第13話 戦場からの帰還
アークロア帝国は王国から撤退したが、本当の意味で戦争は終わっていなかった。帝国にとってはあくまでも一時的な撤退にしかすぎず、講和どころか休戦条約の交渉すら始まらなかった。
だが、それが束の間であったとしても、平和になったのは事実だ。
ゆえに兵たちは故郷へと戻ることを許可された。
それは雑用騎士のカイルも同じだった。
帰還命令を受けた後、カイルは心ばかりの報奨金を受け取り、故郷エルダナ村を目指して旅に出た。
1年近く戦い続けた。まだ疲労感は残っているが、心は充実していた。この大きな戦いで自分がどれほど貢献できたのか――自信はないが、国を守りきれたのは事実なのだから。
剣を国に捧げ、守り、自分も生き残った。
これほど嬉しいことはない。
「村のみんな、元気だといいんだけど」
別れ際、手紙を送ると言ったが、忙しすぎて何も送る余裕がなかった。戦争が終わってから、無事と帰還を知らせる手紙を送っただけだ。その手紙に対する返信も、移動が続きすぎて受け取れていない。
(……無事に届いていればいいんだけど……)
やがて、遠方に村が見えてきた。
もともと時間が止まったような村だ。たった1年で何かが変わっているはずもない。
ただただ懐かしさが込み上げてくる。
わずか1年なのに、ずいぶんと離れていたような気分だ。
(ああ、帰ってきたんだ!)
暖かい気持ちがカイルの胸に広がる。
両親や弟や妹、カイルを
村へと踏み込んだ。しばらく歩いていると、村人の一人とばったり出会った。
「お、おお……カイル坊ちゃんか?」
その老人はカイルもよく知る人物だった。カイルが生まれる前からずっと村に住んでいる人物で、子供時代のカイルに、色々と植物や動物について教えてくれた人物だ。
「ただいま、ルト爺さん。無事に帰ってきたよ」
「おおおおおお! よくぞ戻ってきなすった!」
興奮したルト爺さんの声は喜びであふれていた。
「おい、お前たち! 坊ちゃんがお戻りになられたぞ!」
ムト爺さんが年甲斐もなく声を張り上げる。
すると遠くにいた男たちの視線が向き、家のドアを開けて女たちが外に出てくる。彼らの表情はカイトを見た瞬間、パッと明るくなった。
「おおおお、坊ちゃんよくぞご無事で!」
「言っただろ! こいつは殺しても死ぬ玉じゃないって!」
「よく無事に戻ってきてくれたねえ! 大変だったんじゃないかい?」
人々の声が新たな人を招き、カイトはもみくちゃにされた。だけど、悪い気はしなかった。なぜなら、誰もがカイトの無事を喜んでくれていたからだ。
(ああ、こんなにも自分の無事を喜んでくれる人たちに囲まれていたんだなあ)
その単純な事実が嬉しくてたまらない。
村人たちから祝福を受けながら、カイルはザリングス家の屋敷へと向かっていった。
屋敷の中に入る必要はなかった。
カイルの家族たちが玄関を出たところで待っていてくれたからだ。
彼らの前に立ち、カイルは短く言った。
「カイル・ザリングス、王命を果たし、ただいま戻りました」
父のラカンが重々しくうなずく。
「王国貴族としての大任をよくぞ果たした。父はお前のことを誇りに思う」
父の言葉が終わると同時、母がカイルの体を抱きしめた。
「ううう、無事に帰ってきてくれてよかった。本当に良かった!」
涙を流しながら喜ぶ母の背中に手を回し、カイルは応じる。
「ありがとう、母さん。……手紙は届いた?」
「届いたけど、終わってから一通だけって! ちゃんと送りなさい!」
「心配かけてごめん。忙しくて手が回らなかったんだ」
「お父さんとそういうところ一緒ね! すごく心配したんだから!」
母はカイルから手を離すと、後ろへと下がった。そして、涙を拭いながら続ける。
「ま、無事に帰ってきてくれたから許す」
「次からは気をつけるよ」
「お帰り、お兄ちゃん!」
そこには、1年の間に背が伸びた弟と妹が立っていた。カイルは弟に声をかける。
「言い付けたよな、家を頼むって。大丈夫だったか?」
「僕なりに頑張ったよ!」
カイルが目を向けると、父が大きくうなずいている。
そこで妹が割り込んできた。
「強い帝国兵いっぱい倒してきた?」
「まあ、わりと倒したんじゃないかな。頑張ったよ」
「えらい、私が褒めてあげる!」
