第7話

谷中散歩


初めて入った串揚げ屋のはん亭は、木造三階建てで、有形文化財だと言うだけあって外装も内装も趣がある。

ガイドブックによるとそこには、珍しい内蔵が有って今は座席として使われている。今回通してもらったのはその蔵の席だった。

僕ら世代にとっては、懐かしいというより映画村やアミューズメントパークの建物に入った時に近い驚きと興奮がある。

コレは一種のDisneyland症候群じゃないかと密かに僕は思っている。

だってベネチアへ行った時に、ディズニーシーみたいと思ってしまったのだ。

子供の頃かDisneylandが身近だった僕ら世代はには、きっとこんな経験をした人が沢山いる筈だ。


近頃ずっと1人だった食事だけど、今日は何故か目の前には大家の堀川さんがニコニコと嬉しそうに室内を眺めながら座っている。

何故かなんて言ったら怒られるな、僕がランチに誘ったんだから。


次々と出てくる串揚げは、どれもひと手間掛けてあって、12種類の串揚げを美味しく頂いた。

「二の膳どうされますか」とお店の人に聞かれて、堀川さんに目を向けると顔の前で手を振り

「ムリムリ」と言っていたけど、

生麩のネタが入っていなかったと残念そうにしていたので、単品で生麩とタコの柔らか煮があるか聞いてから単品で2本ずつ頼んだ。

お腹がいっぱいになって、店を出る時、会計で堀川さんは待たせたから自分が出すと言い、僕は僕で無理に誘ったのは自分だからと、かなり出す出さないでおばさん同志みたいに揉めた。

結局、僕が出す事にはなったけど堀川さんは腑に落ちな風だったから、

「では、もし良かったらランチ分て事で、ここら界隈を案内してもらえませんか?」と言ってみた。

「えっ、そんなんで良いの?時間ある?私はここまで来たなら、一度は桜の季節に来てみてくださいってボランティアガイドさんに言われていた安田楠雄邸に足を延ばして、日暮里に向かいながら、買い物する予定なんだけど、そんなんでいいかな?」と言うから、首を縦に振りながら

