第2話

出会い



僕の生活は、一変した。


毎日が夏休みみたいだ。

分刻みで予定が詰まっていたスケジュールが、歯医者の予約くらいでほぼ何も入っていない。


会社の整理も終わり、腑抜けた生活をどうにかしようと旅行の計画をしてみたけれど、一人旅と思ったら気分が乗らない。

一緒に行ってくれる彼女が、もういない。というのも社長じゃなくなった途端に彼女に振られたからだ。

「どうして?」と聞くと

「貴方はとても良い人だけど、もう会えないわ。理由?そうね無職の人を、親には会わせられないからって事でどう?」と質問で返された。綺麗で気が利いて僕には優しい彼女だったけど、そういうことなら、もう会うのはやめようと思った。

僕はB級品のラベルをペタリと貼られてポイっと捨てられる位の存在だったなら、長く付き合う意味は無いだろうから。


そう思ってもやっぱり振られるというのは、気持ちが落ち込んでしまうもので、そんな状態で今1人で旅に出たら、俗世を捨てて出家してしまいそうだ。

僕には人を見る目を養う修行が必要なのかもしれないけれど。

今までの仕事一色だった生活は、僕の趣味さえ忘れさせていたらしい。一体僕は今何がしたいのだろう。

自分の好奇心を盛り上げみようと、図書館へ行って手当たり次第に色んな本をめくって興味を惹くものを探したが、特に気持ちが揺さぶられるものは無かった。

学生時代の僕は何に心躍らせていたのだろう。

そんな事をつらつらと思いながら無為な日々を過ごしていたが、個人的に頼まれているコラムの連載も断らなけてばと思い立ち、今度の打ち合わせは対面でとお願いして僕から出版社の方へ出向くことにした。

無理にでも用事を作らなければ、俗世を捨てなくてもこのまま家でゴロゴロして、俗世に捨てられてしまいそうだった。

なにせこのマンションは、下に降りればスーパーマーケットや美味しいパン屋もレストランも入っているから、外界に出た気がしない。30階という高層階も天気にさえ鈍感疎くなる原因だろう。


以前は、自宅から徒歩圏内に在った編集部が、郊外に倉庫や一部の編集部が移動になるとは聞いていたが、僕の担当の編集者さんもそこへ移動になったので久しぶりに電車に乗って行くことにする。

調べてみると僕の住んでいる飯田橋からは、なんだかとても行きづらい。車で行こうかと思ったけれど、たまにはのんびり外の景色を眺めながら電車で行くのも悪くないだろう。


東所沢まで行くには、池袋経由で直通の東武線に乗って朝霞台まで行って武蔵野線に乗り換える。

池袋経由で西武線に乗って秋津で武蔵線に乗り換える。これは乗り換えが大変だとかなり評判が悪い。

中央線に乗って西国分寺迄行って武蔵線に乗り換える。随分大回りになってしまう。

東京駅まで行って、武蔵野線直通の京葉線に乗るというのもあった。でもそれは本数は少なそうだし、時間もかかりそうなので却下した。

あっもう一つ見つけた。

京浜東北線に乗って南浦和で武蔵野線に乗るという手もあるみたいだ。

暇なので、うちにある地図を出して色分けで線を引いてみたりしたり、乗り換え案内で何通りも試して、どっちか早いかとか、乗り換え回数とか金額とかを比較検討してみた。

すると久しぶりにちょっとウキウキして楽しかった。


そうか中学生の頃、友達と鎌倉に行こうと時刻表を買って乗る電車を調べたり、地図を広げて歩くルートをどうするかを、坂田や米山と話し合っていた時のあの感覚だ。懐かしいな、あいつら今何してんのかな。


そんな事を考えながら、有楽町線ルートに決めて約束の日に出掛けたら、遠足を待ちきれない子供の様に、なんだか随分早く着いてしまった。

ルートを調べるついでに、街の地図も眺めたていたので、大体の地理は把握していたけど、駅が堀の下の様な所にあるとは思わなかった。

山を掘ったのか、元から谷だったのか?武蔵野線は、貨物線だったはずだからそこに何か理由が有るのかも知れないな。鉄オタの坂田がそばにいたら、すぐにでも教えてくれそうなのにな。

そう思いながら、わざと行き先とは逆方向に歩き出す。


すぐに駅の周辺独特の栄えた雰囲気が無くなり、立派な欅並木が続く街道に出る。

あぁ、こんな感じね。

通勤時間からもちょっと外れた時間だったせいか、通る人も大して居なくていつも人がわさわさと行き交う家の周りや、会社の辺りとは全く違う。

信号を渡って、向かい側の道へ行ってから駅の方へ戻る。

駅舎を右手に見て進むと、モスバーガーやドラッグストアなどがあり、駅の横にロータリーが有るのも見えるから、こちらの北口の方が栄えているのかましれない。ふらふら歩き、角にあった駐車場の大きな喫茶店?レストラン?と言う佇まいの店でお茶を飲むことにする。

