第3話 戦場への出立
バナドーンの質問に逃げ道はない。そのため、ラカンはしばしの時間が必要だった。
「……息子と、ですか」
何かをごまかすかのような曖昧な返事。バナドーンは己の直感の正しさを確信する。
「私も使者として多くの貴族のもとを訪れておりますが、今回の仕事は不思議なことばかりです。ご子息の姿が見えない――ありえないことです」
「…………」
返事をしないラカンにバナドーンは畳み掛けた。
「まさか……逃げたわけではありませんよね?」
「それはありません!」
ラカンが語気を強める。
「息子は忠義あふれる騎士です。出兵を恐れて逃げ出すような貴族にあるまじき人間ではありません!」
そこに怒りがあることをバナドーンは理解した。家を守るための自己保身ではなく、息子の名誉を守ろうとする父親の怒りだ。
(であれば、逃げたのではない……?)
とはいえ、姿を見せないのであれば問題だ。
何かしらの事情があるとしても、ここにいない、というのなら、そこに酌量の余地はない。ラカンが明らかにした事情がなんであれ、バナドーンには嘘か否か判断できない。
息子の逃走など、どんな言い訳をしてでも隠したいからだ。
そもそも、王命として『今日』である以上、万難を排せない時点でザリングス家の失態なのだ。
「息子さんは逃げていない旨、承知いたしました。では――」
バナドーンはそこで勝負に出た。
「明日の朝の予定だった式典、今夜のうちに執り行いましょう」
「――!?」
ラカンの表情が露骨に歪む。
どうやら、それが無理な状況にあること、バナドーンは確信する。
ラカンが苦しげな表情を浮かべたまま、口を開いた。
「……お待ちください! お恥ずかしい話ですが、当家にも準備というものがあります。約束は明日。それまで待っていただきたい!」
「つまり、ご子息は不在、という理解でよろしいか?」
「……おりますが、式典に緊張を持って臨みたいと申しております。それが顔を見せない理由です。本人の気持ちを尊重していただけませんか」
「王の使者として我々はここに来ています。疑義がありますれば、まずはそれを解決しなければならない。顔だけお見せいただければ」
「…………」
沈黙が食堂に重くのしかかる。
バナドーンはため息をこぼした。
「それでは――」
バナドーンの言葉を圧して、ドアが荒々しく開けられる音と、若者の鋭い声が響き渡った。
「カイル・ザリングス、入ります!」
声に驚いたバナドーンが振り返ると、そこには聞かされていた通りの風貌の少年が立っていた。
ただ、使者を迎えるにしては礼儀に欠けた平凡な服で、あちこちが泥で薄汚れていたが。いや、それだけではない。髪も乱れ、呼吸も乱れている。
「申し訳ございません。所用で外出しておりまして。ただいま戻りました」
現れた息子を眺めるラカンの表情が喜びに緩む。
どうやら事情があるのだな、とバナドーンは理解したが、詮索するつもりはなかった。使者である彼にとって大事なことは、カイル・ザリングスがここにいることなのだから。
にこりとバナドーンは笑みを浮かべ、立ち上がる。
「構いません。お姿を拝見することができて光栄です。私は使者のバナドーンと申します」
それから、バナドーンはテーブルの向こう側にするラカンを見た。
「どうやら、こちらが気を回し過ぎたようです。失礼をいたしました。式典は明日の予定で構いませんので」
「助かります」
そう応じるラカンの顔には重い疲労と、息子を誇る笑みが浮かんでいた。
翌日――
ザリングス邸の一角で使者から王命を伝える式が執り行われた。
『カイル・ザリングスに命じる。リアンディア平原に赴き、帝国軍を撃退せよ。汝の勇戦に期待する』
王からの指令に、カイルは端的に応じる。
「
そこにはためらいも恐れも微塵もなかった。
王の使命を伝え、バナドーンの仕事は終わった。長居する理由はない。
「それでは、我々はここで失礼いたします。ご武運をお祈りいたします」
バナドーンが、見送りのラカンとカイルとともに屋敷の外に出たときだった。
「ラカンさん、カイルさん! ありがとう! 息子のキクルズ病がおさまってきたよ! 助かりそうだ!」
先行するラカンたちに村人がそう話しかけた。
それからすぐ、バナドーンの姿に気がついたのか、村人がびくりと体を震わせる。
