第5話 近衛騎士団アイスノー・クレイブス
「作戦部より通達! リアンディア平原を速やかに破棄、本陣を引き払い、後方へと退却する!」
撤退の話を兵たちに伝えながら、アイスノーは暗い気持ちを抱えていた。
――少し前にした上官との会話を思い出す。
「君に
「はい。問題ありません」
「殿を任せるのは、君に死を命じるためではない。君の指揮能力に期待するからだ。ある程度の死は必要だろうが……それは他者の仕事だ。君は必ず生きて戻ってこい」
「肝に銘じます」
上官の言葉は非道だったが、戦争では普通だった。戦場において命は平等ではない。自分よりも大切な命のために、死ぬのは当然のことだ。
近衛騎士のアイスノーだって、もしも王がそこにいるのなら、王が生還するために己の命を捧げる。
だが、その覚悟があっても――
(死ぬ人間を選ぶのは気分がよくないものだ)
そんなことを思いながら、アイスノーは高確率で死ぬであろう残存要員の選定に取り掛かった。
やがて、本隊の撤退が始まる。
その動きを察知したのだろう、帝国の大軍が押し寄せてきた。
「堅守!」
アイスノーの部隊はよく戦い、帝国軍の足を止めた。
だが、結局のところ、それしかできなかった。帝国軍の圧力に押しつぶされ、引きちぎられ、潰走した。
リアンディア平原もまた、帝国軍側に落ちた。
アイスノーは撤退した本陣との合流を目指して逃走していた。部隊は散り散りになり、今は一人だけだ。
林の中を移動しながらアイスノーは思う。
(果たして勝てるのだろうか……?)
帝国軍の強さは圧倒的だ。個々の強さで王国兵との差はそれほどないとアイスノーは見ているが、連戦連勝の勢いと若き覇王ラインデルへの忠誠心が兵の力を強めている。国力の差も絶大で、単純な物量でも後塵を拝している。
だが――
(光はあるのかもしれない)
ついさっきの光景だ。
襲いかかる帝国兵の群れを右に左に切り捨てていた凄腕の兵がいた。単純な剣の技量では自分をも上回るだろう。
まさに修羅のような強さだった。思わず見惚れてしまうほどの凄みを彼から感じた。
あれほどの使い手をアイスノーは見たことがない。
惜しむらくは乱戦に飲まれて姿を見失ってしまったことだが、彼ほどの実力であれば、この凄惨な状況でも生き残れるだろう。
(無事に帰れたら、彼のような兵を活かすことも……む!?)
そこまで思ったとき、思わずアイスノーは息を止めた。なんと、その『凄腕の兵』と思われる男が視界に映ったからだ。
王国では珍しい黒髪を見間違えるはずがない。
偶然の出会いに浮き足だったアイスノーは声をかけようと無遠慮に近づいた。
あと一歩、というところで――
殺気が爆発した。
(――!?)
とっさに体が反応する。振り返りざまに放たれた男の一撃をアイスノーはギリギリで受け止めた。
男が慌てて剣を引く。
「す、すみません! 部隊所属のカイル・ザリングスです! 慌てていたとはいえ、上官に斬りつけてしまうなんて!」
「……いや、気にしなくていい。緊急事態なのだから。むしろ、背後から黙って近づいた私のほうこそ悪い」
その後、二人は会話を続けた。
「最前、君が奮闘している様子が見えてね。素晴らしい動きだと感心していたのだ」
「こ、光栄です! ……だけど、自分の腕の拙さを思うと心苦しい限りです。まだまだ満足な貢献ができていません……」
カイルの表情には本音以外の感情がなかった。どうやら心の底から、そう思っているらしい。
(……まさか、まだ自分の実力に気づいていない?)
