第33話 それぞれの夜 -秋の場合-

 ――パチッ。


 あたしは部屋の電気を消すと、ベッドに寝転がったのだが。


「んー……っ」


 ……違う。


「んんー……っ」


 ……これも違う。


「――――――…んん?」


 ……やっぱり、違う。


 ちょうどいい体勢を取るために寝返りを繰り返すこと、三十三回。

 結局。体勢が決まらず、仰向けでぼーっと天井を見つめていた。

 寝落ちを狙ってスマホで動画を見ようと思ったのだけど。


(なに見よ……。今から大会の動画を見るのは、さすがに時間がかかるし……トレーニングの動画を見てもなー……。だったら早送りで見れば……うーん……)


 そんなことを考えている間に、彼此かれこれ、一時間が経とうとしていた。

 なにかあったかと言えば、スマホのバッテリー残量が減ったことくらいだろう。


「はぁ……。眠れねぇ……」


 明日はあさ早いっていうのに……っ。

 まあ、毎回のことなのだけど。

 試合前日は興奮してなかなか寝られず、当日寝不足で会場に向かう。それが、ある意味、自分にとってのルーティンだ。

 でも、今回は違う。なぜなら、


瑞樹あいつが……見に来るんだ……っ)


 一週間の努力を無駄にしないためにも、瑞樹あいつの前で無様なところは見せられない。


「絶対に優勝して……それで……」


 とポツリと呟くあたしの脳裏に浮かんだのは、一年前の記憶だった。




 最初に会ったのは、去年、夏休みが始まって少し経った頃のことだ。

 午前の練習を終えて昼飯を食べようとしていたとき、あたしはあることに気づいた。


「…………弁当、忘れた」


 朝。確かにあたしは、テーブルに置いてあった弁当箱を鞄に入れた。それなのに、今ここにないということは……。

 なんだか、嫌な予感が……。

 何気なくスマホの画面を見ると、数時間前に通知がきていた。


(ま、まさかな……)


 恐る恐るスマホのトーク画面を開くと、


『あんた、お弁当を忘れたまま行ったでしょ?』


 この一文と一緒に、テーブルの上に置きっぱなしにされた弁当箱の写真があった。


 ………………。


(マジか…………お、終わった)


 どうやら、持ってきたと勘違いしていたらしい。


 弁当……あたしの……楽しみが……。


「はぁ……」


 ただでさえ、走り込んでクタクタだというのに……一気に疲れが……。

 すると、後ろからポンっと誰かが肩に手を置いた。


「ん……?」


 テンションだだ下がりのあたしが振り返ると、


「まあ、どんまい! そんなこともあるって♪」


 こいつの名前は、朝香あさか奈緒なお

 同じクラスメイトで、尚且つ同じ部活に入ったということもあって、急激に仲良くなった。

 まあ、向こうから勝手に話しかけてきたから、ほぼ無理矢理と言ったところだ。


「お前……」


 お調子者かと思えば、たまに頭が切れるのだから、掴みどころない奴だ。


「……慰めてくれる割には、口がニヤけているんだが」

「えへへっ。そうかな~?♪」

「………………」


 なにを考えているのか、全く読めない。


「はぁ……しょうがない。食堂で食うか……って、あれ?」

「どしたのー?」

「なんで……ないんだ?」


 鞄を何度ひっくり返しても、財布の『さ』の文字もなかったのだ。


「そ、そんなはずは…――」


 開いたままのトーク画面に、慌てて文字を打ち込むと、


『財布? ああーそれなら、あんたの部屋の机の上に置いてあったけど』


 ………………。


「マジかよ……」


 財布も……忘れてくるなんて……。

 今日……ツイてなさすぎだろ……。

 なにか食わないと力が出ねぇのに……。


「~~~♪」

「……お前はどうしてそこにいるんだ?」

「私はねぇ~。待ってるんだよーっ♪」


 待っている?


「……なにを?」

「おっ、来た来た♪ おぉーいっ!」


 奈緒が手を振った先を見ると、一人の少年が小走りでこっちに向かってきていた。


「はぁ……はぁ……」


 少年は目の前で立ち止まると、息を切らしながら膝に手を置いた。


「お疲れさんっ」

「……誰だ?」

「私の弟だよ~♪」

「ふーん……え。弟?」

「ほらっ、瑞樹。挨拶っ♪」

「あっ……こ、こんにちは。朝香あさか瑞樹みずきです……っ」


 ……お、弟? こいつが……?


 体の線は細く、背は自分よりも低い。

 そして、中性的な顔立ちからは、どこか幼さが感じられる。


「小学…――」

「中三ですっ!」


 中学生だと……?


「いや、パッと見たら中学生だろ……?」

「正真正銘、本物の中学生です!」


 と言って、なぜかポケットから学生手帳を出してきた。


「ほらっ! この通り!!」

「た、確かに……」


 ……って、なんで今持っているんだよ。もしかして、持ち歩いているのか?


