第11話 聖女マリーネ

「ふははははは、俺は八騎将のガルガイン! 聖女マリーネ、お前の命もここまでだ!」


 唐突なガルガインの出現、だが、聖女マリーネの心は平静そのものだった。


 なんの感情も浮かんでいない透き通った視線で、王国兵を蹴散らしながら爆進するガルガインを静かに眺めている。


 恐怖を覚えることなどない。


 彼女の世界は単純で、正しいもの、正しさを理解するに至っていないもの、悪しきものの3種類に分かれている。

 悪しきものと対峙したとき、それが八騎将であろうと、帝王ラインデルだろうと、伝説の魔王であろうと、聖女マリーネが恐怖を覚えることはない。


 なぜなら、それは滅すべき敵でしかないのだから。


「八騎将ガルガイン――あなたを我が主人への反逆者として認定します」


 黄金の剣をマリーネは撃ち放った。


「ぬあにいい!?」


 乗っていた軍馬が真っ二つになり、ガルガインは絶叫とともに地に落ちる。


「次はあなたです。その薄汚れた魂を清めて差し上げましょう」


 マリーネは再び黄金の刃を振るい、ガルガインを仕留めにかかる。だが、そのヤイバをガルガインの剣が打ち砕いだ。


「…………」


 この段において、初めてマリーネの感情が揺らめいた。だが、それは動揺ではなくて、憤怒だ。

 悪しきものが神の決定に逆らい、その慈悲の刃を否定する。愚弄にもほどがある――マリーネの激情を強く刺激した。


 必ず神罰を下さねば!


 マリーネは次々と黄金の刃を放った。神罰! 神罰! 神罰! 神罰! 神罰! 神罰! 神罰! 神罰!

 だが、そのいずれもガルガインは抵抗し、ゼロ距離まで接近させてしまう。

 ガルガインの笑い声が響き渡る。


「お前の負けだ、聖女! 経験の差よおおおおおお!」


 振り下される刃を見た時、マリーネは絶望に駆られた。

 それは己の死ではなく、己の無力だ。

 悪しきものを滅する崇高な行為を成し遂げることができなかった。神の意思への叛逆を許してしまった。それをさせてしまった己への絶望。


(ああ、我が主人あるじよ。聖女マリーネ、お役に立つことができませんでした。お許しください)


 死を恐れないマリーネは、手折られる道端の花を眺めるような冷めた感情のまま、己の死を受け入れていた。

 だが、そうはならなかった。

 何者かがマリーネの体を押しのけて、割って入ったのだ。

 剣と剣がぶつかる金属音の場所にいたのは――


「王国兵カイル・ザリングス! お前の好きにはさせない!」


 まさかの急展開。

 だが、マリーネの意識は外ではなく、己の内に向いていた。


(これは……?)


 マリーネは己の魂に天界からの力が流入する道――パスを持っている。そこから流れ出る聖なるオーラを使って、マリーネは力を行使する。

 そのパスから流入する力が、とんでもない量になっていたのだ。


(どうして?)


 全くわからなかった。こんなことは今まで一度もなかったのに。神に近づけたと感じたとき、少しずつ広がっていったことはあったが、これほど急速な拡大は初めてだった。

 体中が燃え上がるように熱い。

 意味わからなかったが、詮索するよりも早く力を振るうことに決めた。

 マリーネの右手に黄金の力が凝縮する。


「我が主人よ、力を!」


 マリーネは剣を振るった。

 その一撃はマリーネも驚くほどだった。今までは突破できなかったガルガインの防御をあっさりと突破、剣ごとガルガインをあっさりと切り捨てたのだから。

 その威力は手応えからも理解できた。

 明らかに今までマリーネが出していた力を凌駕するほどの威力だった。


「…………」


 はっきりわかっている。神から与えられた力が増したから。今、マリーネは神の存在を今までよりも強く感じていた。

 だが、なぜ、急に?

 神が、窮地に陥ったマリーネを助けてくれたのだろうか?

 その思考が深まることはなかった。

 窮地を脱したマリーネが正気に戻り、自分の状況に気がついたからだ。割って入ったカイルと体がとても密着している。バランスを崩しかけたマリーネをカイルが支えたからだが。

 聖女ではあるが、男性とは無縁の年頃の娘なので、マリーネは珍しく動揺した。

 なぜなら、それは悪しきものではないから。


(!?!?!?!?!?!?!?)