それから、目を輝かせてこう続けた。
「ねえねえ、武勇伝を聞かせてよ。カイルお兄ちゃんがビシバシ帝国を倒していく感じの!」
「はっは、そうだなあ……」
戦場のリアリティを、どう子供でも聞いて楽しめる無難な形に話そうかなと考えていると、気が抜けたのだろうか、ぐらりとカイルの体が揺れて、倒れそうになる。
そこを父ラカンが支えてくれた。
「おっと、お疲れか?」
「そうかも」
「ゆっくりと休め。家に戻ろう」
それから、何かを確かめるようにカイルの体を手で撫でた。
「……背中も腕も厚みを増したな。男子三日会わざれば刮目して見よ――1年ならなおさらか。立派になったな、カイル」
カイルは胸に熱いものを感じた。
その言葉は、父が子を認める言葉としては最上のものだった。それがカイルには誇らしくてたまらない。
遠くから見守っている村人たちに、父が大声を飛ばした。
「カイルの帰還と戦の勝利を祝して祭りをする! 準備にかかれ!」
村人たちの歓喜が爆発した。
それから、エルダナ村は3日3晩大騒ぎの日々を過ごした。祭りが終わっても熱気はしばらく続いたが、1ヶ月も経つころには日常へと回帰した。
その日、カイルはムト爺さんの家の庭で草抜きをしていた。
「ムト爺さん、終わったよ」
「おお、すまんなあ」
雑用を片付けたカイルにムト爺さんがにこやに応じる。
日常に戻ったから、従軍前の雑務もこなす。昔から、カイルは村の作業や手伝いを率先してやっていた。
困っている人がいたら助ける――それがカイルの性根であり、父から教わったことだった。
ザリングス家の屋敷に戻る最中、村人が声をかけてくる。
「今度はうちも手伝ってくれよ!」
「ああ、いいよ」
カイルは気安く応じる。嫌な気持ちは一切ない。ザリングス家は村人たちに寄り添い、村人たちを支え、村人たちに支えられて生きていく。
それがエルダナ村の在り方なのだ。
カイルはそんな生き方を受け入れていた。誰かの小さな日常に貢献し、感謝される。そして、ゆるりと老いていき、次世代にバトンを渡す。そんなありふれた日常に喜ぶを見出せる男だった。
(もう戦争は起きてほしくない。村人たちと静かに生きていければそれでいい)
カイルはそんなことを痛切に願う。
カイルは屋敷のドアを開けた。
「ただいまー」
いつものきやすい言葉を口にしてから、カイルは違和感に気がついた。
屋敷の空気が少しばかり緊張している。ばたばたとうるさい弟や妹の姿も見えない。
(……どうしたんだ?)
そんなふうに思っていると、表情を固くした母親が姿を現した。そして、小声でカイルに告げる。
「王都からお客様が来ていて――あなたに会いたいそうよ」
「……俺に?」
思い当たる節のないカイルは首を傾げながら、客間へと向かった。
そこにはソファに座っている父親と、ローテーブルを挟んだ対面のソファに座る赤い髪の男がいた。
「失礼します」
部屋に入るカイルの声に反応し、赤髪の男が振り返る。
「よー、久しぶりだな、カイル」
聞き覚えのある声、そして、見覚えのある顔だった。赤い髪にワイルドな容貌、服の上からでも鍛えているとわかる闘士の体格。
カイルはなるべく出会った人物の顔を覚えるようにしているが、この個性的な外見は忘れるはずがない。
「ブレイズ隊長!」
クレイリア砦の攻防戦でカイルの上官を務めた、王国最大戦力の第1騎士団――その精鋭が集う『赤狼隊』所属の男だ。
「こちらこそお久しぶりです!」
「どうだ、生活は? もう戦いの疲れはとれたか?」
「はい、元気です!」
「なら、よかった」
「……あの、どうしてこの村に? 父に何か御用ですか?」
「いや、用があるのはお前だよ」
「え?」
そこでカイルは心底から不思議に思った。ブレイズとはともに戦ったが、しょせんは高級士官と雑用騎士。むしろ、カイルのことを覚えていることすら違和感があるくらいだ。
「えーと……どんな用件ですか?」
「お前をさ、第一騎士団に誘おうと思ってね」
「ええええええええええええええええええ!?」
素っ頓狂な声を上げたのは、驚いて口が動かないカイルではなく父親のほうだった。
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