第35話 大会当日の朝

 ピピーッ、ピピーッ。


「っ……ふわぁ〜……」


 僕は、欠伸あくびをこぼしながら、薄っすらと目を開けた。


 ピピーッ、ピピーッ。


(んん……っ。眠い……っ)


 薄っすらとしか見えない視界はそのままに、ゆっくりとベッドから起き上がると、枕元で鳴っているスマホの目覚ましを止めた。


(……八時、か……)


 いつもならまだ寝ている時間なのだけど。

 移動することを考えると、この時間が妥当だったのだ。


(先輩たちは……もう会場に行っているのかな……。確か、軽く朝練をしてから行くって言っていたし……。うぅぅ……その体力が羨ましい……)


 ……おっと、また…――


「ふわぁ〜……っ!!!」


  大きなあくびをしてから、僕は部屋を出た。




「――よしっ。これでいいかな」


 焼いたトーストとオレンジジュースで朝食を済ませてから、着替えを終えると、スマホで時間を確認した。

 出かける時間まで、あと五分。


(そろそろ、玄関に…――あ)


 ふとあることを思い出して部屋を出ると、『なお』と書かれた木のプレートがかけられている扉の前に立った。


 コンコンッ。


「姉さん、大丈夫?」

「うぅぅぅ……」


 返事の代わりに聴こえてくる、うめき声。


「は、入るよ……」


 恐る恐る中に入ると、顔色の悪い姉さんがベッドから起き上がった。


「瑞樹……っ? ケホッ……」

「っ!! 横になっていないとダメだよっ」

「これくらい大丈夫……ケホッ、ケホッ」


 本来なら、武藤むとう先輩と一緒に会場にいる時間なのだけど。


「なんでこんなときに……風邪なんか……は……はっくしゅん!! 瑞樹……悪いんだけど、そこのティッシュ取ってくれない……?」

「あ、はいっ」

「ありがとー……」


 ブシュウウウウウーーーッ!!!!!


「ううぅぅぅ……。よりにもよって……どうして、大会の日に体調を崩しちゃうんだろ……。朝香あさか奈緒なお、一生の不覚……ケホッ、ケホッ」

「しょうがないよ。体調が万全じゃないのに出たら、他の人たちに迷惑がかかるし。姉さん自身、それは嫌なんでしょ?」

「う、うん……」

「だったら、まずは体を治すことに集中しなきゃ」

「瑞樹……ケホッ、ケホッ」


 ――ニヤッ。


 …………ん?


「姉さん」

「ん……? なに……?」

「……いや、なんでもない」


 一瞬、ニヤけたような……。

 それに、さっきからどうにも……咳がワザとらしいのが気になる。


「……ケホッ、ケホッ」


 僕の気のせいかな……?


「……あ。もう時間だから、そろそろ行くよ。遅れるのはさすがにまずいし」

「二人に『頑張れ~』って伝えておいてー……ケホッ、ケホッ」


 ……やっぱりワザとらしい。


「………………」


 抑揚のない咳の音が耳に入りながら、僕は部屋を後にしたのだった。




 バスに揺られながら移動すること、三十分。

 試合会場の最寄りにあるバス停に降り立った僕は、入り口の方へと足を進めた。

 すると、この辺りでも一際大きい、体育館と陸上競技場が目の前に広がった。


「すっ、すごい……」


 とても大きくて、とても広い……。

 それはまさに、語彙力のなさがはっきりと出てしまうほどだった。

 姉さんの試合を見に行くときしか来ない僕でも、この町がスポーツに力を入れていることは知っている。


「あ。えっと……」


 トートバッグから出した二枚のプリントに、僕は目を向けた。


武藤むとう先輩が競技場で、凛堂りんどう先輩は体育館か)


 僕は、ポケットから出したスマホで時間を確認した。


(今が九時前で……陸上の予選が始まるのが九時過ぎからか…………よしっ。じゃあまずは、競技場の方へ向かおう)


 それから通路を進んでいると、ユニフォームを着た人たちが徐々に増えてきた。


『絶対勝つぞーーーーーッ!!!』

『オオオオオオオォォォォォーーーーーッッッ!!!!!』


 ――――――…ッ!!?


 凄い迫力に、思わず鳥肌が立った。


(この……息をするのを忘れてしまいそうなほどの緊張感……っ)


 ……ゴクリ。


 運動系の部活に入ったことがないから、この空間はとても新鮮だった。

 そんなことを考えながら進んでいると、競技場の入り口の前に到着した。


「待ち合わせ場所が入り口の前だから、この辺りにいるはず…――」

「おぉーいっ!」


 声のした方を見ると、入り口の方から武藤先輩が駆け足で向かってきた。

 そして、僕の目の前で止まると、


「ちゃ、ちゃんと来てくれたんだなっ」

「せっかく、先輩が誘ってくれたんですから、行くに決まっているじゃないですか」


 まあ予選が終わったら、体育館の方に行かなきゃいけないんですけど……。


 じーーーーーっ。


「? なんですか?」


 もしかして……気付かれたんじゃ……。


「……あ。そういえば、姉さんが『二人に頑張れ~』って――」

「二人? 誰と誰のことだ?」

「え? それは先輩と……」


 ――ニヤッ。


 ……姉さん……まさか……っ。


「? どうした?」

「な、なんでもありませんっ!」

「そうか」

「はい……。あはははは……っ」


 姉さん、知っていたんだ……。でも、いつ知ったんだろう……?


 そんなことを考えていると、先輩が徐に深呼吸をしてじっとこっちを見た。


「じ……実はお前に、言っておきたいことがあるんだが、聞いてもらってもいいか……?」

「いいですけど……」


 ……なんだろう?


 急に自信のない表情に変わったことが気になりつつ、次の言葉を待っていると、


 ピーン、ポーン、パーン、ポーンッ。


『予選に出場する選手の皆さんは、控え室に集まってください』


 会場全体にアナウンスの声が響き渡った。


「あ。先輩、そろそろ行かないと」

「っ……そ、それはそうなんだが……っ」

「?」

「……あぁもう! この続きは、予選が終わってからだ! いいな!?」

「わ、わかりましたっ!」

「よしっ。じゃあ行ってくる!」


 と言って、入り口の方に体を向けた。


「……あっ、先輩!」

「ん?」


 振り返ると、真っすぐな目と目が合った。


「頑張ってください! 僕、応援していますから!」

「……っ!! ああっ、任せておけ! ぶっちぎりで予選を突破してくる!!」


 と言い残して、先輩は、選手が集まる控室へと向かったのだった。




 ちなみに、改めて気合いを入れた先輩はというと…――




「よっしゃあああああーーーーーっ!!!」


 ダントツの記録で予選通過を決めたのだった。


 いや、強すぎです……。

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