「? 僕の顔になにか?」

「いや、なんでもねぇよ。あっ。あたしは、武藤むとう。お前の姉と同じ一年だっ」

「秋はねぇ~。陸上部の大型ルーキーなんだよ♪」

「おいおいっ、それはさすがに言い過ぎだ……っ」


 大型ルーキー……なんて言い響きなんだっ。


「いいじゃん♪ ほんとのことなんだからさ~」

「へぇー。ちなみに、どの種目なんですか?」

「ふふっ、なんだと思う?」

「え? 姉さんと同じ八百メートル?」

「ブブゥーッ。正解は~……」

「百メートルだ」

「!! ちょいちょい、先に言ったらダメでしょ~?」


 ……ふっ。つね日頃ひごろから人をおちょくっているのだから、これくらいで許してもらえることを有難く思え。


「百メートルって、一番注目される種目じゃないですか!」

「ん? そうなのか?」

「そうだよ~。知らなかったの~?」

「……っ。スピードに自信があるから……選んだだけだ……っ」

「そのスピードが断トツだから、大型ルーキーって言われているわけっ♪」

「へぇー!」


 こんなにも羨望の眼差しを向けられると、『嬉しい』より『恥ずかしい』が勝つな……。ま、まったく……っ。


「あっ。ところで、“あれ”は持ってきてくれた~?」

「ああぁ。はいっ」

「おぉ~!! よくぞ持ってきてくれた~っ」


 そう言って、小さなバックを受け取った。


「それは?」

「ふっふっふっ。これはねぇ~」

「?」

「じゃーん! お弁当で~すっ♪」


 と言って箱のふたを開けると、たまごとカツの美味しそうなサンドイッチが並んでいた。


(お、おぉ……っ)


 その横には、タコの形をしたウインナーやプチトマトなどのおかずが盛り付けられていて……


(!? う、美味そー……っ)


 ぐぅううう……。


「――あ」

「ニヒヒィ~。今なら、一つくらい恵んであげてもいいんだよ~?♪」

「…………っ」


 あのニヤけた顔……腹は立つが、背に腹は代えられん。


「あ……味見をしてやろう……っ!」


 あたしは、もらったカツサンドを口に運んだ。


 もぐもぐ……っ。


「――――ッ!!? 美味い……っ」

「なかなかイケるでしょ? 瑞樹の手作りサンド♪」

「あ、あぁ……ん? 手作りだと?」

「あはははは……」

「これを作ったのか?」

「は、はい……っ」


 照れた顔で頷くと、恥ずかしそうに足をモジモジしていた。

 そんなに、褒められたことが嬉しかったのか?


「な……なんですか……?」

「……っ!! な、なんでもねぇよッ!」


 どうしたんだ、あたし? 今一瞬、こいつのことを”可愛い”って思っちまったぞ!?

 これが所謂、“可愛い系男子”ってことなのか?

 ふとそんなことを考えながら、次のサンドイッチに手を伸ばそうとしたとき、


「ストーーーップ!!!」


 横から手が立ち塞がった。


 あっ、そっか。


「まったくもぉ~」

「…………っ」


 食べるのは、一つだけだったな。

 あたしとしたことが、つい忘れて…――


「ランチバッグに」

「ん?」

「もう一つ、同じ弁当箱が入っているでしょ?」

「え、そうなの?」


 と言ってランチバッグに手を突っ込むと、もう一つの弁当箱を取り出した。


「ほんとだーっ! でも、なんでもう一つ入っているの?」

「姉さんのことだから、一つだけじゃ足りないと思って多めに作っておいたんだ」

「なんとっ! そこまでお姉ちゃんのことを~…――」


 抱き着こうとした姉を、かろやかに避けた。


(あの身のこなし…………できる!?)


 すると、姉の手からもう一つのお弁当を取ると、それをあたしに差し出した。


「よかったら、食べてください」

「……え? いいのか?」

「はいっ。なんだか困っているみたいなので……っ。お腹……空いているんですよね?」

「…………っ」


 バレバレ、だったのか……。


「ええぇ~。お姉ちゃんのお昼ごはんが~っ!」

「自分の分があるでしょ? もしそれだけで足りなかったら、また今度作ってあげるから」

「むぅ~。しょうがないな~っ。じゃあ、今度はツナマヨもお願いね~♪」

「わかったよ。えっと……ということなので、どうぞ」


 ……ここで、『受け取らない』という選択肢は、ないな。


「あ、ありがとう……っ」


 礼を伝えて弁当を受け取ると、あたしは「ふっ」と微笑んだ。


 昼飯ゲット!


「…………っ」

「な、なんだ? わたしの顔になにか付いているのか?」

「い、いえ。なんでも……っ」


 なんでもって……変な奴だなー。


「あ、あの……」

「うん?」

「よかったら、今度、味の感想を聞かせてもらってもいいですか?」

「味の感想? さっき言っただろ。とても美味しかったぞ」

「秋~っ。実は瑞樹、中学で家庭科部に入っているんだよっ」

「家庭科部?」

「はい。なので、料理を作る上で参考にしたいんです」


 なるほど。どうりで美味しかったわけだ。


「わかった。要するに、もっと細かい感想を言えばいいんだな?」

「はいっ、楽しみにしていますっ!」

「……っ!! お、おう! 任せておけ!」




 あの、太陽にも負けない眩しい笑顔を見たときから……。


「あたしは……」

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