第3話
大家の話
私が相続した祖父母の家は、武蔵野線の東所沢駅から徒歩で15分位だけど、不動産屋はあくまで1駅近徒歩10分と言云い張る場所にあった。北側の窓辺からは、川沿いに桜並木が見下ろせて、春になると舞い上がった桜の花びらが気持ちを和ませてくれる。
2階の西の窓からは、冬の澄んだ日には富士山を微かに望める。
アトリエを持っていた祖父と図書室を持っていた祖母の家はゆったりとした時間が流れていてとても快適だけれど、1人で住むには広すぎる。
西側にあるアトリエと図書室は仕事場だったので、打ち合わせ用の応接室や小さなキッチン、こじんまりしたバストイレも付いていた。
母屋と繋がる坪庭を挟んだ渡り廊下の扉を閉めてしまえば、こちら側とあちら側と言った塩梅に二軒の家の様に出来る。
此処に住むと決めた時に、仕事を辞めてフリーランスになった私は、母家を貸して家賃収入を得ようと考えていた。
母屋は、祖母が高齢になって転んだのをきっかけにバリアフリーに改築したので、アトリエの趣に比べるとかなり現代風だ。
その時に、私の母達の思い出の品や使わなかった引き出物などの中々捨てられ無い物たちを一気に片付けてしまった。
高齢の祖父母の荷物は仕事場に殆どあったので、スッキリし過ぎた感があるほどだった。
その残された中でも、お気に入りの茶箪笥やテーブルをアトリエに運び込むと、母屋はさらにガランと静かになった。
不動産屋に頼んで、入居人を募集したけれど、大家が隣に住んでいるのは気がひけるのか、子供と犬をNGにしたのがいけなかったのか、ファミリー向けと言っていいほどの広さの家は、空いたまま半年が過ぎていた。
まぁ、家賃収入が無くてはやっていけ無いわけではない。今のところ仕事もそこそこと言うより、勤めていた頃より忙しい位だ。
桜が咲き始め、朝の散歩に川沿いを歩くのが楽しみになったある日、珍しく家電が鳴った。
そうだ、まだ回線を解約してなかった。
「はい、堀川でございます。」
「おはようごさいます。武蔵ハウスの利根でございます。いつもお世話になっております。朝早くか申し訳御座いません。本日ご都合宜しければ、内見をさせて頂きたいのですが、いかがでしょう。」
「あっ、はい。内見をですね。」
頭の中で、今日の予定表を辿る。
それにしてもせめて今日の明日くらいで連絡しろよな、と考えながら、まぁ内見くらいなら時間取れるか。と思って、
「あぁ、大丈夫ですよ。何時ですか?」
「大変急で申し訳ないんですが、10分後位でどうでしょう。」
マジか⁉︎まぁ別に掃除したり化粧する必要も無いから、早く済ませた方が1日を有効利用できるかと、まだ10時を指す時計を見て思った。
「いいっすよ。突然ですけど。」とちょっぴり嫌味も付け加えて言ってみた。
現れたのは、どっちが営業マン?と思うほど同じ歳格好の青年で、担当の利根君は居なかった。
グレーのジャケットの方が、
「すみません。利根が来られなくて。私は、代理の島津です。」と武蔵ハウスの名刺を取り出す。
なるほど、グレーが営業マンね。
「こちらが、本日内見をご希望の新木田様です。」と黒のジャケットの超が付く程のイケメンの方を紹介する。確かにこのイケメン加減は、このベッドタウンの不動産屋には居ないタイプよね。よく見たらジャケットの質もかなり良さげだ。
「堀川です。」
「新木田です。朝早くから申し訳ありません。この町に用事があって来たんですけど、早く着き過ぎちゃって駅前を歩いていたら、此処の間取り図が目に入ったものですから。
打ち合わせが、11時に入っているので、急かせて申し訳ありませんでした。」と若そうな割には随分キチンとしてんなと思いつつ
「大丈夫です。時間は融通効く方ですから。どうぞ。」
と、母屋の玄関を開ける。
玄関や表向きは、古風な洋館だが中は今時の住宅展示場にあるような、北欧風のの木材をふんだんに使ったスッキリとした造りになっている。
一階は、玄関を入って左にリビングダイニングと対面式に間仕切られたキッチン。右手にお風呂と洗面所にトイレ廊下を挟んで南向きに寝室。
玄関は二畳位のウォーキングクローゼット付き。
リビングに入る前のところの左手に階段。2階はもう使わないからと、壁紙を張り替えただけの2部屋と納戸と広めのバルコニー。
ウチの母親達はこの家で育った訳ではなくて、子育てが済んだ時に祖父母は此処へ越して来たのだ。だから正月や夏休みに、実家に帰るという時に連れて来られるのは、此処だった。
キッチンもシステムキッチンにしていたし、床暖房も付いている。
お風呂もこの方が暖かく滑りづらいからと、大手の断熱材も乾燥機も入っているユニットバスにしていた。
ただ、ユニットバスなのに坪庭が見られるようにスリット型に窓が有る。それがお祖母様のお気に入りだった。
一通り説明をしてから、
「条件が、ちょっと普通とは違うのでよく島津さんからお聞きになってからご検討下さい。」
と言って送り出す。
黒ジャケットのイケメンは、ニッコリと微笑んで、
「はい、分かりました。また来ます。」
と帰って行った。
「また来ます?」変なの。
だって、あの若さじゃ此処の田舎具合も家の広さも大家が隣にいる煩わしさも、マイナスポイントだろうから断ってくるつもりだろうに。
深く考えるのをやめて戸締まりをして、今日のスケジュールを確認しに部屋へ戻った。
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