第30話 王太子ナリウスの演説
カイルは目の前に現れた男の顔を見て、懐かしい気持ちになった。
「ロックさんじゃないですか? お久しぶりです!」
ロックは驚いた表情を浮かべた。
「……俺のこと、覚えているのか?」
「え? 当たり前ですよ。だって一緒に戦った仲間じゃないですか!」
カイルにとって、それは特別なことではなかった。
確かに貴族は平民の顔など覚えない。だが、なるべくカイルは出会った人の顔を覚えるようにしている。それがきっと、相手を認めることにつながると信じているからだ。
そのカイルにとって特別ではないことが、ロックには嬉しいことのようだった。
「お前ってやつは……本当にいいやつだな!」
そう言いながら、上機嫌な様子でロックがカイルの肩を叩く。
旧知の人物との再会――柔らかい空気が流れる心地よさのまま、カイルは何気なく話をつないだ。
「今日は1人なんですか? 家族の皆さんは?」
その言葉は少しばかり不用意だった。
もう少し家族の安否を遠回しに確認してからにするべきだった。しかし、まだ若いカイルにそこまで求めるのは酷でもある。
一瞬だけロックは息を止めたが、すぐに表情を緩めて笑みを返した。
「今日は1人さ。お前、まだ独身だろ? たまには羽を伸ばしたい気持ちはわからんだろうな」
ロックは笑いながら、話題を変えた。
「カイルのほうこそどうしたんだ? まさか、この街が懐かしくなったのか? あ、俺と会いたくなったとか?」
「ははは、それも悪くないですけど……」
少し考えてから、カイルは答えた。
「第一騎士団の治安維持を手伝うために来てます」
実際のところは、王太子ナリウスの護衛なのだが、その件については触れなかった。
なぜならアイスノーから、絶対に他言無用と言われているからだ。要人の護衛情報なのだから当然ではある。
加えて、カイルの発言はウソではない。
カイルは第一騎士団の所属(仮)でもあるので、必要に応じてそちらの作業をすることもあるからだ。
「第一騎士団か……そうか、出世したな!」
「ありがとうございます。まあ、まだ所属不明な感じではあるんですけど……ロックさんのほうは?」
「戦争前から変わらずさ。領主の下で警備兵として働いているよ。王太子が来たものだから、てんやわんやだ」
そこで、ロックが質問を投げかける。
「なあ、ナリウス殿下の演説があるじゃないか」
「はい」
「お前は警備か何かで参加するのか?」
第一騎士団なら、そういう配置でもおかしくはない。
もちろん実際は、参加も何も近衛騎士団としてナリウスのすぐ近くで護衛をすることになる。
が、それを口にはできなかった。
「……うーん、どこかで見ていると思いますが、詳しくは聞いていませんね」
「そうか」
少し考えてから、ロックが言った。
「まあ、色々と物騒な雰囲気ってのはお前も感じてるだろ? 悪いことは言わねえ、適当に仕事をさぼっておけ。何もないとは思うけどさ、何かがあってお前が巻き込まれると寝覚めが悪いぜ」
「ご心配ありがとうございます」
「なあに、気にするな。お互いに縁があれば、また会おうぜ」
ぽん、とカイルの上腕を叩き、ロックは去っていく。
そのとき、ロックの胸中に胸中していた感情は『迷い』だった。昔懐かしい、気持ちのよくなる仲間との再会で、これから歩もうとする未来のことに少しばかり後悔していた。
だから、短く話を打ち切ったのだ。
これ以上の未練を抱えたくなかったから。
もちろん、カイルはそんなことに気付くはずもなく、心からの笑顔でロックを見送った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ナリウスの演説日が訪れた。
演説はフラノスの中央広場――最も犠牲者が多く出た場所で行われる。
王太子が姿を見せるのは広場を一望できる近くの建物で、その周辺はナリウスの登場を待つ大勢の街の人たちでごった返していた。
彼らのざわつきは重なってうねりとなり、建物の中にまで聞こえてきた。
「うーん、大人気だねえ、私は」
演説を行うバルコニーに通じる部屋のソファに座りながら、ナリウスが緊張感のかけらもない声を出している。その服は王族がまとう正装のひとつで、フラノスの人々に対するナリウスなりの敬意を表していた。
ナリウスの周りには近衛騎士団の人間たちが集まっている。自然体のナリウスとは違い、ピリピリとした空気をまとっていた。
もちろん、その空気の中にはカイルもいる。
(どんなことがあっても、王太子を守らなければ!)
