第39話 影の英雄の激発
「ぐはっ!」
アイスノーの腹に、キラーザの蹴りが決まり、たまらずアイスノーは後ろへとよろける。
キラーザが肩を揺らした。
「おいおいおいいいいいい!? 俺を倒すんじゃなかったのかあ!? 弱いねえ! マジ、弱ぇ! お前さ、俺に何度殺されてるんだよ?」
「……くっ!」
答えは、奥歯を噛みしめたアイスノーの表情が代弁していた。
(この男、強い……!)
まさに、手も足も出ないとはこのことだ。圧倒的な強さでアイスノーの力を弾き、ねじ伏せてくる。
1対1で勝てる相手ではない、アイスの冷静な部分がそう判断していた。
しかも恐ろしいことに――
この男はまだ本気を出していない。
いつだってアイスノーを刺し殺せるだけの機会はあるのに、つけているのは小さな切り傷と軽い打撃だけ。
動けなくなるほどの致命傷には遠く及ぼない。
薄笑みを浮かべたまま、アイスノーを少しずつ刻んでいき、苦しみ足掻く様子を楽しんでいる。体ではなく、心が折れる瞬間を待っている。
ぎりっと、アイスノーは奥歯を噛みしめた。
(舐めた真似を! 負けてたまるか!)
彼女の背後にはナリウスがいるのだから。近衛騎士の誇りとして、引くわけにはいかない。
アイスノーが眼力を強めるが――
「へへへへへ、いいねえ、その顔が泣き顔で歪めたくてたまらねぇ!」
キラーザは逆に興奮するばかりだ。その目が、アイスノーの背後に立つナリウスに向く。
「なあ、王太子。お前の忠義ある部下が俺に刻まれてるわけだが、どおおおんな気持ちだああああ?」
答えないナリウスに、キラーザがさらに言葉を重ねる。
「こう、お前も男だろ? 剣を持って一緒に戦ってやろうって男気はないのか?」
「……アイスノー」
「はい!」
「助けは必要か?」
「不要です!」
「わかった、信じよう」
ナリウスがキラーズを睨みつける。
「私はアイスノーを信じるだけだ。アイスノーが勝てない相手に、私が助力したところで意味などない」
アイスノーは再び闘志が燃え上がるのを感じた。
信じられている!
家臣としてその思いに答えなければならない!
「はっはっはっは! いいねえ! だけどまあ、そのすかした感じはつまらねえ!」
キラーザの殺意がナリウスに向くのを感じた。アイスノーはさせまいと襲いかかるが――
「うわっ!?」
一瞬で、天地が逆転した。
気がついたときには地面に這わされていた。
アイスノーが立ち上がるよりも早く、キラーザがナリウスへの間合いを詰めた。
「――!」
「王太子、痛いのはお好きかなぁ!?」
キラーザの連打がナリウスの体を打った。
「かはっ!」
「そういう感じでさあ。ゆがんだ表情をしていてくれよ! それが見たいんだからさああああ!」
言うなり、キラーザがナリウスの体を蹴り飛ばす。ナリウスを体は木っ端のように吹き飛び、部屋の端の壁に激突した。
「王太子!」
アイスノーの悲鳴が響く。王太子はかなりのダメージを受けているようだが、死んではいないようで、なんとか身を起こそうとしている。
「サボらないでくださーい! ナリウスくーん! 人体破壊のエキスパートの俺が、死なない程度にうまく手を抜いてやったんだからさああああああ! でもあれ、ちょっとオイタしすぎたかな? ひゃははははははははははあああああ!」
「貴様!」
怒りのままにアイスノーがキラーザに襲いかかるが――
「そう欲情するなよ? 今から相手してやるからさ!」
数撃の打撃でアイスノーを鎮圧、彼女の頭を手で押さえ、そのまま地面に押し倒した。
「がっ?」
キラーザはアイスノーの体に馬乗りになり、引き抜いた短剣を右手でくるりと回す。
「あはあはあはあは! さあ、お待ちかねのパーティータイムだああああ! ナリウス! お前はそこで見ていろよ! お前の愛する家臣が壊れていく様をな!」
「くっ、や……やめろ! 殺すなら、私だけを――」
「ああ、いいねえ、王太子! その辛そうな顔! それが見たかったんだよ! へへへへ! まずは左目からだ!」
キラーザがゆっくりと短剣を降ろしてくる。
アイスノーの視界の左側を、凶悪な銀の輝きが占めていく。
「ひひひひ! さあ、いい声でよがってくれ! 俺を楽しませてくれよ!」
アイスノーは目をぎゅっと閉じた。
(ここまでか……くそ! 私は、私は――!)
