第40話


梅雨間の散策


梅雨の晴れ間、初夏のような陽射しが庭の畑を照らす。

冬に植えたインゲンやスナップエンドウが、葉より少し濃い緑の鞘を揺らしながら此処にいるよとアピールしていた。

案外丁度良い収穫時期は、知識がないと旬を逃して皮がやたらと硬くなったり、早く収穫し過ぎて青かったりする。

ふっくらと膨らんだ鞘を選んで幾つかを採って、残りはチーさんに聞いてからにしよう思う。

この間植えたとうもろこしは、随分虫にやられてしまった。虫にとっても、とうもろこしは美味しいんだろうな。

チーさんが調合してくれた薄い農薬を撒いて難を逃れた株が腰の高さまで育っている。もう少ししたら間引きしたヤングコーンが食べられるな。今まで生のヤングコーンを食べた事はあったのだろうか。

サラダにのっているやたらと美味しいのが、生だったのかな?

生産地に近い此処では手に入りやすいが、それもここ数年で前は間引きされたものはそのまま廃棄されていたらしい。勿体無い。

皮のままチンした蒸し立てのヤングコーンは食べられそうだが、採れたてのふっくら膨らんで綺麗に並んだ粒の実を焼いたとうもろこしを、その時期には此処に居ない僕は食べられないんだなぁとため息をつく。


昨日届いた飯田橋の引越し荷物が、2階の一室を埋めた。

あちらにあった大きな家具といえば、デスクと家電くらいだけれど、机以外は備え付けで貸す事にしたので、大した荷物は無いと思っていたのに、小さなトラック一台分の荷物は、想像以上に存在感を放っていた。

それでも、ほぼ荷解きをせずに仕舞って置くだけなのだけれど。

ダンボールに荷物を詰めた荷物は、母や子供の頃の思い出の品々が、思った以上に多かった。今回もっと処分すればよかったのだろうかと、荷物を眺めてまたぐずぐずと思う。


カレンダーを見ながら、明日の天気をチェックする。

やはり明日がベストかな。

とりあえず、収穫した豆たちを持って堀川さん家の呼び鈴を押す。


「おはよう。どうした。」と大家さんは、いつも通りラフに応えてくれる。

「あっこれを。」

「あっどうも。今日お料理の日じゃなかったよね?」

そう聞いてきた大家さんに、慌てて手を振りながら

「違います、違います。

あの唐突で申し訳無いんですが、明日お暇ですか?」

「えっ?明日?何?引っ越しの手伝い?ちょっと待って今カレンダー見てくる。」

と奥に走って行った。

「引っ越しの手伝いではないでーす。」

と少し大きな声で答えると。

小さな卓上カレンダーを片手に堀川さんが戻って来た。

「えっと、とりあえず何もなさそうだけど。」

と今度は下を向いてスマホの画面を開いている。

「よかったらなんですが、明日は天気も良さそうだし、えっと前に言っていた散策にご迷惑じゃ無ければご一緒願えまませんか?」

「散策?前っていつの事だろ。」

「あの、以前池之端でお会いした時に勧めて頂いた谷中の散策に行けたら嬉しいなと思い立ちまして、前から行きたかったんですけど、なかなか実行していなくて、引っ越してしまう前にぜひ実行したいなぁと。それで天気とも相談していたらずっと雨模様だったんで、なんだかずっと行きそびれていて、それで明日の天気予報見ていたらどうやら晴れそうだし、明日ならどうかなって。なんだか急で申し訳ないんですけど、どうでしょう。」となんだかとても慌てた調子の早口で捲し立ててしまった。

そんな僕の様子が可笑しかったのだろうクスッと目を細めて、

「えっ?あぁ根津神社?躑躅まだ咲いてるかな?」と可笑し気に言う。

「そうですそうです。アメリカに耳掻きの良いのも待って行きたいし、朝倉彫塑館にも訪ねてみたいなって。」

「あぁ、まだ行ってなかったか。」とちょっと遠い目をして、

「明日ね、良いよ。そっちは引っ越しの準備終わってるの?」

「えぇほぼ身一つで行けばいいので。」

「でも、耳掻きはつつじ祭りの時の出店だけだから買えないと思うけどイイ?」とイタズラっぽく堀川さんは笑う。

「あっそうなんですね、イイですそれでも。」と急に恥ずかしくなって身を萎めた。


次の日、チロの散歩を済ますと薄日が射す中を早目に出掛ける。

東所沢から武蔵野線に乗って南浦和で京浜東北線に乗り換えて、日暮里駅を目指す。

日暮里駅から、山手線の内側に向かって歩く。5分も歩かない処に朝倉彫塑館がドンとあった。

「こっちはねアトリエだった方の入り口で、住まいの玄関は裏側にあるんだよ。」そう堀川さんはワクワクした声を出す。

見上げるとアールを描いた壁、最初から美術館にするつもりだったのかという佇まいだ。

広い入り口からスリッパに履き替えて中に入ると、天井の高い板の間にブロンズの像が何体も置いてある。

彫塑をゆっくり見て回っていると床の隙間から明かりが見えるので、しゃがんで覗いてみると、地下にアトリエが見える。思いの外深くてちょっと足元がくすぐったくなる。

堀川さん知ってるかなと目をあげて探すと、右側にある部屋に入って行く背中が見えた。

追いかけてその部屋に入ると、天井まで届く本棚が壁一面に備え付けられてある。

アールを描いたガラスがハマっている本棚。それ自体が美しい。

なんて素敵な書斎なんだろう。こんな書斎を持ったみたい単純にそう思う。


アトリエから住居側の方へ続く廊下が庭の池、いや池の庭をぐるりと囲んでいる。そうなのだ、四角く建物に囲まれた中庭が全て池なのだ。

大きな庭石の配置も素晴らしい。

ぐるりと池を見ながら住居部分を見学してアトリエに戻ってくる。

陶のテーブルセットが置かれていたので、そこに座ってもう一度庭をゆっくりと眺めていると向かいの席堀川さんが座って、

「気に入った?」と嬉しそうに尋ねる。

「はい、とても。」

堀川さんは満足そうに頷きながら、

「まだ終わりじゃ無いからね。」とニヤッとイタズラを仕掛ける子供の様な笑顔を見せて立ち上がった。

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