第48話 影の英雄カイル・ザリングス
深夜に沈む王城。
窓から月明かりだけがさす薄暗い通路をカイルは一人で歩いていた。特に後ろめたいことはないのだが、時間帯を考えて、そろっとした足取りで。
エルダナ村での骨休めから帰ったカイルに緊急の指令が降ったのだ。
時間は真夜中、場所は――
彼の向かった先には大きな両開きのドアがあった。
その手前には二人の人物が立っている。
アイスノー・クレイブスとブレイズ・ファルシノスだ。二人とも、貴族としての正装を見にまとっている。もちろん、カイルも同様だ。
「心の準備は大丈夫か?」
「はい、問題ありません」
ブレイズの言葉にカイルは頷く。
実際は、できてなどいない。今もまだ胸の高まりは鎮まらない。だが、どうせ落ち着くことなどないことをカイルは知っている。ならば、時間などかけずに飛び込むだけだ。
ブレイズがドアの左側に手を置いた。
「そう緊張するなよ、カイル! 黙っていりゃあ、勝手に終わる!」
その言いぐさに、鼻で笑ったアイスノーが右側のドアに手を置いた。
「お前がそれを言うのか、ブレイズ? お前、謁見の経験はなかったと思うが?」
「はあ!? それはお前もだろ、アイスノー!」
「そうだな。だから、まあ……この場合の適切な言葉は――カイル。お前の晴れ姿を見せてくれ。王国の騎士として、王族に忠誠を誓うものとしての姿、楽しみにしているぞ」
「はい……!」
ブレイズとアイスノーが同時にドアを開ける。
そこは謁見の間だった。真っ赤な絨毯がドアからずっと先へと伸びている。その先にいるのは――
聖女マリーネを歓待したときには、ここにはカイルたちも含めてびっしりと要人たちが控えていた。だが、今は違う。閑散としていた。薄暗い部屋の奥にいるのは、わずか3人だけ。
カイルは絨毯踏みしめて前へと歩き出す。
少し離れた後ろを、ブレイズとアイスノーの二人が付き従った。
本来であれば、褒賞の席であれば華やかな管楽器の音が響き渡り、大勢の要人たちが祝福してくれるはずだった。だが、ここに音はなく、闇に沈み、限られた人だけが同席を許されている。
なぜなら――
これは『影の英雄』のための謁見なのだから。
絨毯の終点にいたのは、左側が第一騎士団団長マーシャル・フロイツェル、右側が近衛騎士団団長クリス・アパーネット――
そして、玉座に座るのは王太子ナリウス・グリア。
3人とも謁見に相応しい最上級の服をに身に纏っていた。
「カイル・ザリングス。参りました」
カイルは片膝をつき、首を垂れる。
ナリウスが口を開いた。
「こんな夜更けに迷惑をかけるな、カイル――いや、他の四人も含めて。本来であれば、華々しくカイル・ザリングスの名誉を発表したいところだが、それは叶わぬこと。私の器量不足を許してくれ、カイル」
「……いえ、王太子の寛大なるお心には感謝しか堪えません。故郷の村への絶大なる支援には頭が下がる思いです」
「そこまで感謝してもらえて心から嬉しい。お前が驚いてくれることを期待して、黙って帰らせたのだから」
イタズラが成功したかのような口調で王太子が楽しそうに言う。
「お前の貢献に比べれば遠く及ばないが、せめてもの心づくしだ。今はこれで満足してくれ」
「いえ、充分に満足しております! しかも男爵にまで格上げしてもらって……!」
「男爵くらいで喜ばないでくれ。とりあえず、子爵まであげるのは内定しているから」
「……え?」
「ああ、これは父君には内緒にな。何事も驚きがないと」
くすくすと笑ってから、ナリウスが続ける。
「それに、それくらいで納得してもらっては困る。私はお前に伯爵の上、侯爵くらいには上がってもらうつもりだからね」
「!?」
あまりにも高すぎる爵位にカイルは卒倒しそうな気分だった。
最下層の衛爵から、侯爵!?
「なんなら、私の妹と結婚してもらって、公爵になってもらってもいいぞ?」
「……え、ええと……」
「ははは! これはそこまで本気じゃないよ!」
「で、ですよね……」
応じつつも、カイルは『そこまで本気じゃない』ということは、かなり本気であることに気づいている。
そこでナリウスが声色を真剣に変えて話を続ける。
「だけどね……これはあまり気楽に考えないでほしい。なぜなら、それだけ君にかかる期待の大きさの表れだから。私は君に、きっと途方もないことを頼もうとしている――それゆえの対価だ。覚悟してくれ」
「承知しております」
カイルに躊躇いはない。
父親から、たとえ衛爵であっても、王国と王家に対する忠誠を叩き込まれてきた。国のため――そして、王国の民のためであれば、命をかける覚悟などとうにできている。
「カイル、お前の厚い忠義に感謝する」
ナリウスが立ち上がった。
そこで、近衛騎士団団長のクリスがそっとナリウスに近づいた。そして、右手に持っていた一本の剣を恭しくナリウスに差し出す。
クリスが戻った後、ナリウスが口を開いた。
「カイル、残念ながら、お前個人に褒美を与えることができない。帝国の諜報に気づかれる可能性があるからな――だから、せめて一本の剣を渡そう」
その剣は、王家から下賜するものとしては、無骨で華美さのかけらもない地味な作りの剣だった。
「地味ゆえに人目は引かないだろう――だが、これは王家が所有するものでも、とびきりの宝剣カヌンダークだ。目立たないが、その切れ味と耐久性は極上。まさにお前にふさわしい逸品だ」
ナリウスはカイルに近づき、カイルの肩に鞘に収められた宝剣カヌンダークを当てた。
「カイル・ザリングスよ、お前に『影の英雄』としての責務を与える。決して表には出ず、裏から王国を守れ。お前の英雄譚はいずれ語られるだろう。だが、それがお前の生前なのか死後なのかはわからない。ただ、これだけは約束する。私はお前を忘れない。ここにいるものもお前を忘れない。王国のため、影で剣を振るう英雄となれ」
カイルは目をあげて、しかとナリウスの目を見た。
その力強い瞳に、カイルは言葉を返す。
「もちろんです、王太子。私、カイル・ザリングスは喜んで影の英雄となります。この剣、この身を王国の未来と民に捧げます」
「うん」
満足げに頷いたナリウスは剣をカイルに差し出した。
「頼むぞ、カイル」
「はい」
カイルは宝剣カヌンダークを受け取る。
今ここに、影から王国を救う英雄が誕生した――
雑用騎士が実は影の英雄 三船十矢 @mtoya
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