「是非是非。」と意思表示した。

ガイドブックより、ガイドさんがいてくれる方が楽しそうじゃないか。


「腹ごなしに歩けるよ」とも言われたけど、コミュニティバスが丁度来たので乗ることにした。

路線バスというより幼稚園バス位の大きさで、座席もこじんまりしている2人掛けに、横並びで乗るとまるで遠足に行く小学生気分になった。

さっきは食べるのに夢中で、食材の話が殆どだったので、

「ここら辺は詳しいんですか?」と聞いてみる。

「一時期よく来ていたからなんとなくね。それに好きな建物とかも多いので、時々思い立つと散策に来るのよ。新木田は初めて?」

「そうですね。不忍池辺りまででこっちは初めてです。」

「そう。根津神社にも来た事ないの?」

「はい。勿論節分の時はお相撲さんも来る位古くて有名な神社って事は知ってますけど、来たことはないです。」

「もう少ししたらツツジの季節だからその時に来ると良いよ。ツツジも綺麗だし、良い耳掻きも買えるから。」

「えっ、耳掻きですか?」

「そう、つつじ祭の屋台で耳掻き屋さんが出ていて、そこのが良いのよ。」あははとコアな情報をくれる。

すると前に座っていたおじさんがクルリと振り向いて、

「そうだよな、あそこの耳掻き使うと他の使えねぇよな。」

と言ってくる。

「そうそう、でも耳掻きって割とすぐどっか行っちゃったり、折れたりしちゃって、また買いに来る羽目になるんだよね。それまで百均のとかで誤魔化しながらさ。」

と堀川さんはおじさんと、旧友のように耳掻き談義をしばらくしてから、

「ねぇおじさん、滝のある公園って知ってる?なんて名前か忘れちゃって。谷中銀座から近かったよね?」

「須藤公園の事か?まあ近いな。不忍通り挟んで向かい側だからな。」

「ありがとう、行ってみるね。こんなとこに滝があるって割と感動したんだよね。」

「あそこは、須藤家の庭だったんだよ。庭園の一部だな。」

「へぇそうなんだ。ありがとう。」

「俺はここだから。」じゃあなとおじさんは嬉しいそうに手を振って降りていった。

東京でもこんな事ってあるんだな。

「私達も次降りるよ。」

と堀川さんが言う。


バスを降りてから歩いている時

「どうした?疲れちゃった?」と聞かれて、ハッとする。

何かと直ぐに考え込む質だから、よく疲れたの?とか怒ってるのかって聞かれる。

「いえ、全然大丈夫です。あんな風に知らない人と会話する事よくあるんですか?」

「えっ、あぁさっきのおじさんの事?まあ、自分からは話しかけることはまずないけど、話しかけられたら、この人は大丈夫な人なんだって思って喋るって感じかな。」

「大丈夫?」

「話しかけてこないでってオーラの人も多いからさ、嫌がっている人と話してもつまんないしね。でも、この辺りは下町だからああいう人多いのよ。面白いでしょ?」

とニカニカ嬉しそうに笑う。



安田楠雄邸は、2階から見る枝垂れ桜が見事で、本当に来て良かった。

応接間の設や庭の防空壕の話。床の板の目、暖炉の飾り。どれにもエピソードがあって、手をかけた家というのは、絵本のように面白いと思った。

大事に造って大切に生活をしたから物語が詰まっているのかな。

僕のマンションの部屋を思い浮かべる。あの部屋で物語が生まれるだろうか。

堀川さんのあの洋館なら沢山の物語が詰まっていそうだ。僕の物語もすぐにでも始まる予感がする。

あの家に住みたい、住まわせてもらおう。

その時、僕の気持ちは決まった。



須藤公園の池には、なかなか立派な滝が本当に有った。

落ちる滝を見て、沢山の家に囲まれていてピンと来ないけど、山だったんですね。と2人で話しながら、池の真ん中の弁天堂に渡ってみる。背の高い木々に囲まれて、お屋敷のお庭だった時を想像してみる。六義園や小石川後楽園だけじゃ無くて、武家屋敷のお庭が東京には沢山有ったんだろなぁ。残っているのはどれくらいあるんだろう。

東京で、まだまだ見所を探せそうだとちょっと嬉しくなる。


谷中銀座では、三島食品の寒天や黒蜜、塩豆(別々売ってるのも初めて見た)を、肉屋の腰塚でコーンビーフなどをつられて買ってから、

夕焼けだんだんに続く路地の入り口で、

「新木田君は、甘いものいける?」とお酒飲めるの?と言う口調で聞かれたので、

「はい、勿論。」と応えると

「モンブラン、チョコレートケーキ、餡団子どれが今食べたい?」と聞かれた。

キョトンとしていると、

「お茶にしようよちょっと座りたい。お茶受けは何がお好みかな?」

「どれも魅力的ですね。」

「モンブランは、和栗をその場で絞り出してくれるタイプ。チョコレートケーキは、イナムラショウゾウって言うパティシエの2号店で、チョコレート専門店なの。本当はこちらもモンブランが美味しいけど、それは鶯谷の方の店なんだよ。餡子の団子は、古くからある羽二重団子の本店で江戸の茶屋気分もちょっと味わえる。それに池もある。けど1番遠いんだな駅の向こうだから。どうする?」

