「それほぼ知らないと同義じゃない」


 先輩は呆れたように肩をすくめた。


 しばらくY字路を曲がり続けると、やがて真っ直ぐ進む道にたどり着いた。

 随分長い直線だ。

 一体どういう構造になっているのか、まるでわからない。


「天狗さんは、宴の関係者か何かなんですか?」

「天狗でいい。貴様たちと変わらん。ただの招かれた客だ。違うのは、何度も足を運んでいることだけだ」

「常連客って訳ですか……」


 年中行事のようなものなのだろうか。

 定期的に開かれる酒の宴。

 その場所に行くにはこの道を通らねばならない。

 ただ、この道を誰が作ったのかは誰も知らない。

 そんな場所を、僕たちは歩いている。


 奇妙なことだな、と思った。

 ただ、一つ言えることがある。


「先輩」

「何よ」

「天狗ってあだ名の人がいるなら、弁天さんもそこに居そうですね」

「可能性は高いわね。日本の古来の妖怪や神様のあだ名で呼び合う宴の席。面白い趣向だわ」


 と、不意に天狗がこちらを振り向く。


「貴様らの探し人は弁天と言う名なのか?」

「はい。僕たち、さっきまで賀茂川のほとりで一緒にお酒を飲ん出たんです」

「高そうなぐい呑みを忘れてたから届けに来たのよ」


 それを聞いた天狗は頷くと「そうか」と頷いた。


「弁天のこと知ってんの? 知ってんなら教えてよ」

「すぐに分かる」


 答えになっていない返答。

 僕と先輩は顔を見合わせて首を捻った。


 すると、不意に天狗が立ち止まった。

 予期していなかったので、思いきりぶつかってしまう。


「すいません、全然前を見てなくて……」


 と、そこで鳥居のトンネルが終わっている事に気がついた。

 僕は天狗の脇から前を覗き見る。


 息を呑んだ。


 提灯から漏れるオレンジ色の灯り。

 先ほどとは根本的にスケールが違う巨大な鳥居。

 何処からか聞こえるお囃子の音と、緩やかな水のせせらぎ。


 そこに、街があった。


 ○


 現代の街とは思えない、まるで祭りと温泉街が一体化したような、独特な街。


 街の入り口となる鳥居は、一体何メートルあるのだろう。

 巨大な鳥居といえば平安神宮へいあんじんぐうの鳥居が有名だ。

 だが、ここにあるものはそれよりも遥かにサイズが大きい。

 こんなものが京都にあれば、すぐに話題になっていることだろう。


 そうなっていないということは、ここはもう京都ではないどこかという訳で。

 僕は初めてそこで、自分が異界に来たのだと本格的に悟った。

 予感していたものが、革新に変わった感じだ。


 鳥居の向こう側には大きな広場があり、その更に奥に一本の大きな川と、両端に伸びる二本の道が目に入る。

 川を跨ぐように小橋がかけられおり、その情景は賀茂川を連想させた。


 橋の下からは湯気が立ち昇っている。

 ということは、流れているのは水ではなく、温泉だろうか。


 川沿いの道の脇には小さな建物がいくつも並び。

 店先にはそれぞれ小さく看板がかけられている。

 所々に提燈ちょうちんが吊るされ、街を温かみのある光で照らしていた。


 懐かしさを感じさせる街だった。


「何ここ……」

「すごく綺麗だ……」

「年に数回だけ開かれる、酒の宴の街だ」


 天狗は奥へと進み、僕らも続く。

 先輩は僕のすぐ横で、キョロキョロと辺りを見渡す。


「まるで温泉街だわ……」

「ごちゃっとしていて、建物の装飾も独特で、古びた建物も味ありますね」

「先輩、こういう場所好きでしょ」

「ド刺さりよ」


 この街並みは、風情を重んじる先輩からしたらたまらないだろうな。

 彼女の目は、まるで子供みたいに輝やいていた。


 天狗の下駄の音がカラン、カランと響く。


 不意に、道の向こう側から誰か歩いて来て、僕と先輩は視線を向ける。

 そこでギョッとした。


 袴をはいた人型のキツネがこちらを見ていた。

 面をかぶっている天狗とは違う。

 服を着て歩いている正真正銘のキツネだ。


 絵画や漫画でしか見たことのない面妖なキツネに、思わず絶句する。

 一瞬身構えたが、どうやら敵意はないらしい。

 キツネは通り過ぎ際、こちらに軽く頭を下げ一礼をした。

 釣られて僕と先輩も頭を下げ、そのまますれ違う。


「ここでは様々な奴がいる。そういう場所だからな」


 察したのか、天狗が言った。

 よくよく辺りを見渡すと、街を歩いているのは人外――異形ばかりだ。

 二足歩行こそしているが、皆、妖怪のようにも、獣のようにも見える姿をしている。


 たまに人の姿も見かけるが、ここにいる以上、本当に人かどうか判別はつかない。


「すごい光景ね」

「先輩、怖くはないですか?」

「意外と大丈夫。さっきのはさすがにビックリしたけど」

「僕もです」


 自分でも不思議なくらい、すんなりこの状況を受け入れられている。

 この街の穏やかな雰囲気と、すれ違う誰からも敵意を感じない為だろうか。


 この街にきてまだそれほど経っていない。

 それなのに、お互いが存在を認めあっており、ここに居るのが当然だと言わんばかりなのが分かった。

 居心地の良さすら感じる。


 広場から左側の道に入る。

 暖簾は掛かっているものの、建物には基本的に戸がない。

 殆どの店は開放され、外から中の様子がよく見えた。


 看板や店の内部を観察して分かったが、ここに建っている施設は全て酒場になっているらしい。

 様々な妖怪や異形たちが酒を飲み、楽しそうに談笑していた。


 年に数回しか宴が行われないのに、店にはちゃんと店員がいる。

 一体どうやって生計を立てているのだろう。

 短期バイトかもしれない。


 少し進んでから、脇道へと入った。

 道を進むと小さな赤い橋。


 橋の下を覗いてみると、ここにも小さな細い川が流れていた。

 川の水からは例の如く湯気が上がっている。やはり温泉だろう。

 ただ、温泉にありがちな硫黄臭さは全くない。

 そのまま眠ってしまいそうなくらい心地よい水の香りがした。


「こっちだ」


 橋の下を眺めていた僕と先輩に天狗が声をかけてきた。

 彼は橋を渡ったところにある、更に狭い道に入っていく。


 ここの道は店と店の間を縫うように走っているので、まるで迷路だ。

 置いて行かれたら合流出来る気がしない。

 慌てて後を追いかけると、奥にある小さな店に天狗が入って行くのが見えた。


 カウンターがあり、机がいくつか置かれている店だ。

 中で数人が談笑しているのが外から見える。


 店の入り口には看板が立てかけられていた。

 手彫りらしく、書かれた文字は少し歪だった。


「『七福天しちふくてん』ですって。変わった名前の店ね」


 先輩は看板を見てまじまじと言った。


「とりあえず入りますか」


 店の中には六人の客がいた。

 老人が二人、中年の男性が二人、若い男性が二人。

 楽しそうにお酒を飲んでいる。


 カウンターの所で天狗が店主らしき女性と会話しているのが目に入った。

 天狗がこちらに気付き、指をさす。

 すると店主の女性がこちらを振り向いた。

 彼女は僕らを視認して、慌ててカウンターから出てくる


「あなた達、どうしてここに?」


 弁天さんは目をぱちくりさせていた。

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