短剣が、まさにアイスノーの眼球を刺す――
その瞬間。
「邪魔者か!」
音高く舌打ちして、キラーザが立ち上がる。
その視線がドアに注がれた。
そのとき、アイスノーも気がついた。アイスノーたちが降りてきた階段を、大急ぎで駆け降りる大きな音が。その音はドアの前で止まり――
轟音。
真っ二つになったドアが吹っ飛び、外から誰かが部屋に飛び込んでくる。
その姿は――
「大丈夫ですか、王太子、アイスノーさん!」
カイルだった。
アイスノーはこの場所をカイルにも教えていた。万が一の事を考えてだが、その行為は正しく報われた。
きっとカイルは地下から聞こえる物音や笑い声に異変を感じ、駆け込んできたのだろう。
駆け込んできたどころか。
カイルの体中から汗が滴り落ち、肩で息をしている。底なしの体力を誇るカイルのそんな姿を、アイスノーが見たのは初めてだった。
街の北部に出たモンスターを倒し、そこから大急ぎでここまで来た。
その行動量は常人のそれを超える。
地獄に現れた希望――喜びに胸を焦がしながら、アイスノーがカイルの名を呼ぼうとした。
しかし。
「大人の楽しみを邪魔するんじゃねえよ。ガキ!」
言葉と同時、キラーザが短剣を投げつけた。
まずい! とアイスノーは思った。部屋に入ってきたばかりのカイルはまだ状況がつかめていない!
迫る白銀のひらめき。
それがカイルの頭に突き刺さろうとした刹那――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「大人の楽しみを邪魔するんじゃねえよ。ガキ!」
ひどく神経にさわる声が聞こえた。
同時、視界の端に銀色の輝きが飛び込んでくるのが見えた。
普通であれば、その銀に命を刈り取られて、終わり。
だが、ここにいるのはカイル・ザリングス。
考えるよりも先に、神経が反応した。
右手で持っていた剣で一閃、飛んできた短剣を弾き飛ばす。
「へえ!?」
そんな様子を見て、キラーザがおかしそうな声を上げる。
カイルは声の方角に目を向けて――
一瞬にして感情が怒りの炎に染まった。
短剣を投げつけてきた男の顔には見覚えがある。ロックを殺し、カイルたちの目の前から消えた男。その憎々しい表情と目の前のそれが一致した。
そして、その目がとらえたのはそれだけではなかった。
ボロボロになって倒れているアイスノーと王太子の姿もまた。生きてはいるようだが、相当のダメージを受けているのは明らかだ。
全てを知るには、十分な情報量だった。
カイルの奥歯がぎしりと鳴る。
「……お前が……やったのか?」
「ああ、俺だぜ? なんかムカついているのか? お前が? いいか、ムカついているのは俺だ! 俺なんだよ! お前にそんな権利はねえんだよ! こっから最高のお楽しみだってのに、お前が邪魔したからなあああ! 速攻でバラして終わりにしてやる!」
キラーザが腰から引き抜いた2本の短剣を構える。
カイルも警戒態勢を取りながら、しかし、動くよりもまずは言葉を発した。
「戦う前に教えてくれ」
「あん?」
「ロックさんを殺したのはお前だな?」
「ロック?」
「……領主の館で、ナリウス殿下を襲った男だ」
「ああ、あいつか。そうだよ」
返事を聞いたカイルの表情を見て、キラーザの表情に笑みが浮かぶ。
「いいね、その顔! なんだ、あれの知り合いか? なら、ついでに教えてやるよ。あいつをたきつけて裏切らせたのも俺だ! どうだい、恨みマシマシになったか、あひゃひゃひゃひゃ!」
罵倒の如き笑い声を聞きながら、カイルの感情は興奮よりも冷めていった。
もはや感情は怒りを通り越して、より澄んで研ぎ澄まされた境地へと至っていた。
ロックを扇動しただけでも許せないが、その上で、この男はロックを覚えてすらいなかった。踏みにじった相手の名前すら覚えていない――
それが、温厚なカイルの逆鱗に触れるのは当然だった。
「そうか」
短く言って、カイルは剣を構えた。
「……ロックさんは俺の友人だ。彼の魂を踏みにじったお前を、俺は許すわけにはいかない!」
「あははははははは! いいね。いいね。いいね! 仲間のピンチにギリギリでやってきて、旧友の仇を取ると叫ぶ。この、主人公ムーブよ!」
そこで、でろりとキラーサが舌をだす。
「お前を煽りに煽って! さっさと殺しゃあいいのにターゲットで弄んで――それで負けたら俺がバカみたいじゃないか? ああ? お前の体に教えてやるよ。そんな都合よく話は進まねえってな!」
「くだらない能書は聞き飽きた。もう死ぬ準備はできているのか?」
「調子に乗るな、ガキが!」
殺意に塗れた2つの影が今、交錯する。
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