第29話 戦友ロック

「恨む権利、ですか?」


 飄々とした王太子の口から出てきたギョッとする言葉にカイルは驚きを隠せない。

 ナリウスはチラリと視線を窓の外に向けた。


「この街もまた、戦争に巻き込まれた場所だからねえ……」


「覚えています。俺も参加しましたから」


「そうなのかい?」


「はい」


 国境近くにあったフラノスは物資の保管など前線基地の役割を任せられ、それゆえに帝国軍の攻勢にさらされた。


 重要な拠点ではあったが、王国が連戦連敗だった頃の話で戦力は不足していた。脆弱な防衛は突破され、多くの帝国兵たちが攻め込んできた。

 カイルは街中の防衛兵として待機していて、多くの帝国兵たちと相対することになった。


 そのときの記憶は、カイルにも辛いものだった。


 戦場で味方が死ぬのは悲しいことだが、割り切れる。なぜなら、それは命を賭けて戦う兵士だから。そういうものだから。だが、市街地での戦いは違う。戦争とは関係ない普通の人たちが殺されていくのだから。


「……正直、ひどかったですね」


「そうか」


 少し目を伏せてからナリウスが話を続ける。


「そんなふうにしてしまったのは王国の弱さ――統治する私たち王族の責任だ。親や子を失った人々に恨まれても仕方がない」


「…………」


「フラノスは、街中に渦巻く感情でバラバラになっている。だからこそ、今回の慰霊を行う必要があった。彼らの気持ちを受け止めて、一つにまとめ上げるために。彼らに、もう一度、王国を信じてもらうためにね」


「王太子……」


「だから、必ず成功させなければならない。危険があるのは重々承知だ。彼らの痛みを思えば、そんなものに怯えているわけにはいかないからね」


 そしてしっかりとした目でカイルを見る。


「カイル・ザリングス。近衛騎士団として君の活躍に期待する。私は私の責務を果たす。君は君の責務を果たしてくれよ?」


 ナリウスが口にしたフラノスの人への思いに嘘を感じなかった。きっとそれは、真心から民を案じる気持ちからきたのだろう。


(この人の力になりたい)


 だから、カイルは素直にそう思えた。

 カイルもまた、王太子の視線を正面から受け止めて強くうなずく。


「はい、お任せください」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 そんな会話が交わされていた馬車を、冷めた目で眺めている30手前くらいの男がいた。

 男の名はロック。

 胸に去来する不愉快な感情に奥歯を噛み締めた。

 怒りが、体内で熱く燃え上がっている。


(ようやく来やがったな! 今頃――帝国の犬どもが消えてからノコノコと!)


 ロックは王族に対して強い恨みを持っている。

 この街が帝国に踏み荒されたのは、自分勝手な王国が我が身かわいさに切り捨てたからだと思っている。


 その結果――

 ロックは妻と幼い子供たちを亡くした。


 戦争は終わったが、ロックに救いはなかった。


 平和が訪れても、そこに彼の心を温かくしてくれていた存在はもういなくなっていた。

 そんな感じで生きているのか、死んでいるのかもわからない日々を過ごしていると――

 ある日、目つきの悪い痩せ細った男が眼前に現れた。


 男はザーラキと名乗り、


「復讐がしたいか?」


 まるでロックの心を見透かすようにそんなことを言った。


「うるさい。あっちに行けよ」


 最初は取り合わなかったが、そんなロックの前に連日のように現れて、ザーラキは王国の支配者が無能かを語り続けた。

 それは、まだ感情の整理がつかないロックの心を一方に傾けていった――ロックは気づかなかったが、ザーラキと名乗る男が意図的にそう仕向けたのだ。


「よく聞け、ロック。王太子ナリウスがフラノスにやってくる。俺はそこで仕掛けるつもりだ。今は仲間を集めているんだ。同じ王国に恨みを持つ連中をな――お前もやるだろう?」


 そして、こう続けた。


「嫁と子供の弔いだ。俺たちの怒りを国に示すんだよ!」


「わかった、やるよ」


 その瞬間、ロックの覚悟は決まった。王族は敬愛するべき存在ではなく、憎むべき敵となった瞬間だった。

 ロックは今、敵に向ける視線を去り行く馬車に向けている。


(いよいよだ……いよいよ! 目にもの見せてやるぞ、王家の連中にな!)


 その翌日――

 ロックは街を1人で歩いていた。

 王族が来たというだけで、街の空気は昨日まで比べて様変わりしていた。

 好意的な声、中立的な声、否定的な声――

 バラバラだった感情に、前向きな気持ちが増えていた。


「戦争が終わって、こんなにも早くフラノスに来てくれるなんて! 国は俺たちを見捨てていなかったんだ!」


 そんな楽観的な声が聞こえてくる。

 ロックは舌打ちした。


(お前たちの怒りはそんなものなのかよ!)