18と若いアイスノーよりも若い少年だ。おそらくは初陣。戦うだけで精一杯で、周りが見えていないのだろう。
その思い違いを正そうとアイスノーは口を開いた。
「そう気に病むな。君の強さは――」
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
「うわあああああ、だ、誰か助けてくれええええ!」
誰かの悲鳴が聞こえたからだ。どうやら帝国兵から逃げる王国兵のようだ。
緊張感を高めるカイルにアイスノーは短く声をかけた。
「静かに」
「!? ……助けないんですか?」
「そんな余裕はない」
アイスノーの判断は冷酷だが、正しかった。逃げ延びることを考えれば、余計なリスクは犯せない。
「わ、わああああ!」
「へへへ、どうした? もう終わりか」
恐怖にまみれた王国兵の悲鳴と、圧倒的強者としての興奮にまみれた帝国兵の嘲笑。
アイスノーも屈辱的ではあった。できるのなら、今からでも飛び出して味方を助けてやりたい。
だが、それができない。心のままに生きることができれば、どれほどにいいことだろう。
だが、納得していない人物もいた。
「俺は、行きます……!」
「――!?」
虚を疲れたアイスノーは慌てて口を開く。
「待て……! 危険すぎる……!」
「わかっています。それでも――俺は助けたいと思います」
そこには揺るぎようのない感情があった。
もう決めたこと、その目はそう語っている。
「……アイスノーさんは指揮官です。無理せず戻ってください。生きて帰ることが仕事です。無理をするのは、俺みたいな雑用の仕事です」
「思い直すんだ! 君を失うわけには――!」
アイスノーの言葉を皆まで聞かず、カイルは悲鳴が聞こえた方角へと走り出した。
(勇ましいな……)
シンプルに正義感と優しだだけで動けるカイルにアイスノーは羨ましさを感じていた。その背中を追いたい気持ちはあったが、アイスノーにはできなかった。
――ある程度の死は必要だろうが……それは他者の仕事だ。君は必ず生きて戻ってこい。
上官の言葉を思い出す。
アイスノーは死ぬべき人間ではない。王国の逆襲には彼女の力が必要だと期待している人がいる。
だから、自分勝手に生きるわけにはいかない。
(……生きて帰ってこい、カイル!)
アイスノーはそう願いながら、カイルとは別の方角へと歩き出した。
やがて、必死の逃避行の果て、アイスノーは本陣と合流することに成功する。
「どれくらいの兵が生きて戻ってきた?」
声をかけた同僚の顔色は冴えなかった。
「……追いついてきた連中は数えるほどだ。仕方ねえよ。あんな戦場じゃあな。ま、まだ戻ってくるのはこれからだ。期待しようぜ」
アイスノーはカイルの帰還を待った。
(あれだけの使い手だ。王国には必要な人材。生き延びて欲しい……!)
だが、しばらくしてもカイルの姿は見えなかった。
夕暮れに染まる平野を眺めながら、アイスノーはため息をこぼす。
(……今日も現れないか。無理だったか……)
破竹の勢いで押し寄せる敵の大軍から逃げ延びるのだ。凄腕の人間が強運をつかんでこそ成り立つ奇跡。
それを、まともに動けない仲間を気にかけながらなど――。
(やはり、止めるべきだったか)
アイスノーの胸に苦い後悔が浮かび上がる。
そのとき、アイスノーは平野の向こう側に現れた影を見た。
ふらふらになりながら戻ってくる、7人の兵士たちを。黒髪の少年カイルを中心に、血と砂にまみれた男たちが戻ってくる。みんな疲労でぼろぼろだったが、カイルだけは背筋を伸ばし、力強い足取りで歩いている。
あの1人だけではなかった。
さらに5人の仲間を助けてカイルは戻ってきた。
(――!)
たかだか助けたのは6人の兵だ。だが、その難易度はとてつもなく高い。その証拠にカイル以外の人間はまともに歩けてすらいない。途中で見捨ててもおかしくはない。
だが、カイルはやり遂げた。救った兵は6人だが、助けたい、と語った一念を貫いた様子は立派だ。
アイスノーは感極まり、胸に熱いものを感じた。
「……アイスノーさん……?」
本陣にたどり着いたカイルがアイスノーに気がついた。
アイスノーが口を開く。
「君が、彼らを救ったのか?」
「はい。みんな、困っていたみたいなので」
はにかんだ様子で、当たり前のように言う。
(また気がついていないのか……?)
どれだけ無茶なことを成し遂げたのか、彼は気がついていない。必死に愚直に、目の前のことを果たしたのだろう。
アイスノーは心からの敬意をカイルに感じた。
「君という男は……本当にすごいな!」
「ありがとうございます。できることをしただけですよ」
それから、アイスノーは王国軍の高級士官として、膨大な雑事に追われた。その作業が終わった数日後、アイスノーはカイルの人事に取り掛かった。雑用としてふらふらしているカイルを部隊に留め置き、それなりの職責を与える。
(これは大事なことだ!)
だが、上官の返事は残念なものだった。
「カイル? ああ、あの雑用騎士か。もうすでに配置転換して、うちにはいないぞ」
「な!? ど、どこの部隊に!?」
「さあな。これだけの再編成だ。雑用がどこに行ったかなんて、わからない。諦めるんだな」
「……わかりました……」
あれほどの実力者を手放してしまったのは残念だが、きっと彼ならば、どこででも成果を上げることだろう。
彼という人間を知ることができた幸運を喜ぶべきだ。
そして、同時にアイスノーは決意した。
(もしも、この戦争が終わったら、彼を近衛騎士団に推挙しよう。カイル・ザリングス、その名は覚えたぞ)
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