雑用騎士が実は影の英雄

三船十矢

第1話 下級騎士の息子

 エルダナ村――その名を王国で知る人はほとんどいない。

 神秘的な理由があるからではない。逆に、知れ渡る理由がないからだ。どこにでもある、貧しく寂れた小さな村。


 そんな村を治めるのが衛爵えいしゃくのザリングス家だ。


 衛爵とは男爵の下にある最下級貴族の称号で、主に君主から借り受けた土地を代理で治める騎士に与えられる。

 一応は領主なので彼らの邸宅は格式のあるものだったが、いささかそれは古めかしく、あちこちに不恰好な修繕の跡が見られる貧しい村にふさわしいものだった。


 だが、それはザリングス家の恥ではない。

 それは彼らの先祖がつつましく村を納め、村民たちに寄り添い続けたことの証であり、誇りでもあった。


 そう嫡男のカイルは理解している。

 カイルは玄関のドアを押し開けた。


 飛び込んできた太陽の輝きに目を細めるが、足を止めることなく家を出ていく。彼の右手には2本の木剣が握られていた。


 カイルは黒髪黒目、15歳の少年だ。背は平均的だが、幼少の頃から修行していた剣術のおかげで体つきは引き締まっている。

 庭――というわけではないが、屋敷の脇にある開けた場所で足を止めた。


「持ってきたよ」


 声をかけると、立っていた30代半ばの男が振り返る。


「よし、やるか!」


 彼の名前はラカン。カイルの父親であり、現ザリングス家の当主でもある。騎士としての鍛錬を欠かさなかった筋肉質な肉体が服の上からでも見て取れる。


「もっと遊ぼうよー!」


「ダメだよ。カイル兄さんの邪魔をしちゃ……」


 ラカンの腰に抱きつく6歳の幼女を、12歳の少年が抑える。ラカンの子供達であり、カイルの妹と弟だ。

 ラカンが妹の頭を撫でた。


「ごめんな。これから父さん、カイル兄ちゃんの稽古をつけてやらないとダメなんだ」


「ぶー! でも、お父さん、お兄ちゃんに負けてばっかじゃない!」


「たははは、厳しいな……。ま、事実なんで否定できないか」


 一拍の間を置いてから、ラカンが続ける。


「終わったらまた遊ぼう。少し我慢してくれ」


「……約束だからね!」


 そんな妹を引きずりながら、弟が離れたところで見ている母親のもとへと移動する。


「始めようか」


「はい」


 カイルがラカンに木剣を渡す。


 そして――

 同時に剣を構えた。


 一瞬にして張り詰めた空気の中、鏡で写したかのように同じ構えが並び立つ。当然だ。ラカンが教えた剣術なのだから。

 ラカンが口を開く。


「どうにも負けっぱなしだと父親の沽券こけんに関わる。今日は勝たせてもらうぞ?」


「どうかな? 俺も今日だけは負けたくないんだ」


 それは嘘偽りのないカイルの本音だった。

 今日を逃せば、しばらく父と立ち会う日はないだろう。いや、ひょっとすると今日が最後になるかもしれない。

 そう考えると、悔いなく己の力を示したくて仕方がない。


「ははは。本気でかかってこい。……俺をコテンパンにしてみろ!」


 言うなり、ラカンが踏み込んできた。

 20年以上も剣を振り続けてきた父の攻撃がカイルに襲いかかる。それは充分に鍛え抜かれたもので、決して凡庸ではなかったが――


 カイルには見えていた。


 なんの焦りもなく、体が反応する。

 素早い動きで父の剣を打ち払った。驚いたそぶりを見せず、ラカンの攻撃が続く。その全てをカイルは冷静にさばいていく。

 我が子の強さを見て、ラカンが興奮した声を上げる。


「やるじゃないか!」


「父さんの指導のおかげだよ」


 父の剣を弾き――

 今度はカイルが攻勢に出た。剣を振るう。反応したラカンは慌てて身をそらそうとするが、遅い。

 ちっ。

 切っ先がラカンの服をかすめた。


「くっ!?」


 そんな動揺など構わず、再びカイルが剣撃を加える。

 ラカンは剣を使って対抗する。

 激突する木剣と木剣。


「ぬぅうん!」


 その一撃に、ラカンは満身の力を込めた。上からねじ伏せる――そんな意志を込めた渾身の一撃。

 大きな音が両者の鼓膜に響く。

 直後、舞い飛んだのはラカンの剣だった。カイルは父の本気の一撃を真正面から受け止めただけではなく、天高く跳ね飛ばしたのだ。

 ラカンの体を守るものは、もうない。


「ふっ!」


 一息とともにカイルはラカンの腹を一打ちした。

 うめいて動きを止めるラカンの首筋にカイルは木剣を突きつけた。


「――父さん、ありがとう」


 カイルの言葉と同時、ラカンの手から離れた木剣が地面に落ちた。

 父親を完封しての圧勝。誇らしい兄の姿に弟と妹が歓声をあげる。

 カイルが木剣を下ろすと、ラカンが頭をかいた。


「強くなったなあ……」


「父さんの教えのおかげだよ」


「俺が最後に勝ったのって2年前だっけ?」


