第30話 心の乱れは顔に出る

 とある休日。


「ハァ……ッ。ハァ……ッ」


 早朝の住宅街を走る影が二つ。


「ふふふっ♪ やっぱ朝走るのは最高だなーっ!」

「そ……そうです……ね……ッ」


 心地いい朝の日差しを浴びながら、僕と武藤先輩はランニングに励んでいた。

 現役選手の先輩が先導し、初心者の僕がその後ろに付いて行く形なのだけど。


(き……キツイ……ッ!!!!!)


 案の定と言うべきか、走り出してすぐに遅れ始めたのだった。

 どうやら、先輩の辞書に『初心者に合わせる』という言葉はないらしい。


「ハァ……ッ。ハァ……ッ」


 ただでさえキツイというのに、息絶え絶えの僕をさらに追い込んだのが……。


(先輩……目のやり場に困るんですけど……っ)


 先輩の服装は、スポブラとスパッツに薄手のパーカーだった。

 後ろから付いて行くのだから、必然的に弾力のありそうなヒップが視界に入ってしまう。


(ど、どうしよう……。後ろから付いて行くと言ったのは、こっちだし……)


 見てしまったことを正直に言うか、それとも言わないかを悩んでいる間に、さらに距離が開いてしまったことに気づいた僕は、力を振り絞って後を追った――。




 そして、数十分後。

 休憩を挟むために一旦、近くの公園にあったベンチに座ると、背もたれにもたれかかった。


「ハァ……ッ。ハァ……ッ。もっ、もう……走れません……っ!」


 僕は、なんとか付いて行くのが精一杯だった。

 でも、走り切った自分を褒めたいと思う。


「だらしないぞー。これくらい、涼しい顔で走り切れ」

「そんなこと言われても……。先輩のペースに付いて行くのが、やっとなんですから……」


 ふくらはぎがパンパンに張っていて、この後が心配だ……。


「っ!! ま、まあ、初日にしてはなかなか……」

「え……? なんですか?」

「っ……ご、五分後に再会だ! 次はさっきのばい走るぞ!」

ばい!? ……ええぇー……」

「ええぇー……じゃない! 体力を付けたいんだろ!?」

「僕は……ただ運動をしたいと思っただけで、体力を付けるなんて……」

「言い訳する余裕があるなら、今からでもいいんだぞ?」

「!? そ、それだけでは……」

「なら、休めるうちに休んでおけっ!」

「は、はい……。はぁ……」


 こんなことなら、ウォーキングにしておけばよかった……。

 まぁ、先輩が走りたそうな顔でこっちを見てくるから、それはできなかったのだろうけど。


「……あ。そういえば、どうして急にランニングに誘ってくれたんですか?」

「お前が言っていたからに決まっているだろ」

「あれ? 先輩に言ってましたっけ?」

「……ん?」


 ――このとき、秋の背中に別の意味で汗が流れた。


(ま、まずい……っ)


 下手なことを言ったら、あのときの会話をこっそり聞いていたことがバレてしまう……。

 それだけは……。


「ま、まぁ……なんだ、お前が運動したそ~~~~~な顔をしていたからなっ!!」

「………………」


 ……どうして、なにも言い返してこないんだ?


 ――チラッ。


「えへへっ」

「な、なにがおかしい……っ!?」


 まさか、バレていたのか……!?


「おかしいことはなにも……」

「じゃあ、なんだ!?」

「……僕のことをよく見てくれているんだなって思ったら、なんだか嬉しくなって……っ」

「――――…なッ!? きゅっ、急になにを言い出すんだ、お前は……っ!!」


 ――か、完全に不意打ちを食らう形になってしまった。まるで……ガードを緩めた一瞬を狙って左フックを決められた気分だ……。


「ま、まったく……っ。……お前のことはいつも…――」

「顔が赤いですけど。大丈夫ですか?」

「!! …………っ」


 顔を真っ赤にしている先輩は、「オッホン!」と大きな咳払いをすると、


「……も、もうとっくに五分が過ぎている! 休憩はおしまいだ!!」

「!! え、ええぇ……」

「すぐに立たないと、さらに倍に――」


 と言葉を続ける前に、ぼくは慌ててベンチから立ち上がった。


「そ、それだけは……それだけは……っ!!」

「…………っ」

「……先輩? さっきよりも顔が真っ赤ですよ? もう少し休んだ方が――」

「なんでもないっ! ほらっ、行くぞっ!!」

「!? 先輩っ、待ってくださーーーいっ!!」


 急に走り出した先輩を慌てて追いかけたのだけど――。




 この日の午後。


「ううぅぅぅぅぅ……っ」


 筋肉痛で身動きが取れなくなるのだが、このときの僕は、まだ知らない――。






―――――第六章へと続く―――――

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