「悩みますね。でも今日は池三昧って事で羽二重団子へ行きませんか?」

「いいよ。OK」

と堀川さんは、気軽に受けて歩き出す。

「此処が和栗屋ね。」と右手をサッと翻してガイドしてくれる。

その先にあった赤い傘が立っているお茶屋さんにちょっと寄るよと言って入って行く。

「この煎茶を100グラム下さい。」と注文した後に、僕に向かって

「ほら見て、奥の扉の絵がすんごい素敵でしょ?」と声を顰めて教えてくれる。

するとお店の人が

「ありがとうございます。ゆっくり見ていって下さい。」とお盆にお茶の入った小さな湯呑みを差し出してくれる。

「すみません。」とことわってから、お茶を頂く。歩いて来た喉に心地が良い。

「美味しいですね。ごちそうさまです。」と茶碗を返して扉に目を向ける。金蒔絵の鶴が厳かに描かれている。本当に素敵だ。


店を出て少し歩いた先の階段を上がって、1番上まで来ると振り向いて

「此処が夕焼けが綺麗だと言われている所。聞いたことあるでしょ?夕焼け段々。」

上を見ると看板もあって、雑誌とかで見た事のある光景だった。

「もう観光地みたいになって久しいから、様々な店が入れ替わり立ち替わり入っているけど、昔からのお店も結構あるし、新しいから悪いってわけでも無いじゃない。此処の街らしさみたいのが無くならないなら、寂れるよりはずっと良いと思ってるんだ。私的にね。寂れて締めちゃう店が増えるくらいなら観光地化しても残ってくれた方が、なんか良いじゃ無い。」

「はあ、そうですね。」とあまり力もこもらずに言うと

「別に町会長でも無いから、私がどう思おうと、この街なりに進化しちゃうんだろうけどねぇ〜。」

と、まだ暮れていない空を見つめて堀川さんはそう言った。


少し歩いた角で、ピッとまた右手を翻して、

「この少し奥に私の大好きな朝倉彫塑館。朝倉文夫って言う彫刻家の自宅兼アトリエだった所が美術館になってるの。すんごい好きな建物なの今度機会が有れば行ってみて。」

と教えてくれる。

また少し歩くと、

「やっぱりケーキ買って行くね」と路地にクネクネと入り込み、カフェ併設のケーキ屋に寄る。


「こうやっていつも散策と言いつつ買い物ツアーになっちゃうんだよね。」と言って日暮里の改札口を右手に見ながら通り過ぎて、エスカレーターで下へ降りた。

左手に大きなマンションの様な建物を指差して、

「あそこにエドウィンの本社。前はこの先の信号の所にエドウィンの端切れ屋とかあって生地買えたんだよ。それでバッグ作ったりしたなぁ。」と懐かしそうだ。

線路沿いを上野に向かって少し歩くと、ビルの一階に羽二重団子の文字がある。

「此処ここ。」

建物の角に王子街道の道標が立っていて、柳の枝も中々風情がある。

中に入ると、ビルの中に昔ながらの茶屋が在るという雰囲気で座敷や床几が有り、昔使っていたであろう商家の道具が展示されているコーナーも有る。

奥は一面ガラス張りで、外の池のある庭が眺められる。


座ると

「断然餡子が私のお勧め。焼き立ての醤油も美味しいけどね。」

とお抹茶と餡と焼きの2本のセットにすると大家さんは言う。

僕は、煎茶のセットを注文してから、時代劇に出てくる茶屋を彷彿とさせる店内を見回す。

資料館でも博物館でも無い所でこんな雰囲気を味わえるなんてなんだかお得な気分だ。


モチモチの柔らかいお団子を食べ終わってから、堀川さんに

「僕を店子にしてもらえませんか。」と借家の申し込みをして

「あっ勿論後で、武蔵ハウスさんへ連絡してちゃんとした手順で契約させてもらいますけど、一応今会っているので直接お願いしておこうと思いまして、、、

査定通りそうでしょうか?」

と言うと

「えっ、あぁ母家のね。いいの?本当に?田舎だよ。」

「実は武蔵ハウスの利根さんに東所沢には、都会の垢にまみれていない平凡な自然がすぐそこにあると言われまして、近頃ずっと都会の自然って何かなって検証していたんです。僕には馴染み深い当たり前の自然ですから。」

