第36話 聖女マリーネvs吸血鬼ラルゴス

 フラノス北部は地獄と化していた。

 突如として姿を現した吸血鬼ラルゴスと、その配下であるシャドードールのせいで。

 黒いもやだったものが集まり、漆黒の泥人形のようなものになっていた。それらが街を徘徊し、街の人々に襲いかかっている。


「ひいいいいいい、来るな! 来るんじゃない!」


 転んで動けない男性に、シャドードールが迫る。

 漆黒の腕が持ち上がり、握りしめた拳が無慈悲にも打ち下ろされ――

「ターニング・アンデッド」


 その瞬間、マリーネは神聖魔法を発動させた。

 それは、この世ならざる不浄者――亡霊やゾンビを一瞬にして天へと帰さしめる魔法だ。

 シャドードールも例外ではない。

 一瞬で砕け散り、空気となって消えた。

 男を襲っていたシャドードールだけではない。マリーネから一定の範囲にいるシャドードールが同じ運命をたどる。


(やれやれ、悪趣味ですね……)


 シャドードールの正体は、最近この地で死んだものたちの魂だ。それが強力な死霊術によってモンスターとなって襲いかかっている。

 この地で死んだもの――

 それは帝国兵だけではなく、フラノスの民もだ。

 つまり、フラノスの人々は、ひょっとすると己の親や友かもしれない敵に襲われているのだ。

 聖職者として、死者の魂を弄ぶ行為には吐き気がする。

 だが、今、懸念するべきはそこではない。


(これほどの数を生み出すなんて、相当の使い手でしょうね)


 となれば、考えられるのは――

「ははははあ、ここにいたのかね? 私の愛しい聖女・・よ?」


 マントのようなコートを羽織った男が姿を現した。

 端正な顔立ちだが、真っ赤な瞳と口元にのぞいた大きな犬歯が彼の出自を物語っている。


「あなたですか、吸血鬼?」


「ぶしつけな呼び方だな。私にだって名前はある。吸血鬼ラルゴス、お見知り置き願おう」


 キザな仕草でラルゴスが挨拶する。


「ところで、あなたに愛しい聖女と呼ばれる理由がわからないのですが」


「とぼけるのかね? 聖女である君の血は何よりも尊い。それは吸血鬼の我々にとって、文字通りの垂涎だ。その君が、普通なら手を出せない聖王国を抜け出てきて、我が手先となる迷える魂の多いこの街に、少ない手勢でやってきた――」


 一拍の間を置いて、ラルゴスが続ける。


「クロイケンの策に手を貸してやるのも当然だろ?」


「……なるほど、クロイケンの手引きですか」


 通常、誇り高き吸血鬼が劣等種である人間ごときに手を貸すことはない。だが、聖女の血を条件にしてなら話は別だ。

 そこに目をつけてとんでもない援軍を用意するとは、さすがは帝国の軍師を名乗るだけはある。


「……ですが、あなたの天敵が私自身であることもお忘れなく」


 なぜなら、吸血鬼もまた不浄の生物だから。

 すっとマリーネは右手をラルゴスに向けた。


「ターニング・アンデッド」


「げひっ!」


 マリーネの神聖魔法に取り込まれたラルゴスが体を震わせて叫ぶ。

 だが、それだけだった。

 まるで、こった首を楽にするかのように、笑みを浮かべたラルゴスが首をゆっくりと回す。


「ふぅぅぅぅう! なかなかの力じゃあないか! ちょっとした日焼けのような気分を味わえた! はははは! いい力を持っている! これは血がうまそうな女だ!」



「……当然ですか……」


 マリーネはさして落胆していなかった。

 なぜなら、予想していたからだ。吸血鬼にもその自信があったからこそ、こうやって身を晒している。


「……であれば、実力行使で滅するのみですね――ホーリー・ウェポン」


 マリーネの周囲を固める6人の聖王国の騎士たちの剣に光が灯る。

 アンデッドへの直接攻撃力を高める魔法だ。


「素晴らしい! さあ、かかってきたまえ!」



「――おいおい、勝手に盛り上がってんじゃねえよ」


 不意に響いた男の声が、ラルゴスのセリフを遮る。

 現れたのは第一騎士団の騎士10名。先頭に立つのは真っ赤な髪のブレイズだ。


「マリーネ、こいつが敵の頭か!」


「そうですよ。非常に強力ですから、とっとと隠れていてください」


「おう! とっとと隠れて――って、おい! どういう意味だよ!?」



「お下がりください。これはプロの仕事ですから」


「そう言われて引き下がれるか。この街の防衛は俺たちの仕事なんだよ!」


「やれやれ……すまないが、くだらない会話は終わってからしてくれ――あの世でね」


 大仰なポーズでラルゴスが肩をすくめる。

 そのラルゴスの周囲を、第一騎士団と聖王国の騎士団の合同部隊が取り囲んだ。


「ふぅむ、死にたがりが多いと見える……」


 くすくすと笑ってから、ラルゴスが続けた。


「極上の食事の前の、軽い運動か。かかってくるがいい」


「舐めるなぁ!」


 ラルゴスに向かって、騎士たちが襲いかかる。

 四方八方からの攻撃だが、ラルゴスは涼しい顔のままだった。軽やかな動きで剣をかわし、交わしきれないものは手で軽く打ち払う。そして、生じた隙に次々と騎士たちを叩きのめしていく。


「こいつ、マジで強ぇ!」


 慌ててブレイズが距離を置いたとき、すでに他の騎士たちは地に倒れ、うめき声をあげていた。

 ラルゴスが両腕を広げる。


「ははあ……それで終わりかね?」


「いいえ、まだです」


 マリーネが右手を差し出した。


「キュア!」


 光の粒子が、聖王国の騎士たちを包み込む。その瞬間、彼らの体から痛みが消えた。

 騎士たちは再び活力を取り戻し、立ち上がった。

 ラルゴスが驚愕の声を漏らす。


「ほおおおお!? さすがは聖女の力! なかなかのものじゃないか!」



「おい、こらずるいぞ! うちの騎士たちにもかけてやってくれ!」


 ブレイズが慌てて叫んだ通り、第一騎士団の騎士はうめき声をあげたままだった。


「残念ですけど、サリファイス教徒にしか効かないんですよね」


 再び、聖王国の騎士たちがラルゴスに襲いかかる。

 しかし、傷が癒えても力の差がそのまま埋まるわけではない。さっきの展開をなぞるかのように、あっという間に聖王国の騎士たちは打ち倒された。

 しかし――

「キュア」


 再びマリーネが回復魔法を発動させる。立ち上がる聖王国の騎士たちを見て、ラルゴスが大声で笑った。


「これはこれは! 実にひどい聖女だ! まるで騎士たちがアンデッドのようじゃないか!」


 騎士たちは再び攻め込む。

 それを笑いながら、ラルゴスが迎撃する。


「何度繰り返すのかね!? ひと思いに殺してやってた方が幸せかね?」


 騎士たちを蹴散らしながら愉悦に浸るラルゴス――それゆえに動きが散漫になっていた。

「甘いぜ!」


 声と同時、一瞬のスキをついてブレイズが一気に切り込んだ。ブレイズの腕は達人級、油断をして押さえ込める相手ではない。

 飛び上がったブレイズが剣を大きく振りかぶる。


「おらぁッ!」


 渾身の力を込めて、ブレイズが剣を振り下ろす。鈍い音がして、放たれた刃はラルゴスの頭の半ばまでを切り下ろした。

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