 耳まで真っ赤にしながら、とりあえず、マリーネは礼を口にした。


「あ、あの……ありがとうございます」


 マリーネの言葉でカイルも気がつくべき点に気がつき、謝りながら体を引き離した。そこには、顔を赤くした若い二人だけがいた。


「ええと……俺も帝国軍を追いかけます。それでは!」


 緊張に耐えられなかったのだろう、カイルがそう言い残して立ち去った。

 カイルの背中を見送りながら、少し冷静に戻ったマリーネは体に流入する聖なる力の量が普通に戻っていることが気がついた。

 もちろん、マリーネを助けるために神が力を与えてくれたのならば、苦難を乗り越えた以上、それを失うのは道理だろうが。


(我が主人よ、お助けいただきありがとうございます)


 礼を述べたが、もちろん、神は何も答えない。

 おそらくは神の助けであろうとマリーネは思いつつも、何か違和感を覚えて首を傾げた。さっきまで、カイル・ザリングスに触れられていた部分に残る、彼の熱を感じながら。


 一方、戦況は大きく変化した。


 聖女を倒すことで形勢を覆そうとした帝国軍の目論見は見事に失敗した。それどころか、逆に八騎将を失うという再び失うという大失態を起こしてしまう。その衝撃に、帝国軍は敗色濃厚の坂を一気に転がり落ちてしまう。


「帝国の犬どもを追い出せ! 恐怖を叩き込んで、二度と王国の土を踏ませないよう躾けてやれ!」


「今までのお返しだ! 徹底的にやっつけろ!」


 帝国側の撤退戦が、王国側の追撃戦が始まった。

 聖王国軍はそれには参加せず、両軍の動きを静かに見守っている。


「我が主人よ、我らに勝利をお与えくださり感謝いたします」


 マリーネは祈りを終えると、隣に立つカインに声をかけた。


「おめでとうございます。悪しき帝国を打ち破り、見事、国をお守りになられましたね」


「ありがとうございます。ガルガインを倒せたのが分かれ目でした。マリーネ様のお力のおかげです」


 カイルはにこやかな笑顔を返してくれたが、マリーネはその笑顔を見ていると少し気恥ずかしくなって顔をそらしてしまった。


(いえ、あなたのおかげです。あのとき、あなたが割って入ってくれていなければ私は――)


 とマリーネは思ったが、言葉にしそびれた。

 マリーネはカイルのことを騎士の中の騎士だと思っていた。危険を顧みずにためらいなく死地に飛び込める勇気、ガルガインの豪剣をはじく技量――

 マリーネはカイルに対して頼もしさとともに尊敬の念を抱いていた。


「俺は王国軍に戻ろうと思います」


「え、そうなんですか? 我々の祝勝会にも参加されてはどうでしょう?」


「ありがとうございます。でも、報告の義務もありますから、お気持ちだけで大丈夫です」


 マリーネに別れの言葉を告げると、カイルは爽やかな笑顔を残して去っていった。

 小さくなっていくカイルの姿を見送りながら、マリーネは寂しさを覚えた。

 もう少し時間をともにしたかった――

 彼のような素晴らしい、気持ちのいい騎士と歓談することは実に気分を清々しくさせてくれるから。


(伝説の聖騎士とは、彼のような人だったのかもしれません)


 そんなことをマリーネは心の底から思う。

 まさに、そのときだった。

 それはまるで、楽園の向こう側から射られた矢のようにマリーネの心に飛び込んできた。


 ――親愛なる我が子マリーネよ、カイル・ザリングスを聖騎士と任命せよ。


 その声は初めて聞く声だったが、しかし、マリーネにはそれが誰なのか瞬間的にわかった。


(我が主人!)


 神の声が聞こえたのだ!

 カイル・ザリングスを伝説の聖騎士にせよと神がおっしゃられている!


「おお、我が主人よ、感謝いたします……」


 神の声が聞こえたことと、それが己の考えを肯定していたこと。その双方のおかげでマリーネは多幸感に包まれた。

 自然、両目から涙があふれる。

 涙を浮かべながら神に祈りを捧げるマリーネを見て、若い騎士が声を上げた。


「ど、どうしました、マリーネ様!?」


「我が主人の声を聞きました」


「ほ、本当ですか!?」


「はい。今回の戦争はもう終わりました。かくなるうえは一刻も早く聖王国に戻り、此度の件を大聖女様に奏上し、ご判断いただかなければなりません」


 そして、当然それは認可されるだろう。

 そうなり次第――


(カイル・ザリングス様、再びお迎えに上がります。サリファイス聖王国の聖騎士となるあなたにお会いできる日が楽しみです)

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