第四章だっ!

第15話 更衣室で“はじめて”の……

 つばさと対戦してから三日後。


「はぁ……」


 黒板に並べられる数式をぼーっと見つめながら、あたしは珍しく物思いにふけっていた。

 授業が退屈だったからじゃない。……いや、ほんとは超退屈だった。

 イスに座ってじっとしているくらいなら、今すぐにでも走りに行きたい。

 走って……このモヤモヤをスッキリさせたい。


(あの女に先を越されないためにも……なにか手を打たねぇと……っ)


 結局、あの対決は一勝一敗一引き分けで決着がつかず。最終的にじゃんけんで決めることになったのだけど。


『武藤〜? こんなところでなにをしてるんだぁ~?』


 監督の登場でそれもなくなり、勝敗は決まらなかった……。


(あたしの辞書に『引き分け』なんて文字は……ないっ!)


 一番にゴールした奴が一番強いのは、どの世界でも同じ。

 ……よしっ。こうなったら、先手必勝だっ。向こうよりも先に仕掛けてやる!


『瑞樹。目を……閉じてくれないか?』

『いいですけど。したいならしたいって素直に言えばいいのに』

『な、なんだと!?』

『したかったんですよね?』

『あっ……当たり前だろ!! あたしに言わせるな……っ』


 ――チュッ♡


 お互いの唇が軽く触れる“キス”をした。


『今度、もし僕の方がしたくなったら、いいですか?』

『あ、ああ。だが、たまにだからな!』


 そう言って照れくさそうに顔を逸らした。その頬を乙女色おとめいろに染めて……。


『えへへっ。その『たまに』が今だったら、どうします?』

『……ふっ、お前が言うならしょうがない。ほら、口をこっちに向けろ……っ』


 そして、近づく瑞樹の唇。それを見つめながら、あたしは……


『んん~~~~~っ♡♡♡』


 はぁあああ~……幸せ~……♡


(……ふふふっ。やるぞおおおーッ!!!)


「――む、武藤さん……」

「え?」

「まだ授業中なので席に着いてください」


「? ……あ」


 周りを見渡すと、クラスメイトたちがこっちを見ていた。

 どうやら気合いを入れすぎて、つい立ってしまったらしい。


「あははは……気をつけまーす……っ」


 周りからの視線を感じつつ、そっと席に着いた。

 まさか体が勝手に反応するなんて。

 ……動きたがってるんだな、わかったよ。


 キーンコーンカーンコーン。


「ふっ」


 ……行動開始だ!




 お昼休みが始まり、僕はお弁当を持って廊下を歩いていた。


(なんだろう、話って……)


 それは、三限目が終わった直後に送られてきた、姉さんからのメッセージ。


『昼休みになったら更衣室に来て♪』

『遅刻厳禁だぞ♡』

『ちゃんと来ないと……あきが……ふふふっ』


 という、謎の文章が送られてきたのだ。

 武藤先輩の名前が書かれていたということは、もしかして、僕……絞められる?

 不安と恐怖を抱えながら、更衣室へと向かった。


 ……。

 …………。

 ………………。


『いいっ? この作戦の命運は、秋にかかってるんだから!』


「わ、わかっている! あっ、瑞樹が来たから切るぞ」


 通話を切ると、下の方から瑞樹が階段を上がってきた。


「あっ、武藤先輩」

「よっ、よお! 早かったじゃねぇか!」


 緊張のあまり口が震えてしまう。

 だ、大丈夫だよな? バレて……ないよな?


「あぁ……。それは姉さんが……って、あれ?」

「ど、どうしたっ?」

「あの、姉さんは……」

「奈緒か!? 奈緒なら……腹がいたいからって、トイレに行ったぞ!!」

「え、そうなんですか?」

「あ、ああ! ちょっ、ちょっと時間がかかるかもしれねぇから、先に中に入っていようぜ!」

「は、はい。大丈夫かな……」


 瑞樹は心配そうな顔で、時折トイレの方を見ていた。

 そこまで心配しなくても、あいつピンピンしているぞ。……っと、言いたいところだが、それをしてしまうと、百パーセントバレてしまう。

 罪悪感が否めないが、ここは耐えるしかないっ。

 そんなことを考えながら、あたしたちは更衣室へと入った――。




 一方その頃、食堂へとやってきたつばさはというと、


「誰もいない……だと……?」


 いつもならいるはずのテーブル席に、三人の姿がどこにもなかったのだ。

 視力はいい方だと自負しているつもりなのだけど。いくら食堂を見渡しても、三人を見つけることはできなかった。

「おかしいな……。他の場所で食べるのなら、なにか連絡がくるはずだ。それなのに……」


 ピロリンッ。


「ん?」


 スカートのポケットから出したスマホを見ると、


「朝香奈緒からだと? なになに……」


『陸上部の更衣室には、ぜ〜ったいに来ちゃダメだぞっ♡』


「陸上部の……更衣室……?」


 あたしは、送られてきたメッセージに注目した。


「陸上部……更衣室……絶対に来ちゃ…――あっ、まさか!!」


 言葉を口に出した瞬間、一人の顔が頭に浮かんだ。


「――…あ……あの女ァァアアアアッ!!!」


 食堂に、怒りの咆哮が放たれた――。




(えへへっ……♪ いやぁ~、ご飯が進むねぇ~♪)


