第13話
買い出し
初夏の乾いた暑さを通り越して、夏本番前の湿気を含んだ大気が重苦しい水曜日、僕は週末に急に押しかけてくる事になった前の職場仲間の事を報告しようと、大家さんの呼び鈴を鳴らす。
無垢の板を使った、背の高いドアがいつものようにゆっくりと開くと、二十歳前後の若い男の子がのそっとノブに手を掛けて現れた。
「はい、何ですか。」
彼は素早く僕を舐める様に一瞥してから、高い背を屈めて睨みながらそう言う。
筋の通った鼻に、一重なのに大きな黒目がちの目を持った、明るい色の巻毛の青年は、決して感じが良いとは言えない態度である。
大家さん以外が出てくるとは思いもよらなかったので、必要以上に狼狽えた態度も怪しかったのか、彼は益々剣のある目つきになる。それでも育ちの良さが滲み出るのか、やさぐれた感じは無い。
そんなところが大家さんのお身内だろうと思わせる。もしかしたら息子さん?
そう言えば、堀川さんのプロフィールはイラストレーターで一人暮らしという以外殆ど何も知らないかもしれないと、ハタと気付く。今度はそのことに狼狽えながら
「あっ、堀川さんはご在宅ですか。隣の新木田です。」と上擦った声で言うと、
「あぁ、今出掛けてるけど何ですか。」
名乗ったのに少しも態度が和らがない尖った声なので、また動揺しながら
「ええっと日曜日にウチにちょっと多めに人がくるで、お騒がしますとお伝えください。」
「はい、伝えときます。」
バタン。
目の前で扉が閉まる。
アレ、何か気に食わない事言ったかな。と思いつつ自分の姿を見直してしまった。怪しげだったろうか、そんな服装では無いと思うけどなぁ。息子さんなら隣とは言え若い男がノコノコと何の用だと思っても無理も無いか等と、グルグルと考えていたらなんだか気持ちがモヤモヤして、玄関前で大きな溜息をついてしまう。
大家さんのポジティブな笑顔を見たら少しは気分が上がるかなとちょっと期待していたのにな。
アレはの昨日のことだ。前澤君から連絡が来て
『お元気ですか、ちょっと相談が有りましてお時間作っていただけないでしょうか。』
雲をも掴む様な内容のメールだ。
前澤君は、以前うちの会社にいた開発部の精鋭で、彼が辞める前は主任だったはずだが部長と反りが合わずにいつも憤怒覚めやらぬと言う顔と態度だったのが忘れられない。
そう言えば、ウチを吸収した会社に2度の転職を経て収まったと聞いた気がする。
返事をどうするか考えていたら、畳み掛ける様にこんなメールが来た。
『咲山さんに聞きました。郊外の一軒家にお引越しされたそうですね。今度みんなで引っ越し祝いに遊びに行かせてください。カドカワのミュージアムにも行きたかったので、長居はしません。一度お顔を拝見して聞きたい話もあるので、お願いします。』
『どうでしょう今度の日曜日はいかがですか。予定有りますか?』
昔から話の早い男だったが、推しも強かったな。そんなところが慎重派の咲山部長と反りが合わなかったのだろう。
それにしても予定なんて特に無いから、断りづらい。
向こうはこっちが何処に住んでいるかも知っている様だし、放って置けば勝手に押しかけて来る様なタイプだ。
「億劫な事は先に片付ける。」コレは学生の頃からの僕の信条の一つだ。
仕方が無いので、
『日曜日、天気が良ければどうぞ遊びに来て下さい。バーベキューでもしましょう。』と雨になれ‼︎と思いながら返信した。
すると、30分もしないうちに
『では、うまい酒でも持って皆んなでお邪魔します。』と返ってきた。
だから、皆んなって一体誰らなんだ。
益々億劫になって、雨乞いでもしようかと思っていたが、その想いは全く届かず日曜日は、久しぶりに雲ひとつない晴天になりそうだとニュースでお天気お姉さんが、満面の笑顔で告げていた。
前澤君に聞くと来るのは、前の会社で彼の同期が主だったメンバーで、人数は概ね10人。
前澤君主催で、ホームパーティーのホストを任命された訳だが、どんな裏があるのかつい考えてしまう。
最初の相談したいって言っていたのは、皆んなで集まりたいって事なのだろうか、まさかな。そんな奴では無い。まぁ差しで気の重い相談をされるより大勢の方が誤魔化し易いか、と気を取り直して準備をする事にする。
雨になれと願ってバーベキューを提案したが、大人数だったならナイスな選択だったなと思う。しかしバーベキューって何が必要だろう。とりあえずバーベキューコンロやテーブルや椅子をレンタルしようか、いっそ買うならこの間行ったホームセンターだろうかとチーさんに相談する。
チーさんはにこやかに、バーベキューかぁ久しぶりだなとゴシゴシと額の汗を拭きながら、
