第6章 宴は終わり、そして月は沈む

第40話 決戦へ

「コウじゃない。あんた、どこ言ってたのよ」

「こっちのセリフですよ。何やってるんですかこんな所で」

「何って、飲み比べよ。見てわかんでしょ」

「そりゃ分かりますけど……」


 相変わらず自分勝手な人だ、そう思う。


「さぁ、もう参加者はこれだけかな? いなかったら締め切るぞ」


 壇上にて、進行役を務めているらしい黒い老龍が言葉を投げた。

 丁度参加者を募っていたらしい。


「待て、こいつも参加者だ」


 いつの間にか真後ろに立っていた天狗が、僕の肩に手を置く。


「行って来い。貴様が今日体験したことを、酒を通して語ってやれば良い」


 僕にだけ聞こえるような声で天狗はささやくと、背中を押してくれた。

 僕は天狗に頷くと、壇上に上がる。

 壇上に昇る最中、最前列に座敷わらしがいるのを見つけた。

 彼女の足元にはタマの姿も見える。


 僕が軽く会釈すると、座敷わらしはニヤリと笑って手を振り、タマは尻尾をゆらりと揺らした。

 僕は階段を上り、先輩の横に立つ。

 他にも八本首の龍やら、若々しい妙な装飾の服を来た男性やら、九尾のキツネやら、多数の妖怪が参加している。

 人間のような外見の人も居るが、ここにいる人間は、恐らく僕と先輩だけなのだろう。


「参加者が居なければ締め切るぞい」


 黒い龍が群集に問いかける。

 異を唱える者はいない。了承の合図だった。


「ではこれより今宵の催しを開催しようじゃないか。皆に飲んでもらうのは、龍が毎年丹精込めて仕込んだ龍酒である! 一杯飲むだけでも胃の腑が焼けそうになるこの強度な酒を、ここに居る酒豪たちに飲んでもらおう! 今宵の酒豪は誰になるであろうか、乞うご期待あれ」


