第26話
決戦の朝
私の寝室は、お祖父さんのアトリエだった2階にある。陽がタップリ入るよう窓が高い位置にも切られているから昼間は暖かいけれど、規格外のサイズが故に雨戸がないので、日差し無くなると冷え込むのも早い。寒い夜にはいつも二重窓に出来るだろうかと考える。
今朝も寒くてベッドの中に丸まって、いつもの様に猫が飼いたいなと考えてウトウトとする。
火曜日の朝、いよいよ決戦当日だ。
なんて言うと大袈裟だけど、私たちのちょっとした言い方や目線で、相手の気持ちを掛け違えてしまえば、後戻りは出来ないし、返って彼女が暴走する後押しをしてしまうかもしれない。そう思うと、緊張感が溢れ出したのもあって上手く眠れなかった。カタカタと強風で窓が鳴り明け方霜が降りる勢いでキューッと冷え込んむの朝だ。何度も何度も寝返りを打って、段取りを繰り返し辿る。
スイートポテトを作るって決めたその日、いつもは着ない色のお祖母さんのコートを、クローゼットから引っ張り出してウチの前の路地を出てしばらく歩いてから、啄木鳥に入る道の角を曲がっる前の所で羽織った。
ちょっとやり過ぎかなと思うけど、啄木鳥には行ったことのない設定にしたので、「この前入って行ったところ見たわよ」なんて粕谷夫人に言われたら、全てがおジャンなので、慎重にならざるおえない。
そうやって探偵みたいに訪れた啄木鳥には、相変わらずモロさんがクダを巻いていてくれたので、「ちょっとちょっと」と奥のブースへ引っ張って行く。
「何だ何だ、金の相談かぁ?」と大きな声で騒ぐので、まだ会って2回目なのにバシッと腕を叩いて黙らせる。
「シッ、静かに。違いますよ。ちょっと内緒の相談があるんです。」とご近所だから故、他の人には知られてはならないと思っている。
この間会った時、モロさんは怪しげなカルト集団みたいな人達に、洗脳されかけて自分を見失った事が有るそうで、ウチのお祖父さんに話を聞いてもらう事で、
「現実の世界に戻ってこられたんだ」といたくお祖父さんに感謝していた。だから、その話をウチに来てもう一回初めから話して欲しいって頼無事にしたのだ。
「この話は何度となく皆んなにしてきたから、いつでも何度でもするけどよ、どうしてお前さんと初めて会ったふりしながらしなきゃ何ねぇの?よく事情聞かせてみ⁈」と言われたので、このお喋りそうなおじさんに言っても大丈夫かな?って顔を曇らせていると、
「おまちどうさまです」とコーヒーを運んできたオーナーが、
「大丈夫よ、このおじさんこう見えて口硬いから。」って言ってスタスタとカウンターに戻って行く。
何で私が懸念してるか分かったのかちょっと気になりはしたけれど、その言葉に腹を決めて、いつもお世話になっているお隣さんが、前にモロさんが陥った状況によく似感じになっていて、それをご主人が危惧しているので目を覚ますお手伝いを少ししてみようと思っていると打ち明けた。
「ふむ。」と1つ唸ってから、さっきとは打って変わった小声で、
「お隣と言ったな。もしかして粕谷さんの奥さんかい?」
「えぇまぁ。」とお茶お濁すと、
粕谷さんとはウチで一緒にお習字を習っていた時の顔見知りだそうだ。成る程。やっぱり狭い世間なのだ。
コレはよくよく慎重に行かねばと、もう一度自分に言い聞かせる。
モロさんは、
「イイぜ、俺が役に立つのなら芝居の一つ打つぐらい何でもねぇよ。」とニカリと笑う。
段取りはこうだ、まず普通に料理教室をやって、作り過ぎたスイートポテトをキャプテン達を呼んで食べる事にする。
キャプテン達がバッタリ会った事にして、モロさんを連れて来る。
顔見知りのモロさんから、騙され掛けた話を聞いて、洗脳の怖さを知ってもらう。それをどう受け取るかは、もう粕谷夫人任せなんだけれど、帰宅してから、ご主人に近頃の夫人が様子が変わったのはどうしてか、追い討ちを掛けてもらう。
取り敢えず一回で出来ることはこんな程度で、コレがきっかけで何が変われば御の字だよね、と皆んなで決めた。
さぁ始めよう。寝不足で重い体に鞭打って、予定よりずっと早く起きた。サツマイモを縦に二つに割って大きなボウルに水を張って浸す。そうやってアクを抜くと出来上がりが全く違う。コレには結構時間が掛かるので、作業に入る前に忘れないようにしなければならない。
今日の目的は何たって粕谷夫人奪還作戦なんだけど、表向きのスイートポテト教室の方だって後で必ず食べるんだから手を抜くわけにはいかないのだ。
昔読んだ雑誌のレシピは、まずサツマイモをオーブンで焼く。つまり焼き芋を作ってから中身をくり抜き、それを裏漉しをして生クリームなどを混ぜて、更に繰り抜いたサツマイモに戻してもう一度オーブンで焼くというものだった。
