第20話 僕にできること

 体育倉庫での一件から数日が経ったのだが……。


(凛堂先輩……)


 あの日以来、互いに気まずくなった僕たちは、ただでさえ学年が違うということもあって、話ができなくなっていた。

 今、話しかけると、変に気を遣われていると向こうが思ってしまうかもしれない。


「はぁ……」


 このため息は、動揺してしまい、フォローの言葉すらかけられなかった自分に向けたものだ。


(どうすれば……)


 人のコンプレックスにとやかく言うのは絶対に違うし……。


「汗をかきやすい体質を、どうにかできれば……と言っても……」


 と、ブツブツ呟きながら廊下を進んでいると、


「おっ、瑞樹~っ」


 姉さんが手を振りながら階段を上がってきた。


「そんなところでなにしてんの~?」

「ちょっ、ちょっと歩きたい気分だったから……」

「ふ~ん」


 ど、どうして、そんなにじーっと見てくるのだろう。

 間違ったことは言っていないはずなのだけど。


「ねぇ、一つ聞いていい?」

「……ん?」

「最近、家でも学校でも難しい顔をしてるけど。なにかあった?」


 ――ギクッ。


「べ、別に、なんでもないよ……? じゃ、じゃあ、僕はここで…――」

「まあ~待ちなって♪」


 と言って、両肩をガチッと掴まれてしまった。


「あははは……」

「おねぇ〜ちゃんに〜♪ 用があるんでしょ〜?♪」

「え?」

「あるんだよね~?♪」

「………………」


 こうなった以上、言わないわけにはいかなくなったようだ。


「で、でも……っ」

「お姉ちゃんに任せなさいっ♪」


 グッドサインをするその自信満々な顔が、なんだか頼りになる。


「だ・か・ら~♪ ねっ、ねっ、教えて〜♪」

「…………っ」


 とても頼りになるけど。こういうノリは、やっぱり苦手だ。

 ……でも、心強いことには間違いない。


「じ、実は……最近…――」


 本題をそのまま伝えてしまうと、先輩を傷つける可能性がある。

 そのため、カモフラージュとして、最近、自分が汗をかきやすいことを悩んでいることにした。

 これなら、バレることはない。

 勘が鋭い姉さんが気づかない限り……。


「――…ということなんだけど」

「うーん。汗っかきをどうにかできないかって言われてもな~。私、どっちかというと汗かかない体質だし」


 先輩と真逆だ……。


「で、でも、なんとかしたいんだよ!」

「っ! そうだなー…………あ」


 なにかを思い出したのか、姉さんは徐にスマホを手に取った――。




 その日の放課後。


「はぁ……」


 ここ数日、毎回のようにため息がこぼれる……。

 どうにも、無意識に出しているようで……止めたくても止められない。

 せめて、部活の間くらいは、ため息ではなく声を出していこうと思っていたのだけど。


『つばさ、大丈夫?』

『人には言えない悩みってやつですか~』

『いいなぁ~。私も恋した~いっ』


 チームメイトにまで心配される始末。……最後のは無視するとして……。

 副キャプテンとして、しっかりしないといけないのに……。


 ………………。


 あのとき。もしなにもなかったら、飛び跳ねるくらい喜んでいたのだろうが、自分のコンプレックスを知られてしまった以上、素直に喜べない。


「瑞樹……」


 あの日以来、向こうから声をかけて来ないのは、恐らく気を遣ってくれているのだろう。


 その優しさが、余計に……チクッと胸に刺さる……。


「…………はぁ」


 ……さて、これからどうしたものか。

 あのヒミツがバレてしまった以上、これから面と向かったときに冷静でいられるだろうか。

 そもそも、面と迎える状況になっているのだから、どうしようもない。


「……瑞樹…――」

「あっ、瑞樹くんだぁ~!」




「………………………………………………………………なに?」




「――せんぱ……い」


 入り口の方から聞き覚えがあり過ぎる声がしたと思い、慌てて顔を向けると、


「ハァ……ッ。ハァ……ッ」


 膝に手をつきながら立っている、汗だくの瑞樹の姿があった。


「――――…瑞樹……ッッッ!!!???」


 すると、その声に呼応こおうする形で、周りのチームメイトが集まってきた。


「急にどうしたんだろ?」

「つばさに会いに決まってるじゃん♪」

「それ以外にないよねー」

「ないないっ」

「ということは……もしかして……フフフッ」


 これが属に言う、“井戸端会議”ってヤツか……。

 ワタシの知らないところで、いつの間にか瑞樹と顔見知りのヤツが増えた気がする。

 ……部内にライバルを作るわけには……って、


「ハァ……ッ。ハァ……ッ」

「お、お前、どうしてここに……」


 一度、呼吸を整えると、


「えっと……実は昨日、ネットでいろいろ調べてみたんですけど…….っ」

「なにをだ?」

「これ、なんですけど……」


 そう言って、手に持っていた袋から出したのは、


「…………スプレー?」

「はいっ。消臭スプレーです」


 消臭スプレー、か。

 清涼感のある香りを売りにしているものから、効果の持続時間をアピールしているものなど、種類だけでも多岐に渡る。

 ここだけの話。色々な種類のものを試してきたが……あまり効果がなかったというのが本音だ。


「どうして、これをワタシに?」

「先輩にどうしてもおススメしたかったからですっ!」

「?」


 それから話を聞くと、どうやら瑞樹なりにワタシの“体質”について考えていてくれたようで。放課後になると、近くにあるドラッグストアに駆け足で買いに行ったらしい。


(…………っ)


