第9話 リアンディア平原・決戦

 後の世において、クレイリア砦の一戦は戦争の分岐点として語られている。


 まさにこの瞬間――

 形勢が逆転したからだ。


 大きな理由としては、高名なる帝国の八騎将が討ち取られたこと。


 この事実は帝国側の勢いを大きく削り、王国側に大きな希望を与えることになった。

 加えて、今までの戦線でじわじわと失っていた兵力も、いつの間にか帝国の気勢を削ぐほどに膨らんでいたのだろう。


 抜かれれば後がない砦での逆転劇から、王国の逆襲が始まった。


 2ヶ月後にはラクノー平原から追い出し、リアンディア平原にまで追い返したのだ。

 拳を突き上げた王国兵たちの歓喜がこだまする。


「うおおおおおおおお、勝てる!」


「王国軍ばんざい!」


 敗北の坂道を転がり落ちるだけだった王国兵たちは、ついに己の勝利を信じられるようになった。

 だが、帝国側にも意地はある。

 常勝不敗の若き皇帝ラインデアの覇業に泥を塗るわけにはいかない。そして、帝国の強さを示さなければならない。アリのひとかみ程度が、巨象を止めることなどできないのだ。

 両軍の燃え上がる戦意は高まり、ついに節目となる大きな合戦が始まろうとしていた。

 カイルが呼び出されたのは、そんなある日のことだ。


「カイル・ザリングス! お前に伝令の任務を与える!」


「承知しました!」


 あいも変わらず雑用騎士として、あちこちの部隊をたらい回しにされていたカイルに新しい指示が下った。

 上官が固く封蝋された手紙をカイルに差し出した。


「この指令書を、サリファイス聖王国の軍に届けて欲しい。その後は聖王国の軍とともに行動し、今回の合戦が終わるまでは、そちらの指示に従い行動せよ」


「はい!」


 サリファイス聖王国とは、カイルが所属する王国と隣接している。昔から王国との関係は良好な点と、王国が帝国に屈すれば次に攻められる可能性が高いのもあって、同盟国として軍を派遣している。


(聖王国か)


 少しばかり、カイルは胸にワクワクするものを感じていた。異国であり、また、神への信仰を国の支柱に置いている点で特異性もある。任務中ではあるが、カイルは昂るものを感じていた。

 両軍が大激突に備えて陣を整備する間、カイルはサリファイス聖王国の陣を訪れた。


「カイル・ザリングスです! 伝令として密書を持ってまいりました!」


 迎えてくれたのは、聖王国の鎧を着た、20くらいの若い男だった。


「ご苦労」


 カイルから受け取った書状が確かに本物であることを確認した後、男が口を開いた。


「聖女様がじきじきにお受け取りになるので、直接お渡しするように。ついて来い」


「はい!」


 平静を装いながらも、カイルはドキドキしてしまった。


(聖女様と会えるなんて……!?)


 聖女とは、聖王国にのみ存在する特殊な女性だ。神によって選ばれた存在であり、神の力を行使することができると言われている。

 政治的な階級も非常に高く、まさかそんな人物と出会えるとは思ってもいなかった。


「ここだ。入れ」


 ひときわ大きなテントの中に入ると、そこに美しい女性が立っていた。歳のころはカイルと同じくらい。プラチナブロンドの髪に、司祭が身に纏っていそうな服に身を包んでいる。

