第9話 あいつの料理が食べたいっ!

 次の日の休み時間。


「ふんふんふ~んっ」


 私がトイレの洗面所で手を洗っていると、


「奈緒っ!」

「うわぁっ!?」


 突然、鏡に映る自分の肩から顔が出てきた。


「びっくりしたーっ! 秋、急にどしたの?」

「お、お前に、一つ頼みがあるっ!」

「私に?」

「そ、そうだ……っ」


 それから、一拍というには長い間を空けて、口を開けた。




「…………あたしに、付き合ってくれ!!」




 付き合ってくれ……付き合ってくれ……付き合って……。


「……お、おやぁ~?」


 予想していなかった言葉に、しばらくの間、瞬きが止まらなかったのだった。


 ……。

 …………。

 ………………。


 その後。

 話を聞くと、どうやら瑞樹の料理が食べたいから、一緒にお願いしに行って欲しいというのだ。


「あ、あいつの料理……美味そうだったからな……っ」

「ふーん」


 まあ要するに、昨日のことで“やきもち”を焼いているのだろう。

 見た目に寄らず、可愛い子だな〜。


「話はわかったけど。自分で頼みに行けばいいのに、どうしてわざわざ私に?」

「そっ、それは……こっちから頼んで、もし断られたら……」


 と呟きながら、廊下の隅にしゃがみ込むと、


「た……立ち直れない……からさ……っ」


 そこだけズーン……っと重い空気が漂っていた。

 試合中は激強げきつよの女はどこに行ったー?

 わざと周りを見渡したが、激強げきつよの『げ』の字もなかった。


「あたし……あいつに強い口調で言ったりしているから……実は裏で面倒くさい女だって思われているかもしれないだろ……?」


 思っているもなにも、はたから見ても面倒くさい女だけど?

 今、本人に言ったら、鬼の形相でボコボコにされそうだから言わないけどね。


「はぁ……。瑞樹が秋のお願いを断ったりする?」

「…………しない、と思う」

「秋と一緒にいて、瑞樹が嫌な顔したことあった?」

「……ない。たぶん……」


 いつも自信満々じしんまんまんの秋はどこに行ったー?

 また周りを見渡したが、自信満々の『じ』の字もなかった。


「はぁ……。しょうがないなー。今回だけだからね?」

「!! 恩に着るっ!」


 ガシッ。ギュッ。


「うっ……」


 固いと言うより、固すぎる握手を交わした。


(こ、これくらい……っ)


 握り返してやろうと思って力を入れてみたのだけど。


(あはは……。びっ、びくともしねぇや……っ)




 放課後。

 僕が帰り支度をしていると、ポケットのスマホが揺れた。


『教室で待機せよ!』

「? 待機?」


 トーク画面に映し出された一行に首を傾げつつ、了解のメッセージを送った。


(姉さんのことだから、勝手に帰ろうものなら……)


 ブルブル……っ。


 とりあえず、帰り支度を済ませて待つこと五分。


 ――バァッン!


「…………ッ!?」


 突然、耳に響く音を上げて扉が開くと、


「ちょっといいかッ!!」


 教室に入ってきた武藤むとう先輩が机を挟んで立った。

 そして、仁王立ちでこちらを指さすと、高らかに言った。


「あ、あたしに!! 料理を作ってくれ!!!」

「…………はい?」

「瑞樹っ♪ やっほ~♪」


 急なことにポカーンとしていると、先輩の後ろからひょっこりと姉さんが顔を出した。


「姉さん、どうしたの?」

「えへへっ。実は急に瑞樹の料理が食べたくなってさぁ~。ねっ、秋?♪」

「な、奈緒が、どぉ~してもと言って聞かないんだ!!」

「姉さんが?」

「あ、ああ!! あたしは、そのついでだっ!」

「――…そういうことにしといてあげる」

「…………っ!?」


 姉さんが先輩の耳元でなにかを囁くと、一瞬こっちを見てから顔を俯かせてしまった。


「? 作るのはいいけど。それなら、家で――」

「今、食べたいんだよっ!」

「え、今?」

「そうだよねっ、秋!」

「あたしにも……お前の……料理を食わせろッ!」


 ……。

 …………。

 ………………。


 という一言から、なぜか家庭科室の前まで移動した僕たち。


「そういえば、凛堂先輩は?」

「!? どうして今、あいつの名前が出てくる!?」

「つばさは部活だって~」

「じゃあ二人は?」

「ふっふっふ~。今日はねぇ……自・主・練♡」

「自主練? 確かテスト期間以外は、毎日練習があるって前に言ってなかったっけ?」


 ――ギクッ。


「まぁ~細かいことは気にしな~いっ、気にしな~いっ♪」


 ――こういうときのために、陸上部顧問のヒミツを餌にして、今日の部活を特別に免除してもらったのだ。

 いざというときのために、取っておいた奥の手だけど。


(こんな面白そうなイベント、逃すわけにはいかないっ!)