 ちょっと甘い顔をされただけで、すぐに気を緩めてしまう。


(俺はどんなことがあっても忘れない)


 あの戦いの記憶は今も脳裏に焼き付いている。


 防衛ラインを突破して帝国兵たちが街に押し寄せてきたとき、この世の終わりのような気分だった。


 ロックは防衛部隊に参加して必死に剣を振るった。


 街のみんなを、家族を守るんだ!


 それでも押し寄せる帝国兵の勢いは止まることを知らず――

 複数の帝国兵に囲まれたとき、ロックは死を覚悟した。


(くそ、せめて一人だけでも道連れに!)


 地面に片膝をついたロックがそんな覚悟を決めたときだった。

 奇跡が起こった。

 疾風のような速度で何者かが乱入し、一瞬にして帝国兵を撫で切りにしたのだ。


「――!?」


 動揺するロックに、救世主が手を差し伸べた。

 驚いたことに、彼はロックより10以上も若い、幼さの残る少年だった。


「大丈夫ですか?」


「あ、ああ」


 彼の手を取り、ロックが起き上がる。


「俺の名前はロックだ。お前は?」


「カイル・ザリンクスです」


「おっと、貴族様か? すまねえ!」


 慌ててロックは手を引っ込める。それはもちろん、見ず知らずの一般兵が貴族に手を触れるなど言語道断だからだ。

 カイルは気さくな様子で手を振った。


「気にしないでください。俺は衛爵なんで、偉くないです。年上ですし、タメ口のままでいいですよ」


 なんだか、変なやつだな、とロックは思った。

 貴族といえば偉そうにするのが普通なのに、こんなふうに言うなんて――

 そんなふわっとしていながらの、あの鬼気迫る強さ。

 どうにも、よくわからない。

 ロックが口を開きかけたとき、カイルは口元に指を当てた。


「しっ」


 にこやかな表情を言って一変させて、カイルが鋭い視線を走らせる。


「……帝国兵が来てます! 行きます!」


「俺もついていくぜ!」


 それからしばらく、ロックはカイルとともに剣を振るった。

 ……いや、それは誇大表現だろう。

 ともに戦ったというよりは、ロックは圧倒的な力で帝国兵を蹴散らすカイルの近くをちょろちょろしていただけ。


 カイル・ザリングスはとんでもなく強かった。


 群がってくる帝国兵を片っ端から切り倒していくのだから。


(な、なんだよ、こいつ!?)


 その強さは、例えるのなら、閃光のようだった。

 まばたきほどの時間で、帝国兵たちを切り捨てていく。見るものに、息をすることすら許さないほどだ。

 ただただ、全てをねじ伏せる――いや、全てを蹴散らす圧倒的な力。


「カイル、お前すげーな……」


 ロックの賞賛を聞いても、カイルは冴えない様子だった。


「そうですかね……? まあ、多少は強いと思いますが」


 どこが多少なんだよ!

 自分の力を理解できていないのか?

 ロックはそれを疑ったが、


(いいや、違うか……)


 謙虚な感じの男なので、これは謙遜だと思い直した。

 そうやって戦いを続け、やがて帝国兵たちはフラノスから撤退していった。


「お前、すごかったぜ!」


「少しは役に立てましたかね?」


 少しどころか。


(帝国兵を追っ払えたのはこいつの無双のおかげじゃないのか?)


 あれだけ兵力が損耗すれば、帝国軍もひとたまりもないだろう。

 だが、それを伝えるよりも重要な用事をロックは思い出した。


「あ! すまねえ! 家族の様子を見てこなきゃ!」


「そうですか。俺は本体と合流をしようと思います」


「じゃあここでお別れだな」


「早く家族の人のところに行ってあげてください」


 ロックはカイルと別れて、自分の家に駆け出した。

 戦闘区域から離れているから心配はないだろうと思っていたが――


 ドアを開けた瞬間、そこにロックは絶望を見た。


 回想を終えたロックは奥歯を噛み締める。


(そうだ……この光景がある限り、まぶたに焼き付いて離れない限り、俺は怒りを忘れない!)


 怒りに燃料を注ぎながら、回想から拾い上げた別の記憶のことをロックは考えていた。

 カイル・ザリング。


(あれほどの男がいてくれたら、きっとナリウスの暗殺も楽にできるだろうに……)


 そんなことを思っていたら――


「え?」


 視線の先に、見覚えのある男が映った。


 まさか自分の見間違いでは? ちょうど今思い出していたからそう見えるのでは?

 そんなことを思いつつ、ロックは男に近づく。


「なあ、あんた……ひょっとして、カイルか?」


「そうですが?」


 振り返ったのは、間違いなくあのときの英雄だった。


(しまった! 貴族が俺のことなんて覚えているはずが――)


 なんてロックは思ったが。

 カイルは驚きながらも、喜びの笑みを浮かべた。


「ロックさんじゃないですか? お久しぶりです!」 

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