第12話 帝国軍師クロケイン
「八騎将ガルガイン様、討死」
その報告を聞くと同時、帝国軍師クロケインは静かに目を閉じた。
クロケインは銀色の髪の、目つきが鋭い若い男だ。金と銀の刺繍の入った黒い服を身にまとっている。
同僚の冥福を祈ったのではなく、今回の戦争の最終的な決着――自軍の敗北を悟ったからだ。
――この俺ガルガインが聖女を討って、決定的な流れを作ってやろう!
クロケインの静止も聞かず飛び出して見事な返り討ちにあい、敗戦への決定的な流れを作ったガルガインを苦々しく思う。
止めることができなかった後悔がクロケインの胸あふれるが、すぐにクロケインはその感情を捨て去った。
すでにクロケイには今後の展開が全て見えていた。である以上、時間を無駄にしている余裕はない。
「総員に告ぐ。全軍撤退を」
クロケインがその言葉を発した瞬間、本陣にいる将校たちは大きくざわついた。
「そんな、まだ勝敗はついておりませんぞ!?」
「敗北という意味ですかな、軍師殿!? 常勝たる帝国に許される判断ではありませんぞ!」
「本国に応援を頼みましょう。粘ればまだ勝機はあります!」
帝国の将校たちが次々と意を唱える。
クロケインは表情にこそ出さなかったが、うんざりした気分で彼らの意見を聞いていた。
彼らはいまだに必勝の甘い夢に酔って、状況が見えていない。
(結局のところ、勝ちすぎたか)
皇帝ラインデルの手腕によって国は豊かになり、西部を圧倒的な勝利で征服し、帝国の兵たちは永遠に続く勝利を信じてしまった。
その慢心が、敗北へと繋がったのだろう。
精強なる帝国軍が王国ごときに負けるはずがない。八騎将は不敗であり、彼らが討ち死にするはずなどない。一時の劣勢など、しょせんは雑魚の夢。長続きするはずがない。
そんな腐った認識が軍中にはびこっている。ガルガインが討ち取られた時点で、もう帝国に勝利の目はない。士気の下がった帝国兵が、奮起した王国兵に切り刻まれるだけ。
結局のところ、負けるべくして負けた――
それがクロケインの結論だ。
いまだに勝利を妄信している仲間たちをクロケインは一喝したいくらいの気分だった。
だが、彼らを夢から覚ますための説明をしている暇はない。
「思い出してもらおう、私クロケインは帝王ラインデル陛下から全軍に対する責任を与えられている。この戦において、私の言葉に歯向かうということは陛下を否定することと同義だ。全軍撤退――従ってもらえるかな」
将校たちは口をつぐんだ。
その目には、腰抜けめ、陛下の威を借る狐め、という怒りがあったが、表面化はしなかった。クロケインが皇帝の右腕であり、知略知謀の持ち主なのは事実だから。
彼らの微妙な感情をクロケインは気にしない。ここで折れたところで、無駄に兵が死ぬだけだから。皇帝から借り受けた兵をいかに生き残らせるか。それだけが、クロケインの興味だった。
将兵たちはまだ納得していないようだったが、お互いの顔を見合わせた後、しぶしぶといった様子で本陣から出て行った。
一人だけ居残った本陣で、クロケインは大きく息を吐いた。
(……そもそも、線端を維持している状況ではないんだ。あまりにも異常なことが起こっている)
王国と開戦してからしばらく、そこに違和感はなかった。クロケインは西部での戦争と同じく、帝国の勝利を確信していた。
それが変わったのは半年と少ししてからだ。
他の戦域よりも明らかに多くの兵――それも無視できない量の兵をわずか一戦で喪失したのだ。
クロケインは油断しなかった。
すぐに警戒の指示を出し、その正体を探った。だが、そこで展開されていたのは『普通の戦況』だった。帝国兵の被害も特筆するほどではない。
(ただのイレギュラーか?)
そんなことを考えるクロケインを嘲笑うかの如く、他の戦局で帝国兵の多大な被害が発生していた。
そして、その不可思議な状況はそれだけでは終わらなかった。
クロケインの不意を打つかのように、あちこちで帝国兵の被害が発生し続けた。
だが、不思議なことに、発生する戦局は常にひとつだけで、同時多発はなかった。
法則性を見出そうとクロケインは地図にプロットを打ってみたりもしたが、特に何もわからなかった。まるで、使い捨ての雑用騎士が次から次へと無目的に部隊を移動しているかのような乱雑さだけがそこにあった。
(一体、何が起こっている?)
クレイリア砦での八騎将バルガスの不慮の死が分岐点だと分析している将校が多いが、クロケインの認識は違う。
そもそもそれ以前に多くの兵が失われていたのだ。
その損失が表面化したトリガーが、バルガスの死だったというだけ。
つまり、もしバルガスが死んでいなかったとしても、遠からず帝国の戦線は崩壊していただろう。
(だが、あのバルガスが何もできぬまま討ち取られるとは……)
八騎将は己の武に誇りを持っているため、前に出る傾向がある。だが、そう簡単に破れる程度の腕前ではない。
もし、彼らを倒したとしても甚大な被害が出るはずなのだ。例えば、砦に詰めていた第一騎士団の精鋭『赤狼隊』を半壊させ、砦を陥落させるくらいの打撃はあっても不思議ではない。
だが、その形跡は見られなかった。
まるで、赤子の手をひねるかのようにあっさり倒されたかのような――
ガルガインの死も納得できないものがある。
ガルガインの暴走を強く止めなかった理由として、ガルガインならば聖女マリーネを仕留めることが可能だとクロケインも見積もっていたからだ。
それなのに、結果は違っていた。
クロケインが把握している聖女マリーネの力が分析結果を超えていたわけだ。
(なぜだ……?)
クロケインの分析が間違っていた?
それはない。クロケインは適切に分析していたという自負がある。
それ以外の答えを探し求めるが、見つからなかった。どうにも、クロケインが認識できていない謎の存在――ファクターXがあるのは間違いない。
「おのれっ!」
クロイケンは怒りを吐き出すと同時、机に拳を叩きつけた。
軍師である職務上、冷静なふりを装ってはいるが、実際のところ、はらわたは煮えくり返っていた。将兵たちとは比較にならない以上に、クロケインもまた帝国の常勝と皇帝ラインデルの不敗を信じていたのだから。
結局のところ、クロイケンもまた同じなのだ。
戦力差を過信して勝てると盲信し、あっさりと敗退しただけ。
軍師の目が曇っていて勝てるはずがない。その傲慢さが、最後の最後までファクターXの正体を隠しをしてしまった。
「……私もまた勝利に慢心していたということか……ふふふ」
自嘲しながら、クロケインは本陣の外へと向かう。
遠くで展開する王国軍を眺めて、クロケインは口を開いた。
「今日のところは勝ちを譲ろう。今は勝利に酔うがいい。最前までの我々のようにな」
そして、ひとつの誓いを立てる。
必ずやファクターXの正体を暴き、次こそは帝国軍に勝利をもたらしてみせようと。
――これにて、王国と帝国の第一次合戦は終わりを告げた。
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