「俺の家にも、キャプテンの家にも古いけどキャンプ用のテーブルや椅子が、なんやかんやあるから持ってけよ。そんなもんに金使う事はねぇよ。それにバーベキューならキャプテンに焼かせたら間違い無いから俺達も呼べや。」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにする。今の僕は最先端のビジネスの話をするより、チーさん達といる方が心穏やかなのは間違いない。お二人が来てくれるならなんだかとても心強い。
チーさんが連絡を入れると、キャプテンは車で椅子や炭を持って来て、庭にあったレンガを積み上げてバーベキューコンロをあっという間に作ってしまった。
そして肉を金曜日には買って持って来いと言う。
「それからこれに合うサイズの網は新しいの買っておいてくれや。」とコンロの出来を満足そうに見ながら言う。
「凄いですね。こんなにすぐに出来ちゃうもんなんですね。」と感心して言うと、チーさんと目を合わせてから、ニマニマと笑って
「大将がいる頃には、よく此処でやったんだよバーベキュー。」と当時を思い出しているのか優しい目をしてキャプテンが言う。
大将とは堀川さんのお祖父さんだろうな。それで、レンガがちょうど良く有ったのかと納得する。
そして肉をどこに買いに行けばイイのか問題も抱えて大家さんに相談しに行ったのに、門前払いを喰って意気消沈し家の前でため息をついていると後ろから、
「何ため息をついてんの?」
と大家さんが門から荷物を下げて帰って来た。
日曜日の事を手短に話して、キャプテンから肉を買ってこいと言われた話をすると、じゃ金曜日にコストコでも行ってみるかぁと、遂に大家さんまで巻き込むことになってしまった。
日曜日が晴天になるともう一度確認してから、金曜日に初めてコストコに車で向かう。
平日の昼間なのに駐車場はいっぱいで、屋根のあるスペースには置けなかった。カンカンと日差しが降り注ぎ帰る頃には車内は蒸し風呂状態なのを覚悟する。
入り口で会員登録をしている時、出口に向かう人々がみな、あのアメリカンサイズの大きなカートに山程商品を乗せているのに驚いた。
食品売り場まで辿り着くと大家さんが
「君はさぁ、料理は出来ないんだからさ、肉はキャプテンに任せるとしても他の物はこういうのでテキトーに揃えたらいいよ。」と大きな肉の塊の他に冷凍食品や出来上がりのサラダやスープ、アヒージョをひょいひょいと商品をカートに乗せていく。
「でも、こんなに冷凍食品は収納できませんよ。」と言うと
チッチッチと指を振って
「大丈夫。ウチには死体でも入れられそうな冷凍庫が有るからそれを使えば良いからさ。」
死体?ってあのよくマグロとか入っているやつかな?
それからティラミスやクロワッサン、チーズにワインやジュースにパーティー用の紙皿セットもカートに入れた。
成る程食器の事なんか頭になかった。
ツマミもあるとイイよねと、見たこともない大きな袋のトルティーヤにサルサソース、ローカーのウエハースのバラエティセットと次々と入れていく。あっという間に、さっき見てビックリしたカートに山積み状態になった。
ついでだからと堀川さんは、コーヒーのパックとビルケンのサンダルもカートに積んだ。レジに向かう時、カルバンクラインのデニムがやけに安かったので僕もつい1本カートに載せる。
さっき見かけた庭用のプールや東屋、工具棚やバーベキューコンロも全てがアメリカサイズでついついカートが満載になるのがわかる気がした。
そうやって準備は、皆んなを巻き込みながら結構楽しく進んだのに気が乗らないのは相変わらずで、そんな自分を持て余している。
さぁ明日はいよいよ来るんだなと綺麗に晴れた空を見上げて、コンビニにでも行くかと、玄関を出ると、丁度帰って来た大家さんに出くわす。
「あっ、お帰りなさい。えっと明日はお騒がせしちゃうと思いますがよろしくお願いします。そうだ良かったら、大家さんだけじゃなくてあの今お家に来ている彼も一緒にどうですか。そうだそうだ、良かったらお茶でも飲んで行きませんか?ほら、昨日買ったティラミスの味見を兼ねて。」
大家さんは、目をすがめて
「どうした?何かあった?今買ってきた物を冷蔵庫に入れなきゃならないから、後でこっち来て。そうだね20分後ね。パウンドケーキ焼いてあるから。」
「えっ、あぁありがとうございます。伺います。」
僕は何を焦っているんだろう。
とりあえず、家に入って麦茶を飲む。
あの背の高い男の子は、豪太君と言って堀川さんの妹さんの息子さんで、僕がソファに座ると、真向かいのカウチに座って僕を上から見下ろす。なんとも居心地が悪い。
「あの、明日の昼に僕のとこでバーベキューをやるんだ。キャプテンが肉を焼いてくれるから良かったら君も来ない?」無言の時間を埋める様に言ってみる。
「あぁ、聞いてる。気が向いたら行くよ。」