「3年前だったかな」


「マジかー。最後くらい勝ちたかったなー」


 そんな父親に妹が容赦のない声をかける。


「パパ! もうホントに弱いの! いっつもカイル兄ちゃんに負けて!」



「いやー、確かに自慢できるほどの腕自慢じゃないけどなあ……でも、若い時はデイノニクスを一人で倒したりしたんだぞ?」


 デイノニクスとは羽毛が生えた2メートル強の巨大なトカゲだ。強靭な足で素早く動き、両手の鉤爪と鋭い牙で襲いかかってくる。そんな凶悪なモンスターが、村の近隣に出没していた話はカイルも知っている。


 ……というか、ラカン本人の口から何度も聞かされた。


 それは父にとっての自慢だった。デイノニクスを単独討伐するのは、騎士として一人前の証でもあった。

 中央とは縁のない田舎騎士としてはよほど嬉しかったのか、食堂の壁には戦利品である『デイノニクスの羽』が額縁に入れられて飾ってある。


「ま、カイル、お前の腕前はそんな父よりは上だってことだ。しばらく戦わないうちにまた腕を上げたな。勝てる気がせん。父を超えてくれたこと、心から嬉しく思う」


 だが、そこでラカンは声色を低くした。


「とはいえ、あくまでも父である俺を超えただけだ。意味はわかるな?」


「……はい」


 田舎の村を出たことがないカイルは、ラカン以外の騎士を知らない。ラカンの自己分析によると「デイノニクスを一人で倒せるくらいだから、俺の腕は標準くらいかな」らしい。


(つまり、俺は今やっと普通の騎士より少し強いくらいなんだ)


 それがカイルの自己認識だった。

 父を超えた――それだけで驕り高ぶるわけにはいかない。


(むしろ、スタートラインに立てたくらいだ)


 生真面目なカイルはそう己を律する。

 ラカンが口を開いた。


「これから、お前が向かう場所は『戦場』だ」


 それがカイルの未来だった。

 現在、カイルが仕える王国は領地を接する帝国と戦争状態にある。野心燃え盛る若き帝王ラインデルが攻め込んできたからだ。

 すでに戦争開始から半年。

 精強なる帝国軍の猛攻に王国軍は押し込まれ、存亡の危機に瀕している。

 それが、こんな田舎の騎士の息子が出征する理由だった。

 戦争どころか、人を殺めたことすらないカイルだが、臆するつもりはない。


(王国の危機だ。王国貴族として立たずにどうする! 国のため、王のため、民のために剣を振るうんだ!)


 そんな覚悟はすでにできている。

 ラカンが話を続ける。


「戦場にはお前よりも強い騎士がたくさんいる。そして、木剣ではない――鋼の剣で命の奪い合いをする場所だ。ひとつの油断が命取りになる。そのことを忘れるなよ」


「はい、父さん!」


 カイルの力強い返事を聞き、ラカンがうなずいた。


「必ず生きて帰ってこい。騎士である以上、死はいつも覚悟の上だが、自分の息子は別だ。わかったな?」


 父親の本音にカイルは胸が熱くなった。

 大切に思ってくれている人がいる。その想いに応えたい! そんな気持ちがカイルの胸に湧き出した。


「明日、王都から勅令を持った使者がくる。その日まで己を磨け」


「わかった!」


 やりとりが終わり、空気が緩みかけたそのとき――

 何者かが無遠慮に走る音が聞こえた。


「大変だ、大変だ! ラカンさん、力を貸してくれ!」


 悲鳴のような声をあげて村の男が走ってくる。声色だけではない。その表情も悲愴感で真っ青になっている。


「……どうしたんだ?」


 問うラカンに、男が大声で叫んだ。


「うちの息子がキクルズ病にかかっちまった!」


「――!?」


 カイルとラカンは同時に息を呑んだ。

 まれにこの辺で感染する珍しい病気だ。緑色っぽくなる肌と身体中にできる疱疹が特徴的で、数日中に薬を飲ませなければ死んでしまう。

 3年前に発生したときも、薬草を用立てて治した。

 治した前例はある。

 だが、問題は――

 カイルが父を見ると、父もカイルを見ていた。


(薬草のある場所を知っているのは俺だけしかいない)


 しかし、王国からの使者は明日、やってくる。

 その席に、主役であるカイルの姿がないなど許されるはずがない。

 人命がかかっているからすっぽかす? 確かに正しい判断だ。だが、出兵を促されているのだ。逃げたと判断されてもおかしくはない。

 出兵の拒絶。

 それは貴族としてあるまじき態度。

 最底辺の衛爵など、あっという間に取り潰されてもおかしくない。


 ――すまない。明日、外せない用事があるんだ。


 そう言うのはたやすい。

 だが、カイルにその言葉を口にするつもりはなかった。


(やるしかない。どっちも、やり遂げるしかないんだ)


 カイルは覚悟を決めて、静かに右手を握りしめた。

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