 用意ようい周到しゅうとうという言葉は、彼女のためにあると言っていいだろう。


「ふふふっ……」

「姉さん?」

「さっ、早く入ろ~♪」


 促される形で扉を開けると、僕たちは中へと入った。


「あら」


 すると、眼鏡をかけた黒髪ショートの女子生徒が、席から立ってこっちに向いた。


「……こんにちは、宮瀬みやせ先輩」

「久しぶり、瑞樹君。中学以来ね」


 彼女の名前は、宮瀬みやせ千尋ちひろ

 中学のときに家庭科部の部長をしていた人だ。


「………………」

「? な、なんですか?」


 レンズの奥の瞳が、じーっと僕を見つめている。


「……ううん。なんでもない」

「そう、ですか。…………?」 

「やっほー、千尋~っ。料理の腕はまた上達した~?」

「あっ、奈緒」


 と言って先輩は真っ直ぐ近づいてくると、手のひらを姉さんに向けた。


「この前、あなたに貸したお金を返してちょうだい。それから、貸したまま返ってこないノートもねっ」

「あ、ああぁ……それはまた今度ということで~……」

「そう言って、あなたが返してくれたことあった?」

「っ……も、もう少しだけっ! もう少しだけ待ってくだされぇぇぇーっ!!!」


 二人は中学のときと同様、高校でも同じクラスだ。

 その繋がりもあって、宮瀬先輩がこの学校の家庭科部に所属していることを知った。


 ………………。


「……話が盛り上がっているところ悪いんだけどさ。早く作ってくれないか?」

「あ、武藤さん。……作る?」

「! えっと……実は…――」


 …――――――――――――――――――――――――。


「というわけなんですけど……」

「なるほどね。要するに、瑞樹君の料理が食べたい奈緒たちのためにここを使わせてほしいと」

「は、はい……」


 事情を説明すると、先輩は顎に手を当てて考え始めた。

 さすがに、急に言われても……困りますよね……。


「ここを使うのは別に構わないけど。今日は部活がないから、食材がないのよねー」

「え、そうなんですか?」

「うん。使う分だけ買わないと、費用が……」

「ああぁ……。最近いろいろ高いですからね……」

「そうなんだよね……。部費だけじゃ限界があるから……」


 それというもの、僕たちは、毎日のようにコロコロと変わる食材の値段について話し合い、


「「はぁ……」」


 息の合ったため息をこぼしたのだった。

 料理は、お金との戦いでもあるのだ。

 だけど……。これに関してはしょうがないのかもしれない……。


「……武藤先輩。今日は作れそうにないみたいなので、また今度ということで……」

「な、なんだと!? か……かくなる上は、あたしが買ってくるしか――」


 そのとき、バァッンと扉が開けられると、そこには……


「ハァ……ッ。ハァ……ッ」

「……なっ!? どうして……お前が……っ」

「ハァ……ッ。ハァ……ッ」

「凛堂先輩?」


 先輩は、獲物を狙う狼のような形相で武藤先輩を睨みつけた。


「ど……どうしてお前がここに来るんだ……っ!!」


 目を見開きながら、先輩は声を上げた。


「それは…………こっちのセリフだッ! 抜け駆けして、なにをしようとしていたんだ?」

「……っ!? それは……言えない」


 ――瑞樹に手料理をご馳走してもらっていたことに嫉妬していたから。なんて……言えるわけがない。


「っ……そ、そっちは、いいのか?」

「……なにがだ?」

「ぶ、部活、とか……」

「今は休憩時間だ。抜け出しても問題はないっ。それより、そっちはどうなんだ? グラウンドでは陸上部が練習していたぞ?」


 すると、その会話に姉さんが割って入った。


「ノープロブレム! それについては大丈夫だよっ。ちゃんと手を回してあるからっ♪」


 ……なにをしたのかは、敢えて聞かない方がいいだろう。


「やれやれ……」

「宮瀬先輩?」

「奈緒も好きだねー」


 目の前で繰り広げられる三人のやり取りを見ていたからこそ出た一言だった。


「あはははっ! だって――――…弟を巡って二人の女が争うんだよ? そんな面白いこと早々ないって……っ♪」


 二人に聞こえないように話しているときの満面な笑みを見ていると、姉に振り回される弟と二人の顔が頭に浮かんだ。


「……ふっ」


 ちょっと、見ていたいかも……っ。

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