何でこんなに不機嫌で威圧的なんだろ。それに10近く歳下の彼に僕は何をビビってるんだろう。情け無い。
「えっと、大学生?」
「そう、今は夏休み。ここの方が課題出来そうだから、暫くここに居る。おじさんどこ大?何専攻していたの?」
僕は、大学名と専攻を素直に答えると興味なしって感じで
「ふぅ〜ん」と言って、携帯を開き始めた。
その後暫く沈黙が続く。長い様だったけど、多分2分位だろうか大家さんがトレイに香りの良い紅茶を載せてやって来て時には、大きなため息が出そうになって慌てて咳きを一つした。
「豪ちゃんどれくらい?」
堀川さんが、パウンドケーキにナイフを当てながら聞く。
僕には聞かずに、約2センチ幅で2枚切って僕と自分の皿に乗せる。
甥っ子の豪太君は、
「それの倍くらい、生クリーム多めで。」
「んっ」
「ねぇおじさんさぁ、もしかしてこの人?」と携帯の画面をこちらに向けて上目遣いで聞いて来た。
「あぁ、それは僕だね。」
「へぇ、見かけによらず稼いでるんだね。あっでもこの間履いていたスニーカーはGUCCIだったか。」
「おじさんって、豪太とそんなに歳変わらないでしょ。歳上に敬意を表せないと面接で落ちるよ。」
「嫌なこと思い出させないでよ。そんな話したくないからここに来てるんだからさぁ。」
「就活?大変だね。」
「おじさんの時はどんなだった?」
「僕自身は、就活した事ないからなぁ、参考になるか分からないけど、余り自分を大きく見せようとしないで、出来る事はハッキリと自信を持って言ってくれると好感が持てるよ。」
「それって採用する側からするとって事?」
「うん、まぁ僕はそういうのを大事にしていたよ。世の中には色々な人がいるからマニアル通りにはいかないのが世の常だと思うけどね。」
「ふぅ〜ん。そう言えば日曜日はどんなメンツが来るの。」豪太君は物怖じもせず真っ直ぐ目を見て聞いて来る。
「前の会社の連中が、カドカワに来るついでに寄るらしいよ。」と低めの声で言うと
「へぇ乗り気じゃ無さそうじゃん。」そう言って三口くらいでパウンドケーキを食べ終えて、喉を鳴らして紅茶を飲む。なんか豪快。名前の通り。
「じゃあさ、今は合併してこの会社の人になった人が来るって事?」と画面が切り替わった携帯をトントンと指さした。
「まぁ、そうだね。」と力無く笑う。
「バーベキューは必ず参加します。」と何故か鼻を広げてさっきまでの剣呑な態度を一転させて、学生らしい若々しさを身に纏ってそう言った。彼は皿をキッチンに持って行くとそのまま「じゃあ」と出かけてしまう。
「ゴメンねぇ〜。私が甘やかしたから自由で。」と母親みたいな顔をして堀川さんは、キッチンの方を見ながら言う。
どんなに大きくなっても、彼女にとって豪太君は5歳くらいの可愛い甥っ子なんだろうなぁ。
「いえいえ、ハッキリしていて気持ちいいですよ。」
「それで、私に何か話したかったんじゃないの?」とパウンドケーキを齧りながら堀川さんが僕に気を遣ってくれる。
「イヤァ、特に何って訳じゃ無いんです。でももう大丈夫です。豪太君見ていたらなんかスッキリしたしました。若いってイイですね。」
「なに言ってんの⁈君も充分若いわよ。それで明日は商売敵とか、苦手な人とかが来るの?」
「そう言うわけでも無いんですけど、なんて言ったらいいんだろ。僕が仕事を辞めるに至った話とか、今は現役でも無いから仕事の話しはしたく無いし、それにわざわざ来るには何か魂胆が有るのかな?って変に勘ぐっちゃって。」
「わざわざ来るほど親しい間柄でも無いんだ。」
「ええ。」そう、そこなんだ。急に何をしに来るんだろう。
一瞬遠のいた気持ちを戻って来いとでもいうように、堀川さんが強い口調で、
「イイ⁉︎始まる前から相手次第な事で気を揉んでも仕方がないんだから、気に病まないの。
楽しめる時には楽しみなさい。明日のバーベキューは、キャプテンのお肉だけを楽しみにするつもりでさ。キャプテンのバーベキューソースすんごい美味しいだから。」
「あぁ、そうでした。楽しみですね。でもどうして明日のこと気に病んでるって思ったんですかぁ。」と肩を窄めて言うと
「えーそんなのオバサンには、丸分かりよ。昨日買い出しだって、ため息ばかりついてるし、
前の職場を辞める時だってイイことばかりじゃなかったんじゃないの?
でもさ、面白い話が降って来る事だってない訳じゃないし、嫌な話になったらキャプテンや私達の方へ逃げちゃえばいいのよ。ねっ‼︎」
「堀川さんはなんでもお見通しですね。」力無くハハハと笑って、目を伏せて頭の中で堀川さんの言葉を反復してみた。
うん、もう大丈夫。そう思った。
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