モーニングを食べている人がほとんどで、メニューを見せてもらうとパンケーキやハンバーグなどの食事も朝から出来るらしい。

とりあえず、カフェラテを頼んでみる。

伊万里の可愛いカップに湯気の立つカフェオレが運ばれてくる。

僕は窓際の白い籐編みのテーブルに座って、外を行き交う車を見ながら、ホッと息を吐く。

なんだか、こんななんでも無いことが、久しぶりなんて変な気分だ。


ちょっと本を読みカップを持ち上げると、中は空っぽで時計を見るとまだ、待ち合わせ迄一時間半も有る。

周りを見ると昼もここで済ますのかな?と思える様な、仲の良さそうなご老人達が数組おしゃべりをしている。

あんな風に毎日同じような話を何年も出来る友達がいるなんて素敵な事だなぁ。とふと思う。


調べたところによると、少し下ると、川沿いに桜並木があったはずなので腰を上げて、店を出ることにした。


表通りに戻って、エスニック料理屋、床屋、子供服屋と冷やかしながら歩いていると、ちょっと洒落た一軒家の窓に、物件のチラシが中が見えないくらい張り出して有る不動産屋があった。

ここら辺の相場って幾らぐらいなのかなと、好奇心が沸いて見てみると、都心に比べたら破格でウチのマンションの値段で大きな家が買えそうだ。

都心にも一時間ちょっと電車に乗るだけでで、こんなのんびりした時間の流れを手に入れられるなら、お買い得だなぁといつのまにか間取りを検討していた。

知り合いの誰もいない街に住むのってどんな感じだろう。

せっかくこんなに自然豊かな街だからマンションは却下、アパートともちょっと。借家ね。庭もあれば駐車場も有る。なるほど。築年数を見ると中々古いものが多い。

空き家物件とでも言うのかな、そう言う感じなんだろう。写真付きのものは殆どが、高度成長期の産物的で、大きな屋根の上にちょこんと二間位の2階が有る。


その中で一軒気になる物件を見つけた。洋館風、室内8年前にリフォーム済み、ファミリー向け、犬猫ペットの類不可、子供は未就学児不可、駐車場一台OK、3LDK納戸あり広め、バストイレ別。

隣に大家住。エントランス共同。やる気が有るなら裏庭畑使用可能約4畳[条件/他の庭木の手入れもするなら]


ついていた建物の写真をもう一度見る。可愛い小さなクリーム色の洋館だ。へぇ、敷地も広そうなこんな家で暮らすなんて想像した事もなかったな。


窓にへばり付く様に見入っていたら、後ろから

「どうぞ。今開けますね。」

と声が掛かった。

「あぁ、エッと」とまごついていると、

「その物件掘り出し物ですよ。この広さならここら辺でもかなり格安。それに駐車場付きだしね。大家さんのと並べて置くようだけど、屋根付きだし。」

と、さぁどうぞどうぞと押し出しの強い、太鼓腹の中年の不動産屋がお構いなく店に招き入れる。



「ここら辺でお勤めですか?近頃ほら、すぐそばに出版社が越してきたから、マンションとか結構空きが無いんですよ。」

中綿がはみ出しそうな、黒いソファに座らせられて、

「どちらにお勤めですか?電車ですか?車かなぁ。」

とどしどし質問してくる。

「これ以外なら、こことか、ここなんかも駅近だし良いですよ。ご家族は何人?」

僕は、まだ何も質問に答えていない。

「この街は住みやすいですか?」

とまずは聞いてみる。

「そうね〜まずまずかな。田舎の様でそうでも無いってところです。所沢の役所関係には、車なら15分位で行けるし、そこには防衛医大の大きな病院も、結構な広さのドッグランとかも有る公園なんかも有るし、電車に乗れば案外都会へのアクセスも悪くない。でも武蔵野線は風でも止まるから、それは覚悟の上ってのが、最低条件に入ってますけどね。

車なら関越のインターもすぐそこだし、軽井沢までなんて空いていたらあっという間ですよ。

カドカワが来てからは、オシャレなカフェやレストランも出来るみたいだし、ホテルも併設されてるから家に泊めたくない知り合いが来た時泊まってもらえる。バスで所沢まで行けば、西武デパートとか駅ビルも大きくなったし、ある程度の買い物も済むし、わざわざ休みの日に都内まで買い物に出なくても良くなった。最大の売りは、リムジンバスが停まる事ですよ。直通で羽田にも成田にも行き来出来る。旅行好きや出張の多い人には打って付けです。なのに田舎。駅から少し行けば畑が広がってる。のんびりしたものです。

