第23話 聖女マリーネの護衛

 宿から出たカイルは、しばらく歩いてからマリーネに尋ねた。


「あの……他の護衛の方は?」


 いつまで経っても二人のままで、街の風景だけが過ぎ去っていった。

 てっきり聖王国側の騎士がついてくると思ったのだが?


「え? カイル様だけですけど?」


「そうなんですか!?」


「駄目ですか?」


 楽しそうな顔でマリーネがカイルの顔を見てくる。


(いや、駄目とかじゃないんだけど……)


 そう思っていなかった、というか。


(護衛を一人だけにしたいとして、どうして俺を護衛に指名したんだろう?)


 少なくとも聖王国側の護衛をつけると思うのだが。アイスノーが近衛騎士団の護衛も必要だと言ったから、気を遣っているのだろうか?

 だが、カイルは考えないことにした。アイスノーが言っていたじゃないか。我々はホストであると。

 相手が望むのなら、望まれたことをやるだけだ。


(俺がしっかりすればいいんだ。マリーネ様を守るんだ!)


 カイルは力強く頷いた。


「大丈夫ですよ。行きましょうか?」


「はい!」


 どこに行くんだろう?

 とカイルは思っていたが、マリーネは街について一定の知識を持っていた。


「ああー、ここに来たかったんですよね!」


 マリーネと訪れたのは大きな美術館だった。


「ここは宗教画を収集しているところでして、ここでしか見られない絵も多いんですよ。一緒に行きませんか? あ、でも退屈だったりしますか?」


「いえ、大丈夫です。俺もこういった素養を磨きたいと思っています」


 もちろん、カイルに否はない。護衛である以上、マリーネの意思を尊重するだけだ。それに、発した言葉に嘘があるわけでもない。戦争が終わり、カイルを取り巻く世界は急速に変わりつつある。広がり始めた世界に対応をするには、見聞を広める必要もあるのだ。


「それは良かった! では参りましょう」


 カイルはマリーネとともに美術館に入った。

 マリーネはご機嫌な様子で絵画を眺めている。聖女だけに芸術にも一定の審美眼を持っているのだろう。きっとその絵画から多くの刺激を受けているのだろうが、残念ながら、カイルにとっては『絵』以外の何物でもない。


(……勉強しないとな……)