 私は、二人の様子を扉の隙間から覗き込むと、弁当箱にパンパンに詰まった白米を無我夢中で頬張っていた。

 今日ばかりは、おかずはいらなかったようだ。


(さすがの秋も、つばさに先を越されたくないもんねぇ~。でも、いきなり“キッス”を狙いに行くなんて。思い切ったことするなぁ〜)


 ――さすが、うちのエース様っ♡


「はぁっ……はっくしゅん!!」

「先輩、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だっ!」


 瑞樹からティッシュを一枚もらうと、大きな音を立てて鼻をかんだ。


 ……って、ちょっとは気にしなさいよ……。


「……そ、そんなことより、瑞樹!」

「は、はいっ!」

「……かっ、かか、顔にゴミが付いているぞ!」

「……ゴミ? どこですか?」

「あたしが……とっ、取ってやるから、目を閉じてじっとしていろ……ッ!!」


 おおぉ~っ!!!


「え、目を閉じるんですか?」

「当たり前だっ! 万が一、目に入ったらどうするんだッ!」


 ワクワク♪ ワクワク♪


「わ、わかりました……っ」


 言われた通りに目を閉じると、


「よ、よしっ。そうだ、そのまま……」


 秋の顔がゆっくりと瑞樹に近づいていく。


「じっとしているんだぞ……」


 キ〜スッ♪ キ〜スッ♪




『おりゃあああああああああああああーーーーーッッッッッ!!!!!』




 キ〜スッ♪ キ〜…――


 ド…………ド…………ド…………ド…………。


(……ん? なに、この音?)


 階段の方から響き渡る、ドドドドッという音。

 それは、まるでくっきりと足跡を残すかのような……重くて鈍い音だった。


 ド……ド……ド……ド……。


 どんどん、近づいてくる……っ!?

 

 ――バァアアアンッ!!!


「「…………っ!!?」」


 あぁ……。ごめん、秋。


「そ……こ……で……なにをしているんだぁぁぁあああああああーーーッッッ!!!!!」

「げっ!? どうしてお前がここに!?」

「この声は……凛堂先輩?」


 目を瞑ったまま、声の主を的中させた瑞樹に拍手を送りたいところだけど。


 ――ニヤァァァッ。


(ああぁぁぁ~……ニヤけるのを止められなぁぁぁ~~~いっ♪)


 なんてったって、私は、このときを待っていた。

 怒り心頭なつばさと、作戦成功間近まぢかの秋が交わると、一体どんな化学反応が起きるのかを……。


(ふふふっ。さぁ~って、ここからどういう展開が…――――あ)


 期待に胸を膨らませていると、目の前の光景に思わず目が点になった。

 なぜなら、なにもないところでつまずいたつばさが秋の方へと倒れ込み、二人が…――




 ――――――チュッ♡




「んん……っ!?」

「ンン……ッ!?」


 あらら……。


「どうしたんですか!? 先輩たち…………へっ?」


 目を開いた瞬間、瑞樹の思考が停止した。目の前の状況をすぐに理解できなかったからだ。

 そんな瑞樹を余所に、二人の頭の中は、唇越しの初めての感触に埋め尽くされていて……


(こいつの唇って……)

(案外……柔らかい……って!?)


「「…………ッ!!!!!?????」」


 二人は、至近距離に映る相手の顔に気づくなり慌てて離れた。


「きゅっ……急になにすんだっ!!」

「それはこっちのセリフだッ!!」


 ファーストキス。つまり、自分にとって“初めてのキス”を、目の前のライバルに奪われたことに、二人は怒り以上に絶句した。


「あ、あたしのファーストキスが……」


 ポカーンと口が開いた秋。


「この女に……奪われた……」


 自分の唇に触れながら呆然とするつばさ。


「えーっと……今、二人は……そ、その……っ」


 状況が理解できずにいる瑞樹。


(お……おお~っ!)


 予想の斜め上を行く結末に、一人テンションが上がる私。


 一瞬の出来事によって、まさにカオスな状況が完成していたのだった。




 ………………………………………………………………………………。




 沈黙の間の後。瑞樹がポツリと呟いた。


「やっぱり、二人は……」

「違うわっ!」


 奈緒の瞬発的なツッコミが炸裂した。

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