第26話 夏と記憶

 去年の夏休み――。


 汗が嫌でも流れるこの時期に、ワタシは…………バレー人生で初めての挫折を経験した。

 簡単に言えば、セッターのトスに合わせてジャンプすることができなくなったのだ。

 自分の中ではタイミングが合っているはずなのに、実際に飛んでみたらまったく合っていない。

 数日前までは、息を吸うようにスパイクを打てていたのに……。


『ハァ……ハァ……。も、もう一度……頼む』


 何度試してもうまくいかない。


『クソっ、どうすればいいんだ……ッ!!』




 そんな思い詰めていた、ある日。


「ん?」


 ふと扉の方を見ると、


「………………」


 一人の男子がこっちを見ていた。というより……覗いていた。


(……なんだ、アイツ?)


 じーっと観察していると、チラチラと体育館の中を見渡していた。


(……まさか)


 今、体育館を使っているのは、女子バレー部だけ。

 ということを考えると、答えは必然的に出てくる。


「……誰だ、お前は? 女子の部活を勝手に覗くとは。これは見せ物じゃないぞ」


 最近のストレスが溜まっていたからか、まるで八つ当たりのように怒気を強めた。すると、


「……!? ご、ごめんなさいっ!!」


 謎の少年は慌てて頭を下げた。

 その潔さに、なんだか余計にイライラしてきた。


(なんだ、コイツ? 言い訳を並べるよりも先に謝ってきただと……?)


 背丈はワタシよりも低く、近くでよく見ると、どこか幼さがあった。

 パッと見る限り、高校生でないのは明らかだが。


「……ここの学生ではないようだが、何用でここへ来た? まさか、『覗きをするため』とは言わないだろうな?」

「ち、違いますっ!」

「じゃあ説明してみろ」

「じ、実は――」


 それから話を聞くと、どうやら姉がこの学校の部活に入っているらしく、朝忘れて行った昼食のお弁当を届けに来たとのことだ。

 そして、届けた後。帰る途中にあった体育館を覗いたという。


「ほぉー。だが、覗いたのは紛れもない事実だ。違うか?」

「うっ……。はい……」


 ホントにコイツはわからん……。

 ヒョロヒョロしているというか、弱々しいというか。

 生憎、ワタシの好みではなかった。

 ……ワタシは、強い男が好きだ!

 身体的にも……精神的にも……。しかし、それに比べて今のワタシは、身体的にも、精神的にも……弱い。


「………………」

「えっと……なにか困ったことでもあったんですか?」

「そうだ。ワタシの顔を見ればわかるだろ?」

「そ、そうですね……あははは……」


 なにを笑っているんだ? 笑う部分など、どこにもないぞ?

 …………はぁ。なにをムキになっているんだ、ワタシは……。


「これから話すことは……」

「えっ?」

「ワタシの……ただの独り言だ。聞きたくないと思ったら、聞き流してもらって構わない……っ」

「独り言?」

「い、いいな……っ!?」

「はっ、はい!!」

「…………っ」


 それからワタシは、見ず知らずの少年の目の前で独り言を話し始めた。

 

 ――今思えば。強がる傾向がある自分にとって、意外と適した相談相手だったのかもしれない。


 ……。

 …………。

 ………………。


「――ということなんだ」

「な、なるほど……」

「問題が自分にあることはわかっている。だが。その問題が一体何なのかが、さっぱりわからない」

「他の部員さんに相談はしたんですか?」

「……いや。していない……」

「どうしてですか?」

「っ……チームを引っ張っていく立場上、あまり弱い部分を見せるのは……できれば避けたい」

「ということは、キャプテンさんなんですね」

「いや、副キャプテンだ。キャプテンは別の人がやっている。まあ、実質、ワタシがキャプテンのようなものなんだがな……」

「え?」

「能天気な人なんだよ」

「あ、あぁー……なんとなく、わかりました。どんな人なのか……」


 話しているときのワタシの顔から、なんとなく察しがついたのだろう。

 まあ、今はそんなこと、どうでもよくて……。


「あぁ。だからこそ、なんとしてでも……この問題を解決しなければならないんだっ!」

「……っ!! え、えっと……それって多分……」

「!? まさか、この原因がわかるのか!? 頼むっ、教えてくれ!!」

「で、でも……。さすがに言い出しづらいというか……」


 焦らされることが嫌いなワタシにとって、謎の少年の反応は、正直イラッとした。


「教えてくれ! 教えてくれれば、さっきのことは黙っておくからっ!」

「っ……わ、わかりました」


 ついに、この体の内に溜まったモヤモヤをスッキリできる!

 そう思っているワタシに、少年はぎこちない声で言った。


「えっと……その……む、胸が……」

「なに? む、“胸”だと……?」

「は、はい……。実はさっき、練習するところを見ていて……気づいたと言いますか……」


 ワタシのスマッシュを打つ姿を見て気づいたこと。

 それは…………“胸”が揺れることで、飛んだときの姿勢が微妙にズレてしまっていたことだ。

 それを聞いたワタシはというと、


「――――ッ!!? どっ、どこを見ている……っ!!」


 身を守るように自分の胸を腕で覆い隠そうとしたが、両腕だけでは隠し切れなかった。


「っ……やはり、このままお前を許したら、世の女性に被害が――」

「ええぇ……っ!?」


 解決するはずが、良からぬ方向へと話が進もうとしていることに気づき、ポツリと声を漏らす。


「ま、まずい……」

「なにか言ったか?」

「!? い、いえっ! えっと……その……」

「フンッ。言い訳を並べようとしても――」




「可愛い胸だと思いますっ!!」




 ………………………………………………………………………………。




「かっ、可愛い……っ!? きゅっ、急になにを言い出すんだ……!?」

「僕は……本当のことを言っただけです!」

「…………っ!!」


 なんて……真っすぐな目なんだ……。


「? どうしたんですか?」

「!! ご、ゴホンっ!」


 ワザとらしい咳払いをすると、額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、


「……礼は言わんぞ……っ。人の胸を勝手に見ていたのだからな……っ!」

「ご、ごめんなさいっ!!」

「っ……イマイチ、調子が出んな……」

「え。今――」

「!? な、なんでもないっ! ほらっ、ここで話は終わりだ。早く帰れ!」

「しっ、失礼しましたっ!」


 慌てて行こうとした少年は振り向くと、眩しい笑顔で言った。




「練習、頑張ってくださいっ!」




 ――そのときかもしれない。ワタシが、朝香あさか瑞樹みずきという一人の少年に……惚れたのは……。




「それにしても……まさか、胸が大きくなったせいで体が重たくなっていたなんて……」


 どうりで、最近、スポブラがキツかったわけだ。

 今まで、胸が大きいことで嫌味を言われることはあっても、褒められることはなかった。


(それが……まさか、褒めるヤツがいたなんて……)


 いつもなら嫌なはずなのに……どうして、こんなにも……。

 と、頭の中で考えた頃には、顔がポッと赤くなっていた。


(コンプレックスも、捨てたものではないな……っ)


 ………………。


「また……会えるかな……っ」

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