 群集からわっと拍手が起こると同時に、僕たちの前に巨大な壺になみなみと注がれた酒が置かれた。

 置かれた壺はかなり大きい。

 大の大人が二人がかりでようやく運べるくらいのサイズだ。

 一体どれほどの酒が、ここで注がれているのだろう。

 皆目見当もつかない。


 ……やるしかないか。

 僕はそっと息を吐くと先輩を見た。

 すると、彼女もこちらを見てくる。


「先輩、悪いけど死んでもらいます」

「あんたに潰されるほど弱くはないわよ」


 僕は列の一番端に立っており、先輩はその隣だ。


「これより飲み比べをしていただく。ルールは簡単。銅鑼どらの音と共に一杯ずつ飲んで行き、最後まで立っていた物が今回の宴の酒豪となる。実に明瞭なルールだ」


 呆然としていると、酒枡を手渡される。

 どうやらこれを使って、壺の中身を飲んで減らせということらしい。


 黒い老龍が壇上にある銅鑼の前に立った。

 その顔は何だか楽しそうだ。

 老龍だけじゃない。

 ここに居る全員が、期待に満ちた顔で僕たちを見ている。

 こうした大々的な催しは、この街ではかなり珍しいのだろう。


「コウ、残念だったわね」

「何がですか?」

「今日の私は、神がかりよ。飲んでも飲んでも飲み足りないし、潰れる気が一切しない。酒の神がね、私に力を貸してるとしか思えないわ」

「なるほど、それなら僕も同じですね」

「へっ?」

「始まりますよ」


 呆然とする先輩の顔が少しおかしい。

 彼女は今日、きっと色んな宴を経験したに違いない。

 でもそれは、僕も同じなのだ。


 何だか気分が高揚する。

 こんな風に、お酒を飲むのが楽しいと思えた夜は久しぶりかもしれない。


 老龍がが思い切り銅鑼を鳴らすと、街中に響き渡るほど強烈な音が辺りに響いた。

 始まりだ。

 一気に場の空気が変わり、熱気を帯びていく。


「さーあ! 一杯目ぇ!」


 老龍と共に、観客たちから一斉に声が上がる。

 僕は酒枡に酒を掬うと、グッと一気に飲み干した。


 ムッと今までにない熱が体を通る。

 随分濃い酒だ。

 だが腐ってもこの街の酒。味は美味い。


 飲み切ると同時に、銅鑼が鳴らされる。


「二杯目ぇ!」


 飲む。銅鑼の音。掛け声。

 飲む。銅鑼の音。掛け声。


 そのループが何度も繰り返される。

 僕と先輩は、ただ一心不乱に酒を飲んだ。


「九尾、失格ぅ!」


 誰かが脱落したらしい。

 観客がわっと盛り上がる。


「赤鬼、失格ぅ!」

「青龍、失格ぅ!」


 一人、また一人と脱落していく。

 今何人立っているのかもわからない。


「うぐ、もう飲めねぇ……」

「オーディン、失格ぅ!」


「無理……」

「オロチ、失格ぅ!」


 次々と人が居なくなる中でも。

 隣には、先輩が確かに立っていた。


 一杯、また一杯と杯を重ねる。

 すると不意に、ゆらりと景色が遠のくのを感じた。

 酔っているのかと思ったが、どうもまたそれとは違う感覚だ。

 周囲の歓声が遠のき、音が徐々に聞こえなくなる。

 まるで、どこかに迷い込むかのように。


 ふと、横にいる先輩と目が合った。

 その瞳を見ていると、自分の知らない光景が目に浮かんでくる。

 不思議な現象だった。


 今まで彼女とは数え切れないほどお酒を飲んできた。

 でも、どれだけお酒を飲んでいても、こんな体験はしたことがない。

 戸惑いも恐れもなかった。

 むしろ、心地よさすら感じる。

 僕はまるで映画でも見るように、その映像へと身を委ねた。


 気がつけば草原の広がる中、僕は空に大きく浮かぶ満月を見上げていた。

 人の気配がして見ると、横に先輩も立っていた。

 僕と同じように、呆然とした顔で月を見上げている。


 僕ら意外の姿はなかった。

 あれだけいた群衆の姿は、どこにも見当たらない。

 一体僕たちは、どこに居るのだろう。


 草原があり、空があり、草原を貫く一本の細長い道が、先へ先へと伸びている。


「ここは?」


 僕の問いに、先輩は不思議そうに肩をすくめた。


「知んないけど、とりあえず行くわよ」

「どこにですか」

「ここまで来たら進むしかないでしょ」


 僕と先輩は草原が広がる道を歩き出す。

 何故だか知らないが、そうしなければならない気がした。

 この場所が僕ら働きかけているのかもしれない。


 緩やかな温い風が吹き、草を揺らす。

 サァァ、と葉が擦れる音がして妙に心地よい。


「今日一日、いろんな奴と飲んだわ。こんな楽しい夜は初めて」


 歩きながら先輩が言う。


「僕もです。街中、色々巡りました。出店がたくさんある通りや、温泉に神社もありましたよ」


 すると先輩が目を丸くする。


「何それ、行ってない。温泉も入ってないし、出店とか初耳」

「当たり前じゃないですか。先輩は勝手に行動してたんだから」

「随分な言いようじゃないの」

「僕や弁天さんがどれだけ探し回ったと思ってるんですか」

「仕方ないじゃない。アレだけお酒があったら好奇心が刺激されるってものよ」

「気持ちは分からんでもないですけど、先輩は欲望に忠実すぎなんですよ……」

「うるさいわね。とにかく、後でその出店があった場所と温泉、案内しなさいよ」

「はいはい」


 道すがら、僕らはお互いが今日体験したことを語り合った。


 僕は弁天さんと酒を飲み歩いた話を。

 先輩は龍や神様と飲み比べをした話を。

 

 僕らは、互いが知り得ない街の姿を見ていた。

 そして、今宵僕たちが巡った街というのは、全体のほんの一部なのだという。

 改めて街の規模の広さを知った。

 とても一日で回れる代物ではない。


 ふと、座敷わらしのことを思い出す。

 年に何度街が開かれるのかは分からないが、彼女はその数えるほどしかない機会を使い、この街を全て巡ったと言っていた。

 何百年と言う時をかけて。


 それだけの時間飽きずにこの街に来続けたのは、この街が訪れる度に新しい顔を見せるからではないだろうかと、ふと思う。


 歩き続けると、遠目に倒木があるのが分かった。

 道の端に、遠慮がちに横たわっている。

 そして、その倒木の上に誰かが腰掛けていた。


「人がいるわね」


 先輩が緊張した声を出す。


「誰かしら」

「酒の神ですよ、きっと」

「酒の神?」


 この場に来た時から、大体の予測はついていた。

 呼ばれていたのだ。

 その予兆はいくつも体験したじゃないか。


 酒を飲んでも潰れない者を、酒は時に生き物のように呼ぶことがある。

 それでもなお潰れなかった者たちが辿り着く、酒の深層。

 そこに、僕たちは到達したのだ。


「行きましょう、先輩」


 僕は足を踏み出す。

 すると背後で「あぁ」と先輩が声を出した。


「無理だわ。私行けない」

「何でですか?」


 見ると、彼女はふらふらとよろめいて、その場に膝をついた。


「最悪。まさか負けるなんて」

「先輩?」


 その言葉を最後に。

 次の瞬間、そこにもう先輩の姿はなかった。


「先輩? どこ行ったんですか?」


 辺りを見回す。しかし姿はない。


「先輩……」


 呟く自身の声だけが、耳に届く。

 一人か。

 ザァッと強い風が通り過ぎた。


 前を見ると、丸太に座った人物がこちらに手招きしている。


 拒絶する理由もない。

 僕はその人物に近づいた。


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