「あ!? い、今、話しかけたらダメだった!?」
バナドーンは苦笑しつつ首を振り、部下たちともに半歩下がった。
村人の熱心な話を聞き、バナドーンはようやく理解した。
(ああ、なるほど。そういう裏があったのか)
そして、それを言い訳として口にしなかったザリングス家の二人に好感を持った。
バナドーンが回想した通り、言い訳しても、逃げた可能性を否定できない。だからこそ、無駄なことは口にしなかったのだろう。そして、間に合わせるという覚悟だけがあったのだ。
騎士としての一分がよくわかっている。
話が終わり、村人が去っていく。
「それでは、我々もこの辺で」
馬に乗り、バナドーンたちは村を立ち去った。
馬の背に揺られながら、とりとめのない考えが泡のように浮かぶ。
(気持ちのいい少年だった)
短い付き合いだが、バナドーンはそう思った。それゆえに彼の未来を思って暗澹たる気持ちになる。
(きっと戦場では苦労するだろう。下級騎士である以上、捨て駒だ。あちこちの戦場に『雑用』として放り込まれ、死と隣合わせの日々を過ごす……)
きっと平時であれば、父の跡を継いでよき騎士になったであろうに。
気分が暗くなってきたので、バナドーンは思考を切り替えた。
さっき耳に入ってきた言葉だ。
(キクルズ病か……珍しい病だな。特効薬の薬草がこの辺にあったな。実に運がいい。場所は確か……)
学生時代、薬草学を専攻していたバナドーンには一定の知識があった。
そして、その場所に思い至ったとき――
「え」
思わず、声が漏れた。
バナドーンの知る限り、その場所は、この村から往復して『3日』はかかる場所だ。だが、話していた内容からすると、カイト少年は『1日前』に家を出ていたらしい。
(……日にちが合わない……?)
急ぎに急いだ強行軍だったとしても、それは常軌を逸した数値だろう。
不眠不休で急ぎ続ければ――
バナドーンは首を振った。
(いやいや! そんなこと、できるはずがない!)
人には体力がある。もしそんなことが可能であれば、それは人並外れた、という表現ですら届かないタフネスが必要だ。
(まさか、あの少年……)
そんなことが頭をよぎったが、バナドーンはすぐに否定した。
もっと『普通』の着地点を見出したからだ。
(……他に薬草がとれる場所があるのだろう。私は教科書で学んだだけ。その知識が全てではない)
それに納得して、バナドーンはこの件に関する思考を止めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから数日後。
腰に剣を差し、旅装束を身にまとったカイルが邸宅から姿を現した。彼のあとを追って、両親と弟と妹も家から出てくる。
振り返り、カイルが口を開いた。
「じゃあ、行ってくるよ」
きっと出兵の意味がはっきりとわかっていない妹が元気に口を開く。
「カイルお兄ちゃん、悪い帝国を倒してきてね!」
「任せてくれ。みんなが平和に暮らせるよう頑張ってくるよ」
次に、弟が声をかけてきた。
「お兄ちゃん、頑張ってね。弟の僕から見ても、お兄ちゃんは強い。僕の自慢だよ。きっと戦場でも活躍できるから、期待してる!」
「ああ、任せてくれ。だけど、もしも俺に何かあったら、お前が家を守るんだぞ。わかったな」
「変なこと言わないで!」
そう言って、母親が割り込んでくる。
「戦功なんてどうでもいいから、無事に帰ってくるのよ。お母さんはあなたが元気ならそれでいいんだから!」
「うん、必ず戻ってくるよ。だから、心配しないで」
そして、最後に父親の番がきた。
ラカンはカイルの目をじっと見て言葉を口にする。
「気合い入れろよ、カイル。少なくとも、デイノニクスよりお前が強いことは父親の俺が保証してやるよ。お前の腕は一人前だ。胸を張れ。だけど、過信はするなよ」
「わかっているよ、父さん」
ひょっとすると今生の別れになるかもしれない。万感の想いを込めて、カイルは父への感謝を伝えた。
「今まで剣を教えてくれてありがとう。父さんから学んだ剣が俺を守ってくれると信じているよ」
そして、息を小さく吐いて、家族全員に伝えた。
「ありがとう。また会おう」
家族に別れを告げて、カイルは戦場に向かって歩き出す。
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