そんな熱い想いを胸にして。
アイスノーがナリウスに話しかけた。
「王太子、お気をつけください」
「ふふふ、気をつけるも何も……絶対に安全なんだろう?」
それは『近衛騎士団が頑張れば』という煽りではなく、そのままの意味だ。実際、近衛騎士団は絶対に安全だと胸を張る防衛システムを構築している。
「もちろんですが……何が起こるかわかりませんので」
「そうだね。だから、こう言っておこうか」
ナリウスが続ける。
「私の身に何が起こっても、君たちは私の所に来てはならない」
「――!?」
アイスノーだけではない。他の近衛騎士たちもナリウスの言葉が理解できず固まってしまった。
「どういうことですか!?」
「そのままだよ、アイスノー。僕が呼ばない限り、君たちはここで待機だ」
そこで、にやりとナリウスが笑った。
「どんな問題が起こっても、動揺せずに立つリーダーはカッコいいじゃないか? 理想の上司って感じだろ? 守られるだけの権力者の姿ってのは見せるべきじゃないんだよ――少なくとも、今ここでは、ね」
全員がナリウスの言葉の真意を理解した。
ナリウスは、バラバラになったフラノスの人心をまとめるために来ている。疑心を持つ彼らに弱い姿を見せるわけにはいかない。そのために、ぎりぎりの危機ならば剛然と立ち向かおうとしているのだ。
ナリウスが立ち上がる。
「……さて、そろそろ時間だね」
近衛騎士の一人がバルコニーに繋がる両開きの扉を開く。
その瞬間、ずっと広場に響き渡っていた大歓声が音量をぐんと上げて部屋中に響いた。
王太子に届けたい声の数々だ。
広場には無数の人々が集まっていた。そして、無数の感情もそこにある。それが声となって轟いている。
王族への賞賛、弱い王族への疑心、王族そのものへの憎悪――
正の感情も負の感情も混ぜ合わせて、ごちゃごちゃの混沌がそこにはあった。
だが、問題はない。
なぜなら、それを1つに束ねるためにナリウスは来たのだから。
なぜなら、それこそが王族の責務なのだから。
バルコニーに姿を現したナリウスが右手をあげる。
その瞬間、歓声は熱狂となった。それが静まるのを待ってから、ナリウスが口を開いた。
「フラノスの民よ、今日はこの場に集まってもらえて嬉しく思う」
ナリウスの声は襟元につけた魔道具の力で拡大し、広場中に届く。
そのとき、刃のような怒声が響いた。
「ナリウス! 街を見捨てたことを俺たちは忘れないぞ!」
その声の後に、触発された野次がいくつか響く。
彼らは拘束されないことをカイルは知っている。第一騎士団も警備に当たっているが、暴言くらいなら無視するように、とナリウスが通達しているからだ。
彼らの声が収まってから、ナリウスが言葉を続けた。
「今の言葉を無視するつもりはない。君たちの偽りならざる本音を無視するつもりはない」
さらに言葉を紡いでいく。
「君たちはさまざまな感情を抱えてこの場に来ていることだろう。賞賛の言葉をくれる人々の心奥にも、複雑で暗い気持ちがあると察している。国はこの街を見捨てた――そんな感情を」
観衆に動揺が走る。
誰も想像していなかったのだろう、まさかナリウスがこうも踏み込んでこようとは。きっと、当たり障りのないことを言って、都合よく終らせるだろうと思っていた。
だが。
「君たちが払った犠牲、苦労は途方もないものだ。王国はその選択をした――それしかできなかったから。だけど、それを必要な犠牲だと片付けるのは君たちに失礼だろう。王国は不断の努力を重ねるべきだった。それを怠った点を、私は率直に謝罪したいと思う」
間を置いてから、ナリウスがこう言った。
「すまないことをした」
率直に、詫びた。
王族が大衆に詫びることなど、あるはずもない。
小さなざわめきが広場に広がる中、王太子は話を続けた。
「ここに大きな不幸があったことを忘れることはない。それは王国の弱さであり、王族として至らなかった部分でもある。ここに集った皆の悲しみを、我々もまた共有したい」
ナリウスの言葉は多くの人たちの心に深く染み込んでいた。
それはその場しのぎの美辞麗句ではなく、ナリウスがずっと考えていた想いだった。
聴衆たちは、様々に揺れる感情に戸惑いながら、王太子を見つめていた。
王家の人間はフラノスを大切に思ってくれている――
そんな感情が、広場に広がっていく。
(立派なものだな……)
演説ひとつで皆をまとめ上げていく王太子ナリウスの凄みにカイロは賞賛を禁じえない。
賞賛、疑心、憎悪――多様だった人々の感情が、今確かにひとつに収束しようとしている。
「過去の痛みは忘れない。しかし、未来の話もしたい。ようやく苦難の日々は過ぎ去り、新しい時代が訪れた。私は――」
そのときだった。
「ナリウス!」
さっきまでの野次とは違う、怒号のような声が響き渡った。
「お前が何を言おうと、悲しみは消えない! 死んだ人も戻らない! お前たちが見捨てた過去も、痛みも消えないんだ!」
言葉と同時、何かがバルコニーの上に立つナリウスめがけて投げられた。
あっ――
と思うまでもなく、投擲されたものはナリウスの眼前で爆発、真っ赤な紅蓮の炎を広げた。
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