「へぇ」

「それで、都会の自然は人に見られる為に造られたものなのかもと少し分かり掛けて来たところなんです。今日見て来た不忍池や須藤公園の滝みたいに。」

「そうね確かに。で?」

「だからなんて言うのかな、僕には馴染みの無い利根さんの言う平凡な自然のある生活を一度してみるのも悪く無いかなって思った訳です。そして今日たまたま堀川さんに出会って、ご縁も感じたし、横山大観や安田楠雄の家を見て思い入れのある家って素敵だなって思ったら、僕の今住んでいるマンションが急に味気の無いものに思えて、堀川さんの御祖父母が作り上げて来たあの家に一度住んでみたいと思ったんです。

外観も、今風に改築された後の内装も一つ一つに手ががっている。さっきの串揚げだってただ揚げるだけなら、あんなに美味しくはならないじゃ無いですか。今の僕にはまだ一つ一つにこだわって作り上げる力も情熱も不足しているので、間借りしてその生活を大事にすると言うことを体験しながらその力を蓄えてみたいなと思った次第です。ご検討下さい。」

「あはは、良いよ。」

「へっ」

「借りてくれるなら大助かり。もう半年も決まらずに困っていたし、家を大事に思ってくれるなら、家が傷む心配をしなくて済むだろうからこちらとしても有り難いです。とりあえず利根君に連絡してみてね。契約時に立ち会うかは、それから決めるから。」

「はい。ありがとうございます。」

「あはは、こちらこそありがとう。」

と堀川さんは朗らかに笑う。

「ちょっと聞いて良いですか?」

「はいどうぞ。」

「あの内見の時と今日と雰囲気が随分違いますよね。島津さんと不仲なんですか?」

「キャハハ」と手を顔の前で振りながら、

「違う違う。あの時はあまりに急でちょっと腹を立てていたのよ。いくらおばちゃんだと言っても寝起きのすっぴんの部屋着姿を万人に晒したい訳じゃ無いからね。

それに、若い男の子が1人で見にくるんじゃ冷やかしだと踏んだのよ。お愛想しても見返りは無いってね。嫌なおばちゃんでしょ。」とニヤリと笑う。

「そんなぁ。」とどう返事をしたら失礼にならないか、頭を巡らす。

するとそんな僕の表情を読んだのか、手をパタパタと振りながら、

「大丈夫。気にしなくて。無理して言葉を探さなくても、返事を期待しての言葉じゃ無いから流して流して。

君はさ、今迄どんな環境で育ってどういう仕事して来たのかは知らないけど、考えるのが好きでしょう?確かな答えを見つけたい。そんな感じ。

でも、時にはね意味を深く捉えないで、ドッチボールの球を避けるみたいにひょいひょいと流した方がいい時だって有るんだよ。

言っている本人さえ深く考えずに吐き出す言葉だって沢山有るんだからさ。」

「はぁ、そんな風に感じますか?」

「うん。今私が言った事も右から左へスルーして、ふとした時に思い出したりする程度に留めておいて。」とゴメンね老婆心だからさ、やーね年取ると煩くてと、漫画の様に頭をコツリと自分で叩いて舌を出す姿が、年代差を感じたが微笑ましい。

「分かりましたそうします。」と2人で少し笑い合ってから、店を出た。

日暮里の駅で、堀川さんはここの食パンが美味しいのと、満という店の食パンを、半斤だから1人でも食べ切れるでしょ、味見してみてと僕の分まで買って、チョレーケーキの箱を、お昼のお返しと一緒に渡してくれる。イナムラショウゾウのチョコレートケーキも買ってくれていたんだ。と感心していると、堀川さんはさっさと、「じゃまたね」と大宮方面の京浜東北線のホームへ手を振って降りて行った。


その姿を暫く立ち止まって見ている僕が居る。

「じゃ、また」と言ってみる。

なんだろうこの感覚。


夜、コーヒーと共にチョコレートケーキを頬張ると、すんごく美味しい。なんて充実感のある1日なんだろう。

沢山歩いたせいもあって、久しぶりに子供時の様に夢も見ずにぐっすりと眠った。

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