 カイルはそんなことを考えつつ絵を眺めていた。

 淀みなく動いていたマリーネの足が、奥の方にある絵の前で止まった。


「あ、これが見たかったんですよ!」


 大きなキャンバスに描かれているのは、鋼の鎧に身を包んだ若い男が両手で剣を持ち、黒竜に挑みかかっている作品だった。


「聖騎士ライオネルの三部作の1枚目ですね」


「この人が噂の聖騎士……?」


「はい、そうです。彼が倒したとされる邪竜との闘いをモチーフにした作品ですね」


 いたらずらっぽくほほ笑んだマリーネがカイルを見る。


「カイル様は、竜を倒す自信がありますか?」


「い、いやあ……さすがに無理ではないかと……」


「そうですかね? 私はカイル様ならできると思っていますけど」


 うふふと笑って、マリーネが話を続ける。


「聖騎士とは神から力を与えられた存在です。その力を使えば邪竜すらも倒せる。それほどの存在です。ゆえに――」


 そう言った後、マリーネは隣の絵に移動した。

 それは、さっきの聖騎士ライオネルが街中で両手を上げていて、それに応える民衆たちが描かれていた。民衆たちの顔には熱狂と尊敬が描き出されている。


「ゆえに、聖騎士は国民から熱狂的に愛され、支持されています。だから、聖騎士は立派な人間でないとダメなんですよね」


 再び、さっきと同じいたずらっぽい笑みを浮かべてマリーネが続ける。


「カイルさんは立派な人間ですか?」


「ははは、どうでしょうね。真面目が取り柄なんですけど、聖騎士と比べられると自信ないです」


「どんな悪いことをしてしまったんですか?」


「昨日、寝る前にお菓子を食べてしまいました」


「うふふ、それはもう、大罪ですね。でも、偉大なる我らが主人は寛大なので、きっとお許しくださるでしょう」


 マリーネがさらに隣の絵に移動する、

 そこには聖騎士ライオネルと、彼の前にひざまづくシスターの絵が描かれている。


「三部作最後の絵ですね。聖騎士に忠誠を誓う聖女が描かれています」


「聖女が忠誠を……? 聖騎士のほうが立場は上なんですか?」


「はい。我々聖女は聖騎士が顕現けんげんした場合、己の命を捨ててでも守ることを定めとしております」


「……それは大変ですね。ひょっとして顕現しないほうが良かったりしますか?」


「いえいえ、聖騎士様にお支えできることは心からの幸せですから、ぜひそうあってほしいと思います」


 もう一度、マリーネは絵画に目をやった。


「こんな絵のようなことが起こる日を、心待ちにしています」


 その後は、特に足を止めることなくマリーネは絵を見て周り、美術館を後にした。


「カイル様、目の保養になりましたか?」


「そうですね。楽しかったです。ただ、まだ慣れないので頭が痛いのが本音です」


「じゃあ、お買い物でもして少しのんびりとしましょうか?」


 その後、マリーネはカイルとともに商業エリアへと向かった。

 商業エリアは街路の左右に店がひしめき合い、大声で客引きをしている活気のある場所だ。街の人だけではなく旅人たちの姿もあり、とても賑わっている。

 カイルは楽しい気持ちになりながら口を開いた。


「なかなか活気がありますね」


「本当ですね! 楽しそうです!」


 マリーネは浮き足だった様子で露点の商品を眺めている。


「これなんて、カイル様にはお似合いなんじゃないですか?」


 それは1枚のハンカチだった。

 複数の青系統の色を基調として、ところどころ金糸で彩りがほどこされている。


(色合い的には嫌いじゃないな)


 初仕事の記念に買おうかなと思っていると、マリーネが妙なことを口にした。


「聖騎士様のイメージカラーなんですよ。ですから、お似合いだと思います!」


「聖騎士?」


 いきなり飛び出てきたワードにカイルは違和感を覚えた。

 それがサリファイス聖王国の伝説に現れる聖騎士のイメージカラーだとして、カイルと何の関係があるのだろうか?

 不思議そうなカイルの表情に気がついて、マリーネが手をパタパタと振った。


「すすす、すみません、変なことを言って!」


 マリーネはハンカチを再びカイルに向けた。


「でも柄としてはお気に入りですよね?」


「そうですね、いいものだと思います。買おうかな……」


「うふふふ」


 マリーネはカイルにハンカチを渡さず、そのまま店主に金を払ってしまった。終わった後に、マリーネがそれをカイルに差し出す。


「はい、プレゼントです」


「!?」


「遠慮なく」


「……ありがとうございます」


 もらうことに抵抗があったが、カイルは何も言わずに受け取ることにした。ホストである以上、相手の好意を無駄にはできない。ただ、職務上、本当にもらっていいのか不明だったので、後でアイスノーに確認して、まずそうなら返却しようとカイルは思った。


 ちなみに、アイスノーの返答は、


 ――別に構わない、要人は気に入った護衛にプレゼントを贈ることがあるから。駄賃のようなものだな。ただ、チームとして知らないわけにはいかないので、報告だけしてくれればいい。


 とのことだった。


 だが、その後に、怪しむ目つきで、マリーネとの関係を勘繰られることになるのだが。


「お腹がすいてきました! そこのパン屋さんからいい香りがしますよ!」


 マリーネの提案に乗り、昼食用のパンを買い込んだ後、公園に移動した。公園の中央にある噴水周囲のベンチに座って2人で昼食を始める。

 パンは焼きたてで、いい香りが漂っていた。手で引きちぎるだけで弾力が伝わってきて、ほおばると甘い芳香が口内に広がる。

 それはマリーネも同じようだった。頬に片手を当てて、マリーネが本当に幸せな表情を浮かべている。


「う〜〜〜〜〜ん! おいしいですね!」


「はい、俺もちょっとびっくりしてます」


「このパンも、すごく美味しいですよ。試してみます?」


 マリーネが持っていたパンをちぎって、それを差し出してきた。

 ありがとうござます――

 そう言ってからカイルが手を伸ばそうとするよりも早く、マリーネがこんなことを口にした。


「あーん」


 あーん?

 カイルは一瞬それが何を意味するのか理解できなかった。なぜなら、母親に10年以上昔に同じことをされて以来、そんな経験がなかったからだ。

 直後、カイルは雷鳴のような閃きを手に入れた。


(あーん!?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る