第35話 最強のカードの行先
いよいよ慰霊碑の建立祭が始まろうとする頃――
ひとりの兵士が慌てた様子で駆け込んできた。
「伝令します! フラノス北部で大規模な戦闘が発生しています!」
何かしらある、とは思っていたが、まさか大規模とは。
ナリウスの表情がこわばり、近衛騎士団も緊張を高める。カイルもまた、指先が冷たくなるような感覚を覚えた。
兵士が急いだ様子で状況を説明する。
彼もまた起こっていることが理解できていないようで、説明が要領を得なかったが、
「……ともかく、大変な状況ということだね」
ナリウスが大きなため息を吐く。
貴族風の男を中心に、人の形をした黒いモヤが大量に現れて住民を襲っている――あまりにも尋常ではない。
アイスノーが進み出た。
「王太子、一刻の猶予もありません。これもまた演説時から連なる王太子を討つための行動でしょう。早く撤退しましょう」
ナリウスは狼狽している街の権力者たちに視線を走らせる。
「……まあ、そうだね。今から建立を祝おうという状況ではないね」
だが、撤収の言葉はナリウスの口からすぐには出なかった。
「いつだってお偉方は自分ばかり守る、か……」
こぼれたのは小声の自嘲。
その言葉が、死んだロックがナリウスにはきかけた言葉を受けたものだということをカイルは覚えていた。
――自分たちを守ることを優先して、この街を見捨てた! いつだってお偉方は自分ばかり守る。ちょうど今のお前みたいにな!
アイスノーが眉根にしわを寄せた。
「ナリウス殿下、御身は替えがききません。隠れるのは当然です。あなたが倒れて、どうして民心がおさまりましょうか」
「それはそうなんだけどねえ……」
アイスノーの言葉を受け入れつつ、ナリウスは何かを考える。やがて、口を開いた。
「カイル」
「はい!」
「現場に行って戦ってきてくれないか?」
少しばかりカイルは驚いた。そんな命令を予想していなかったから。ナリウスの近くに立ち、御身を守る――そう思っていた。だが、王太子の命令なのだ。カイルに否はない。
「わかりました!」
「王太子、いけません!」
慌てたのはアイスノーだ。
「カイルは信頼できる戦力です。彼がいれば殿下の身の安全は保証されます! どうか、お考え直しください!」
「そう、だからだよ。カイルがそれほどの戦力だからこそ、私は彼を派遣したいんだ」
「――!?」
絶句するアイスノーにナリウスは続ける。
「フラノスの民に約束したじゃないか。もう見捨てることはない、と。なのに、ここで再び最大戦力を手元に置いて身を隠すなんて恥ずかしい真似をさせないで欲しいんだ」
アイスノーに返せる言葉はなかった。
構わずナリウスが口を開く。
「カイル」
「はい」
「これ以上、フラノスの民への狼藉を許すわけにはいかない。お前の剣で止めてこい」
「わかりました!」
カイルは己の闘志が燃え上がるのを感じた。王太子の命を受けた、王太子の代理人。その立場でフラノスの民を助ける。これほど誇らしいことはない。
「こちらです!」
案内する兵の後を追い、カイルは街を駆けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
フラノスの路地裏を2人のローブを着た人物が走っている。2人ともフードを目深に被っているので顔が見えない。
彼らは目立たない一軒の家に身を潜らせた。
片方の人物が鋭く周囲に目を光らせた後、フードを脱いで口を開いた。
「もう大丈夫です、王太子」
近衛騎士のアイスノーだ。そして、もう一方のフードの下から出てきたのは王太子ナリウスの顔だ。
「こちらです」
アイスノーは王太子を連れて、地下へと通じる階段を降りていく。ほこりっぽい、ぎしぎしと音がなる誰もケアをしていない打ち捨てられた家――
もともとは偏屈な画家が住んでいたらしい。
ここが、緊急時におけるナリウスの隠れ家だった。
アイスノーとナリウスは近衛騎士団の本隊と別れて、2人でここに逃げてきた。
もちろん、作戦通りだ。
本隊が逃げた場所は囮、こちらが本命だ。
