第六章だっ!

第31話 あたしがあいつを誘うだけ

 ――金曜日――。


 それは、学生が平日の中で一番待ちわびた日ではないだろうか。

 少なくとも、あたしもその内の一人だ。

 だが、そうとも言っていられない状況があるすれば……どうだろう?


「………………」

「あれ、武藤先輩じゃね!?」

「ほんとだっ!」


 ――ギロリッ。


「「ひぃぃぃ……!?」」


 あたしの周りには、今までにない緊張感が漂っていた。


(今日こそ……今日こそ……)


 そんなあたしが今いるのは、一年の階。

 あと三歩前に進めば、奈緒と一緒に行った日から何度も訪れている、瑞樹あいつのいる教室がある。


「………………」


 廊下の真ん中で立ち尽くすあたしの手には、一枚のプリント用紙。

 そこには、“陸上”と“大会”の文字が大きく書かれてあった。


 ……あたしがここへ来た理由、それは……。


「――…土曜日に大会があるんだが、よかったら見に来ないか……? 土曜日に大会があるんだが、よかったら見に来ないか……? 土曜日に大会があるんだが、よかったら見に来ないか……?」


 この一週間、呪文のように唱えること、約数万回。

 この言葉がすっかり染み付いてしまった。


瑞樹あいつを誘うだけなのに、どうしてこんなに…………き、緊張するんだ?)


 ドキッ……ドキッ……。


 伝説の“烈風れっぷう豪鬼ごうき”も、一人の乙女なのであった――。


(お、落ち着け……ッ。これくらいのことで……このあたしが……ッ)


 休み時間は、残り三分を切っている。

 まだ昼休みと放課後が残っているが、昼休みにあの女が首を突っ込んでくるのは間違いない。

 そう考えると、放課後しかないのだけど。大会前日ということもあって、話をする時間を作ることができない。

 さすがに、練習を休むわけには……いかないし……。


「どうすれば……うぅぅぅーん……っ」


 この場に立ち尽くしたまま、ただ時間だけが過ぎていると、


「――先輩?」


 ハッ!! こ……この声は…――


「――――…み、瑞樹ッ!!?」


 グッドタイミングと言わんばかりに、教室から瑞樹が出てきた。


 き……きたぁぁああああああああああーーーーーっっっ!!!!!


「どうしたんですか?」

「えーっと……その、だな……っ」

「?」

「……っ。じ、実は……」


 ……言え! 言うんだ!! 今言わないで、いつ言うんだ!!!


「お、お前に…――」

「僕に? …………『大会』?」

「ッ!!?」


 瑞樹の視線は、後ろ手に隠していたプリントに向けられていた。

 どうやら、デカデカと書かれた『大会』の文字がまる見えだったらしい。


「!? こっ、これはだな……っ!!」

「今度、大会があるんですか?」

「っ…………そうだっ」


 そう言って、大会の案内が書かれたプリントを渡すと、瑞樹は興味深そうに内容に目を通していく。


「へぇー。大会があるなんて、姉さんなにも言っていませんでしたよ?」

「そ、そうなのか……っ」


 恥ずかしがる必要は、なにもないのに……っ。


 ドキドキッ……ドキドキッ……。


「開催日は……って、明日じゃないですか」

「あ、ああぁ……」


 …………こうなったら、


「実は、だな……」


 ドキドキッ……ドキドキッ……。


「ここに来たのは…――」




 キーンコーンカーンコーン。




 まるで、あたしの声を遮るように、チャイムが廊下に鳴り響いた。


「………………」

「あっ。じゃあ、僕はそろそろ教室に――」

「――…明日の大会ッ!!」


 チャイムの音にもけを取らない声が、瑞樹の鼓膜を震わせた。


「お、お前に見に来て欲しくて……誘いに来たんだ……っ!!」

「…………へっ?」

「予定があるなら、無理とは言わない! だが、できることなら見に来てほしい……ッ!」


 胸の鼓動を強く感じながら、返答を待っていると、


「……行きたいですっ」

「!! そ、そうか……っ! 行きたいか……!」


 緊張した顔はどこに行ったのやら。

 今の自分の顔は、傍から見てもわかるほどにニヤけていることだろう。


「じゃ、じゃあ明日、会場で待っているからなっ!」


 笑顔で手を振りながら、あたしは階段を上がったのだった。

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