 柔和な顔に、柔和な笑みを浮かべて、美しい楽器のような声で少女が挨拶をした。


「ようこそおいでくださいました。私はサリファイス聖王国の第3位聖女、マリーネと申します」


「カイル・ザリングスです。こちらをお届けにまいりました」


 カイルは片膝を地につけて、恭しい仕草で書状を差し出す。


「ご丁寧にありがとうございます」


 カイルが差し出した書状を、マリーネはにこやかな笑みを浮かべたまま受け取った。

 手紙を読んでから、その目をカイルに向ける。


「確かに受け取りました。いただいた段取りに従い、こちらも準備を進めようと思います」


「ありがとうございます。あと、上官よりこちらに残って指示を仰ぐように伺っております。聖王国の一兵として俺をお使いください」


「それをそれは。ありがたいお言葉ですね。期待していますよ」


「頑張ります。噂の聖騎士ほど役には立てないと思いますが」


 聖騎士――それもまた、聖女と並び称されるほどの、聖王国の特殊性だ。聖女と同じく神の力を分け与えられた存在で、他を圧する力を持つと言われている。

 マリーネは首を傾げた。


「残念ですが、聖騎士様は顕現けんげんされておりませんよ?」


 顕現、という耳慣れない言葉を気にしながら、カイルは口を開く。


「……え、そうなんですか? てっきり従軍されていると思っていました。国の守りを固めているのですか?」


「いえ、そうではありません。そもそも『いない』のです。聖騎士様は聖女以上に伝説の存在で、神が世界を救うために遣わすと言われています。今はまだ、その時ではないのでしょうね」


「そうなんですね」


「ですが、帝国の暴虐はあまりあるものがあります。我々を哀れに思う主が、聖騎士様という奇跡を顕現させる可能性は充分にあります」


 そこまで言ってから、マリーネは話題を変えた。


「合戦の日はそう遠くありません。お疲れでしょう、ゆっくりとお休みください」


 その日から初めて、カイルは『休む』ことができた。文字通りの客人待遇で、何もしなくていいのだ。


「何か手伝いましょうか?」


「客人に仕事をさせては、聖王国の名折れ。今回は、我々の戦いをとくと観戦してください」


 いつもは雑用騎士として手があけば何かやらされている状況だった。やることがなければ、別の部隊に飛ばされていた。慌ただしいままに駆け抜けた9ヶ月間だったが、それが体に馴染んでいたので、何もしなくていいという状況は逆にそわそわしてしまう。


(……まあ、骨休みだと思っておくか……)


 そんな日々はあっという間に終わり――

 ついに、合戦が始まった。

 王国側、帝国側。ともに出し惜しみなく兵をリアンディア平原に結集させた。この激突の勝者が、この戦争の最終的な勝者になるのは両軍ともに明らかだった。


「うおおおおおおお!」


「おおおおおおおお!」


 やがて、平原に両軍の兵の、怒涛のような声が響き渡った。帝国軍と王国軍が激突、血で血を洗う戦いが始まった。

 もちろん、聖王国もそれは同じだ。

 聖女マリーネの声が響き渡る。


「さあ、怯むことなく進むのです! 悪逆なる帝国の暴虐をここで終わらせましょう! 隣人である王国兵を救うのです!」


 聖王国の兵は王国軍にも劣らない練度だったが、それだけではなかった。


「偉大なる我らが主人よ、聖なる戦いに挑む我らに祝福を!」


 聖女マリーネが祈りを捧げた瞬間だった。

 聖王国の兵たちの体がほのかな光に包まれて、その強さを増したような気が、カイルにはした。


「あれは――」


 独り言に反応したのは、カイルを出迎えてくれた若い騎士だった。


「あれこそが聖女様の力だ。神の力を得ることで、我々は力を増すことができる」


「それは、すごいですね」


 しかし、カイルには聖王国の兵だけに戦いを任せるつもりもなかった。自分も前線に赴いて剣を振るうべきだとカイルは判断したが――


「待て」


 若い騎士に止められてしまう。


「言っただろ? 客人を働かせるわけにはいかないと。我ら聖王国軍の強さを観戦していってくれ」


 どうやら、気を使われているらしい。最前線で役に立ちたいカイルからしてみると不満だったが、出しゃばるべきではないとも考えた。

 合戦はじりじりとしたまま進行した。王国と帝国、優勢の波はどちらに寄せようとしているのか、全くわからない。

 拮抗した押し合いが続いていた、そんな瞬間だった。


 ――轟!


 強烈な横撃が、聖王国軍の横っ腹に突き刺さった。それは騎馬を中心としたわずか100の突撃兵だった。あまりにも小さな部隊が一瞬の隙をついての奇襲。あっという間の出来事に聖王国側は即座に反応できなかった。

 そして、突撃を許したところは聖女マリーネまで至近の位置だった。


「聖女様を守れ!」


 慌てて聖王国の兵たちが立ち向かうが、一瞬にして切り捨てられる。

 突撃兵はいずれも精兵だった。

 おまけに、その暴力の中央に立つのは――


「ふははははは、俺は八騎将のガルガイン! 聖女マリーネ、お前の命もここまでだ!」

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