第41話


お気に入りの朝倉彫塑美術館の屋上に登ると、いつものように少年が壁のヘリに腰掛けて空を?いや街を見ている。

朝倉さんはこの少年に何を見せたかったのか。移り変わるこの東京の景色を屋上で見守っていて欲しかったのだろうか。少年は朝倉さん自身なのか、この方角なら富士山が見えるのだろうか。

そんな事を思いつつ、太い幹のオリーブの木の周りをぐるりと廻る。


この彫塑館は、以前は私設美術館で予約でしかも限られた曜日しか観られなかったのが、いつの間にか台東区が運営していて散策のついでにフラリと立ち寄れる様になった。大変好ましい。


時折此処に無性に来たくなる時がある。

こんな家に住む人生ってどんなだろう。あぁきっと住みたいというより、こんな家を作れるセンスを持ち合わせたかったんだ。オリーブの根本から少年の彫塑を眺めながらストンと自分の思いに気付く。


「堀川さん。」

新木田君が傍に立って大丈夫ですかと目顔で聞いてくる。

「ゴメンゴメン。思いに耽るのは君の専売特許だったよね。あはは。」と一体どれくらいぼんやりしていたのかと訝りながら笑って護摩化しつつ外階段を降りる。


2階の和室も素敵だが、猫の彫塑が飾ってある部屋も好きだ。朝倉先生が猫好きだった事がよく分かる。

一通り見終えて、新木田君の感想を聞くと、この家には物語がありましたねと言っていた。「物語か」もう誰も住んでいない家だけれど、そこから匂い立生活の事を物語と言っているのだろうか?

彫塑館を出て鼈甲屋さんや江戸を感じさせる酒屋、子供の頃を思い出す駄菓子屋、手摺の千代紙を売っているいせ辰などを冷やかして、根津神社に向かう。

躑躅の季節では無いのでそれ程混雑はしていないけれど近頃の御朱印ブームのせいか、以前比べれば賑やかだ。伏見稲荷とはいかないが、境内にあるお稲荷さんには奉納された鳥居がずらりと並び、やはり今時らしくフォトスポットになっていた。

マカオに行った時、「同じ敷地に違う神を祀ってあるのが珍しいところなんです」と、説明を受けた教会があったけれど、日本ではさほど珍しくもなくお寺にお稲荷さんがあったりするなぁと鳥居をくぐりながら思う。

裏の医科大側の門を出て、坂の登ると和菓子屋が在ってそこの味噌饅頭を、ハラハラしながら注文する。売り切れていることが多いのだ。

運良く今日は買うことができた。やったぁー。すぐに一つ頂こうかかと思っていると、

「良かったですね買えて。」

ニッコリと笑う新木田君を見て、何故かちょっと恥ずかしくなってお饅頭を鞄にしまう。幾つになっても食い気が先に立つ自分にいささか呆れながら、お昼は根津神社の側にある蕎麦屋でどうかと新木田君に確認を取る。


久しぶりにおかめそばを頼む。

近頃立ち食い蕎麦や、小洒落たそばダイニングに入る事が多いせいか、おかめそばの存在を忘れてたいたのだけれど、この店を見た途端に思い出したのだ。おかめそばは、具材に手がかかるからやめてしまう店も多いのかもしれない。

いつの間にか何故か存在を忘れてしまうことってあるよな。

例えば、新しく出来た店を見て「あれ?前なんの店だった?」って思ったり、よく買っていたお菓子が知らぬ間に製造中止になっていたりと、何かのきっかけで思い出すと、自分に

「何故忘れていた⁈」と問いかけたくなる。


おかめそばがそんな類になっていたとは。正調蕎麦屋さんに行かなくなってしまったせいかもしれないが。

ちょっと気軽に今日は小諸そば、明日は富士そばなんて感じて立ち食い蕎麦は割と食すのにな。


「何ニヤニヤしてるんですか?そんなにおかめそば好きなんですか?」

と新木田君が頬に笑みを携えて聞いて来る。

「ニヤニヤニヤしてるのは君でしょうが。おかめそばの存在忘れてたなぁって思ってだだけですよ。」

「確かに、僕食べた事無いかも。」


鴨南蛮を頼んだ新木田君とおかめそばの私はフーフー汗をかきながお蕎麦を平らげて、ザルにすれば良かったねと笑った。

すると、隣の席にいた白髪の綺麗なねず銀のカーディガンを着たご婦人が、ご姉弟さんかしら?と楽しそうな眼差しで声を掛けてきた。

「いえ違うんですけど、似た様なもんです。」と随分曖昧な事を言ってしまった。

「あら、仲がよろしいのね。ここのおかめそば私も好きでたまに連れてきてもらうんですよ。」と嬉しそうに話す。

「美味しいですよね。私はとても久しぶりなんです。」と答えると、

「じゃあ根津神社にお詣り来たのかしら?」と重ねて話しかけてくると、隣にいた私より少し年下とお見受けする男性が、「母さんお蕎麦冷めちゃいますよ。」と言ってからこちらに

「スミマセンね、」と頭を下げるので、手を振って大丈夫だと示してから、

「そうなんです、根津神社に来たので寄ってみました。近頃は久しぶりに行くと無くなってしまうお店も多いので、ちゃんとお店があってホッとしました。こうやってお話も出来て楽しかったです。」とご婦人に応えると「オホホ。」笑ってお蕎麦の食べ始めたので、失礼しますとお店を出た。


ちょっとしたお喋りは、温かな気持ちにさせてくれる。

外に出るとまだ日は高い、さて次は岩崎邸だ。


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