第27話 ありがとう……っ

「あの……先輩……?」

「………………」


 呼んでも、返事はない。ただ、じっとこっちを見下ろしている。


 …………わからない。


 その真っ直ぐな瞳の奥にある不安の色が……なにを求めているのか。


「瑞……樹……っ」

「!!」


 夏休み……体育館……。

 忘れることのできない、あの日の出来事――。

 …………なんとなく、わかった気がする。

 今、僕がどうすればいいのか。


「わ、ワタシは――」

「――…はい、憶えていますよ」

「え」

「先輩はあのとき、独り言を装って相談してくれました。初対面の僕に……」

「………………」

「見ず知らずの人に相談するのって、すごい勇気がいると思うんです。僕なら、恥ずかしくてなかなかそんなことはできません」


 他人に自分の弱さを打ち明けられる人は、本当に強い人だと、僕は思う。


「憶えていて……くれたんだな……っ。…………フッ」

「先輩……?」


 目が合うと、さっきまでの不安の色は消えていて……。


「お前には……感謝してもし切れない」


 その代わりなのかもしれないけど。


「あ、ありがとう……っ」

「…………っ!!」


 その目の奥には幸せの色が広がっていた。


「……あ。僕は別に、たいしたことはなにもしていませんよ?」

「お前自身が気づいていないだけだ。フフッ」

「そうですか……?」


 不思議な顔で首を傾げると、先輩は無邪気な笑みを浮かべたのだった。




 その日の夜。


「ふぅ~……」


 髪と身体を洗い終え、ワタシはゆっくりと肩まで湯船に浸かった。


「んん~……っ!! ああぁ〜気持ちいい〜……っ」


 天井にグッと伸ばした腕を下ろすと、ぼーっと天井を見つめた。 

 身体に染み渡るこの温かさ……。

 なんだか、段々と肩の力が抜けて……。

 油断したら、このまま眠ってしまうかもしれない。


「………………」


 頭の中は、今日のことで埋め尽くされていた。

 あの後。奈緒の羽交い締めを振り切ったあの女と、リビングでまたバトルすることになったのだけど。

 瑞樹が間に入って止めてくれた。


(……もし、あのときのことを憶えていなかったら……落ち込むだけでは済まなかっただろうな……)


 少なくとも、寝込んでいたのは間違いない。

 ……でも、憶えていてくれた。それが……堪らなく嬉しい。


「…………フフッ」


 ワタシよりヒョロヒョロなのに、どこか頼りになる。

 あの女もワタシと同じだ。だから、惚れたんだ。


(瑞樹……っ。あのときから……ワタシはお前のことを……っ)


 と、心の中で呟いた瞬間、


「――ッ!? わ、ワタシはなにを……っ!?」


 ワタシは、恥ずかしさを紛らわすために、口を湯船に沈めた。


 ブクブクブク……。


(アイツには……絶対に負けない……ッ!!)


 子供のような仕草とは裏腹に、闘志をメラメラと燃やすのであった――。

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