今回の行動計画表が漏れている可能性をアイスノーたちは想定している。ならば、そこに記されている本隊の場所を特定されるのは当然のことだ。
だから、ここを用意しておいた。
行動計画表内に、巧妙な暗号で記されていて、アイスノーを始めたとした極々一部だけがそれを読み解ける。
階段を降り切って、地下室のドアを開けた。
芸術家のアトリエで、それなりの広さがある。地下ではあるが、建物の構造的に光が入るようになっていて、ぼんやりとした明るさがあった。
「もう安心ですよ、王太――」
その言葉は突然の音にかき消された。
アイスノーがドアを閉じる間際、水平に回転した3本の短剣が飛んできた。それは轟音とともに、壁とドアに刃先を食い込ませる。
勢いで、バタンとドアが閉じた。
「くっ――!?」
アイスノーが反射的にドアを引こうとするが、できない。短剣の刃は直線的ではなく弧を描いていて、弧の部分がざっくりとドアと壁の双方に食い込み、両者を縫い付けている。
アイスノーは暗がりの向こう側に目を向けた。
「何者だ!?」
奥にわだかまっていた闇から、人影がのっそりと動く。痩せ細った男で、その口元にはサディスティックな笑みが浮かんでいる。
アイスノーはその顔に覚えがあった。
カイルの知り合いのロックという兵士を殺した男――
「俺の名前は、キラーザ。お前たちを殺すものの名前だ」
「……くっ、気配がなかったのに……!」
「気配? ははぁ、そりゃ、気配を消していたんだから当然だろ? 俺は隠密のプロだから。気づかなくても仕方がないよ」
「2つ質問だ」
ナリウスが割って入った。
「どうして、ここがわかった?」
「お前たちの暗号、モロバレなんだよ!」
「――!?」
奥歯を噛んだのはアイスノーで、ナリウスは無表情のままに問う。
「……解いたのはお前ではないな?」
「察しがいいな? そうだよ、教えてやるよ。帝国軍師クロケインが一目で解いたのさ! 残念だったな?」
「クロケイン、だと……! やつがこの街にいるのか!?」
アイスノーが怒りの声を上げた。先の戦争で手痛くやられた怒りだけが込み上げてくる。今すぐにでも見つけ出して八つ裂きにしてやりたい気分だ。
一方、ナリウスは表情を変えない。何かを深く考えているようだった。
「策士策に溺れるとはこのことだなあ? だけど、そう残念ながるな。お前たちが本隊と一緒にいたままでも、別の作戦をクロケインは用意していたからな? どっちみち結末は同じ、お前たちは詰んでいたんだからよおおおおおお!」
キラーザの言葉を無視して、ナリウスが話題を変える。
「2つ目の質問だ。なぜ、我々をすぐに殺さなかった?」
アイスノーたちは完全に油断していた。
目の前の男にその気があれば、今頃、アイスノーとナリウスの命は消えていただろう。
「はははあ……」
心の底から楽しそうな様子で、べろりとキラーザが長い舌を見せる。
「俺はね、時間があれば時間が許す限り、なぶりたい性格なんだよ、ひひ、ひひひ! この密室は本当に申し分がない!」
ねっとりとした視線がアイスノーを見て、ナリウスを見た。
「まず女、お前で楽しんでやる。ナリウスの目の前でな。お前が壊れたら、次はナリウス。ゆっくりゆっくりと刻んでやる。その毅然とした顔が涙で崩れて許しを乞うのが楽しみだ……」
本当に、たまらない。
そんな感じの顔だった。
ナリウスがため息をこぼす。
「……やれやれ……君の心配が当たってしまったな、アイスノー。どうやら私は格好をつけ過ぎてしまったらしい」
「いえ、そんなことはありません。王子の判断は正しかった――それを証明してみせます」
アイスノーが剣を引き抜き、王太子の前に立った。
「お下がりください。この私がお守りいたします!」
「はははは! 俺の存在に気づかず、運良く生かされているお前が? 実力の差は明らかだろ!? 俺に勝てると思っているのか?」
キラーザが腰から2本の短剣を引き抜く。
「面白い冗談だ! 死ぬまでの短い間、せいぜい俺を楽しませてくれよ!?」
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