ここから、ちょっと歩けば、川沿いの桜並木で毎年花見だって出来る。千鳥ヶ淵とは行かないけど、なかなかのもんですよ。」

と、利根と名刺を出した太鼓腹の男は肩を揺すり笑いながらそう締め括る。


何故か僕は、

「じゃその最初の物件見せてもらおうかな。」と自分でもなんでだ?と思いつつそう言っていた。


利根さんの話は、長い様で押さえてところは押さえているって感じで、大家さんとのアポイントはすぐ取れた。

さっき僕が店に入ってからたった15分で内見まで決めちゃうなんて利根さんは、やり手の営業マンなのかも知れない。

「すみません、私はこれから一件約束が入ってまして、ウチの若いの。あっ来た来た、島津ちょっと。コイツが行きますんでよろしくお願いします。」

「えっ、利根さん何ですか?内見今からですか?あぁ別に予定入ってないですけど。」と島津君はビックリ顔で応じている。

利根さんと島津君は、僕をソファに取り残して2人で軽い打ち合わせをしてから、島津君と呼ばれた僕より少し若そうな青年が

「島津です。よろしくお願い致します。」と名刺を差し出しながらにこやかに挨拶をした。

「すみません、急で宜しくお願いします。」

と挨拶もそこそこに、営業車白いどどーんと社名がプリントされた軽に乗って桜並木の川沿いを西に走る。

「歩きなら、ここまで降りてこない方が近いんですけど、この季節は桜を見ながらの方が風情がありますからちょっと遠回りでけすど、、、」と上を見上げる仕草をしてから

「ほら出てきた。ジャジャーンこの田舎町に相応しくないモニュメント。これがこの街の最大の売りの桜タウンです。」と効果音付きでちょっと自慢げに左手に見えてきた大きな商業施設を指差した。

「スッゴい大きいですね。」

「まだ、本格オープン前ですけど、どうやら漫画とかゲームのイベントを2.5次元とか言うんでしたっけ?そういうのやる劇場とかもあるらしいっすよ。」

と、同世代なので最後の方はタメ口になって教えてくれた。



その施設の横にもスーパーが有って、そこを左折してその後何度か曲がると、住宅街の中にその一軒家は在った。

二百坪は、優に超える広さが有る。

森に囲まれているのかと思える様な佇まい。北西の一辺は、その先が開けていて眺めが良さそうだ。

薔薇の門という風情の先に確かに2台分の屋根付きのカーポートがあった。

その森の中に塗り替えが綺麗にされている、古い洋館が静かに建っていた。

真ん中に玄関。左右に井形格子の窓。右手に短い渡り廊下で繋がった一棟は、2階に届きそうな大きな窓がある。きっと部屋の中は明るいんだろうな。


島津君が、素早く降りて呼び鈴を鳴らす。

出てきたのは思っていたよりも若い感じの女の人だった。

その人は、僕達2人を素早く見比べてそっけなく

「堀川です。」と名乗った。

僕が挨拶をすると、照準を僕に定めて、家の中を前に立って案内する。

言葉は少なく、簡素でまるでこの家に他の誰かが住むのを望んでいない様な口ぶりだ。


家は、外見と違ってスッキリと今風に改装が為されていたけれど、リビングに入るドアの上にある明かり取りの窓の単色ステンドグラスや、階段の手すりの止めの部分の金具、木の窓枠が今でも昔の佇まいを醸し出していて、僕はかなり気に入っていた。


2階は、改装が壁紙だけだというので、上がらせてもらうとがらんとした部屋の中に、本棚やサイドテーブルなどの小さな家具が少し残っていてそれも時代を感じて可愛らしい。クローゼットは、彫刻が施された一枚板を左右に2枚ずつ蝶番で付けた、蛇腹に折るタイプのドアでこれはもう一目惚れに近い感じで気に入ってしまった。

大家さんに断って開けさせてもらうと板の重厚さは伝わってくるもののスムーズに開く。中も結構な収納力がありそうだ。


「家具とかは、使わなければ撤去も出来ます。」と大家さんは、僕がジッと家具を見つめていたのに気付いて言った。

「あっ、はい。」

「それから、屋根裏も有るにはあるんですけど、そこは使えない条件になっています。」

「そうなんですね。でもこれだけの広さが有れば屋根裏までは使わなくて済みそうです。」

と、多分前は主寝室だったであろう広い部屋をぐるりと見渡してから、

「それから、動物を飼うのはNGで、結婚されてるのかな?小さいお子さんもダメなんです。申し訳ないけど、とりあえず未就学児って事にしてるけど、出来たら小学生もって事にしたいけど、武蔵ハウスさんに駄目って言われてる状況です。ねっ島津君。」

「えっそうなんですか?僕担当じゃ無いので把握してなくてごめんなさい。」

「その様に普通は付かない条件が割とついているので、よく聞いてからご検討下さい。

もう少し上見ますか?どうぞごゆっくり。」と言うと大家さんは、小さな窓が幾つか明かり取りの為なのだろう、段違いに空いた階段を降りて行ってしまった。



「どうされます?あぁ条件とか聞かなきゃ分からないですよね?

じゃ事務所帰ってからにしますか?

現在、多分内見された方いないはずなんでゆっくりご検討されて大丈夫だと思いますけど。」

と島津君は、大家さんの素っ気なさに当てられたのか、腰が引けた感じで聞いてくる。

「そうですね、もうこんな時間だから、打ち合わせの後また寄ります。その時条件とか書き出したものが有れば頂いていいですか。」

「分かりました。」

ということで、大家さんに挨拶をして、島津君にはカドカワまで送ってもらった。

「ここへ仕事だったんですか?何だぁ変な紹介の仕方しちゃったなぁ」とやけに照れていた。

「初めて来たので、助かりました。」と後でまた寄りますと言って別れた。

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