 その経緯を伝えられて、ワタシは無意識に手を口に当てた。


(わざわざ、ワタシなんかのために……っ)


 汗だくのまま、必死にスプレーの良さを話してくれる瑞樹に、いつの間にか見惚れている自分がいた。


 こんな顔……他のヤツらには……


「「「「「フフフフッ……♪」」」」」

「……ッ!!? ん、んん……ッ!!」

「それで持続時間が……って、大丈夫ですか?」


 どうやら、咳払いの意味を勘違いされたらしい。


「わ、ワタシは大丈夫だっ! それで、そのスプレーが何なんだ?」

「先輩に是非、試して欲しいんですっ!」

「!! わ、わかった……だが」


 ワタシはバァッと振り返ると、


「お、お前たちっ!!」

「「「「「なになに~?」」」」」

「っ……れ、練習は一旦休憩だっ!」

「「「「「えっ……やったぁぁあああーっ♪」」」」」


 休憩の一言に盛り上がりを見せていた。


 ……よしっ。これでいい。


 心の中で頷き、ワタシは瑞樹の手首を掴んだ。


「「「「「瑞樹くんと一緒にどこに行くの~?♪」」」」」

「うっ、うっさい! すぐに戻る……っ!」


 二人の後ろ姿を見つめながら、ニヤニヤするチームメイトたちであった――。




 瑞樹を連れてやって来たのは、女子更衣室だった。

 理由は特にないが、なんとなく、ここがいいと思ったのだ。


「なにをしている……っ。早く入れ……」

「しっ、失礼します……」


 背中を押して中に入ると、


「アイツらの姿はなし……っと」

「……先輩?」


 廊下を何度も確認してから扉を閉めた。

 これで、この部屋にはワタシたち二人だけだ。


「じゃ、じゃあ、使ってみるぞ……っ」

「は、はいっ」


 瑞樹に背を向けてホッと息を吐くと、素早くスプレーを脇などに吹きかけた。


 シュッ。シューッ。


「一応、使ってみたが……効果があるのか?」

「先輩っ!!」

「ッ!? 急にそんな真剣な顔で……な、なんだ?」


 瑞樹は徐に距離を詰めてくると、顔を寄せてきて――


「へっ」




 すうぅぅぅーっ。




「ッ!!? な……なにをしているんだ、お前はぁああああああああーーーッ!!!!!」


 慌てて距離を取ると、自分の体を隠すように腕で抱きしめたのだが。


 すうぅぅぅーっ。



「お、お前……っ」


 注意をするも、瑞樹は止めようとしない。


「じょ、女子の匂いを勝手に嗅ぐなど、デリカシーに欠けて…――」

「うんっ。“いい匂い”がしますっ」


 ………………………………………………………………。


「――…え。本当か!?」


 コンプレックスを意識するあまり、匂いを嗅がないようにしてきたが……。


 ……クンクンっ。


「…………た、確かに」

「そのスプレー。朝から夜まで効果が続くみたいです」

「そんなに持つのか!?」


 最近のスプレーはすごいな……っ。


「あの……先輩」

「ん?」

「僕なりに調べてみたんですけど。汗は…………かいた方がいいみたいですよ?」

「……なに、そうなのか?」


 瑞樹はコクリと頷くと、


「汗をかかないと体臭がキツくなるって書いてありましたから」


 と言ってポケットから出したスマホの画面には、汗をかく仕組みが書かれたサイトが表示されていた。


「な、なるほど……。汗は……かかないよりかいた方がいいんだな!」

「はいっ」

「っ……そうだったのか……っ。フフッ」

「? 先輩、どうしたんですか?」

「いや、こっちの話だ。気にするなっ」

「わ、わかりましたっ! じゃあ、僕はそろそろ行きます。部活、頑張ってくださいっ」

「あ、ああ……っ」


 入り口の方へと歩き出す背中に向かって、ワタシは言った。


「瑞樹! これ、その……ありがとう……っ。大切に使わせてもらう……!」

「……えへへっ。喜んでくれてよかったです」

「…………っ!!」


 目を丸くして顔を赤らめるその様子に、扉の隙間からこっそり覗いていたチームメイトたちはというと、


「ありゃりゃ。完全にのぼせちゃってる」

「ウチのエースは後輩くんに弱いもんねー」

「「「うんうんっ」」」


 ストップすることなく、好き放題に言い合っていたのだった。


「ところでさ……いつ練習始まるの?」

「「「「さぁ……????」」」」




 その後。

 ワタシは、ルンルンっと軽やかなスキップで体育館に戻ってきた。

 ちなみにチームメイトたちは、覗いていたことがバレないように先に戻ってきていた。


 バレようものなら……ねぇ?


「さぁ~てと♪ じゃあこれから“全員”で体育館の周りを百周走るぞ~♪」


 ………………。


「「「「「は……はいぃぃいいい~~~ッ!!!???」」」」」


「大丈夫! ただのウォーミングアップだ♪」


「「「「「全然大丈夫じゃなーーーーーいっ!!!!!」」」」」


 体育館に響き渡るその声に耳を傾けることもなく、ワタシの頬は緩みまくっていたのだった。

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