初めて作ったそのスイートポテトはかなり美味しくて、それが私の手作りスイートポテトの基本形となった。久しく作っていなかったので、その雑誌が我が家にあるのかさえ謎だけど。
新木田君が図書館から借りて来た本の中に、オレンジページの完全保存版みたいな本があってその中に同じようなレシピを発見したので今回はそれを使う事にした。
レシピ本を見つけるのに、家探しせずに済んだのでほっと胸を撫で下ろす。
久しぶりの料理教室は、やっぱり粕谷夫人が居るときちんとした物が、綺麗に出来上がる。それに手際よく指示を飛ばしてくれるのでキッチンが荒れない。
新木田君と2人の時は、初めての作るものの時は特に手際が悪いので、見るも無惨な状態になる。鍋類は、取り敢えず食べてから洗おうねと、無理矢理汚れた器を視界から追いやる。それに盛り付けだって大いに違う。
私達は、取り敢えず好きな器にのせて満足だけど、夫人のは料理に見合った器に見栄え良く盛り付けるので、見た目からして美味しいのだ。
いつもキチンとしていてまめまめしい彼女だけれど、今日はそんな彼女自身にシェードがかかっている感じに見える。
シンクはスイートポテトが焼き上がる前にはすっかり片付いて、使ったボールやお鍋も洗いかごから棚に収まっているというのに何故だろう。
あっ、エプロンだ。いつものローラアシュレイの可愛い花柄のエプロンじゃないのだ。
「珍しいですね。無地の帆布のエプロンなんて。」と水を向けると
「あぁコレ?何かね、歳をとってまで華やかなものを身に付けてると良くないんですって。質素に慎ましくする方が身も心も豊かになって健康になるって聞いたから。」
「えぇ?そうなんですか?明るい色や赤い物を着ると、女性ホルモンが活発化して良いのかと思っていた。だから粕谷さんが華やかにされているのを見てあやかりたいと思っていたのに。」と言いながら、確かにエプロンの下の服もいつもよりグッと地味で安っぽい感じだ。
「いつまでも煩悩の赴くままにしていると悪いことが起こるらしいわよ。だから甘いものも久しぶり。でもスイートポテトならお野菜系だし良いわよね。」と探るような目で聞いて来たので、急に胸を鷲掴みされたみたいに苦しくなった。このまま何かを言ったら、今夫人が信じかけている全てをガンガン否定してしまいそうだ。落ち着かなきゃ、と息を吸ったり吐いたりしていたら、新木田君がスッと私と夫人の間に入って、
「それはどなたの教えですか?空海?親鸞和尚?それともキリストかな?」ととぼけた口調で聞きながら、「美味しい物を食べる時に罪悪感なんて持つ必要ありますか?」とあくまでも答えは夫が出すように尋ねる。
「貴方はまだ若いから、我々年寄りがあちこちガタが来て不安になる気持ちが分からないのよ。清く正しく賢く生きれば、素敵な老後が訪れるらしいのよ。別に宗教の教えとかじゃ無いのよ。心掛け。」
そう結んで、背筋を伸ばす。
そうだ、粕谷夫人はいつも正しい方向を向こうとして努力している。真面目にキチンとしているのだ。その努力が間違った方向を向いてませんか?と問いかけるのに今日の作戦で大丈夫だろうか、さっきの怒りに似た胸の痛みとは別の痛みが、胃の腑のうちに迫り上がる。
タイミング的には、早い方がいいに決まっている、ご主人の話だとまだそれほどのめり込んでいる訳でも、日にちが経っているわけでも無さそうだから。
キッチンに甘い香りが充満して、少し冷ました方が美味しいと言う夫人の言葉に従って、クーラーラックに乗せてお茶の用意をし始める。
「それにしても随分と沢山作ったわね。」2回目を焼くべくオーブンに前で扉を閉めながら夫人が言う。
「ご主人にも、それにこのお芋の何よりの功労者のチーさんを無視するわけにはいかないので。」と私が言うと、
「そうね。チーさんのお芋はほんとに美味しいものね。」と粕谷夫人はニッコリと同意する。
そして今気付いたかのように
「ねぇ新木田君、チーさんに暇だったらお茶に来ないか誘ってみて。」と声を掛けた。
「了解。」
新木田君は、ポケットからスマホを出してゆっくりと電話をかけ始めた。
「チーさん達、今丁度一緒に居るからコレから来るって言ってました。」とごく平坦な声で言う。なかなかどうして役者だなと思ったけど、目配せなどはしない様に気を付けながら、棚から紅茶ティーセットを出す作業に集中する。
心臓がパクパクと鳴るのが聞こえそうだ。落ち着け落ち着け。
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