第9話
新しい家
引っ越し屋に4トントラックを頼んだのはイイけれど、結局戻る時の煩わしさを考えて飯田橋のマンションを貸すのをやめてしまったので、乗せてもらう荷物は大したことが無く荷台の半分程度で収まってしまった。
新しい家に、荷物を運び込んでも大きな家具があるわけでないのでガランとした室内の雰囲気はほぼ変わらない。
仕事のスペースにしようと思っていた、眺めの良い2階の真ん中の部屋に上がって窓を開ける。
眼下には、東川の先に林や畑が広がっていて空がとても広かった。
高層階のマンションから見える空も確かに広かったのに此処の方がのびのびとゆったりとして見えるのは何故だろう。
机も椅子も新たに揃えるつもりだったから、パソコン関連の箱が何個か置いてあるだけの部屋を振り返って、此処に住むんだと実感が湧いてくる。
どんな雰囲気の部屋にしようかと、頭の中に雑誌やネットで見たコーディネートを思い浮かべる。
黒い柱。白い塗りの壁。高い格天井。床はウッドタイルが菱形に連なるようなデザインで敷かれている。どんな家具が合うかだろう。
スッキリしたウッドパネルのベッドが、ふと思い浮かぶ。
北欧風のハイバックのイージーチェアとオットマンを置いて、カーテンは深い緑。
そうだ、ここは寝室にしよう。
仕事をする時ではなく、朝起きた時の景色を優先したって良いじゃないか。
そう思うと、ちょっとワクワクした。
廊下の窓から庭を見ると、荒れた感じの畑がある。
小学校の夏休み朝顔を育てて以来、何か植物を育てた覚えが無い。
物凄く虫嫌いな母は、ベランダに
プランターを置いてオジギ草を植えることすら、土にゴキブリが卵を産むからという理由で許してくれなかった。
畑を触らせてもらうには庭の手入れをしなくてはならない。入居条件の一文を思い出してフッと口が緩む。大家さんらしい条件だな。
パソコン類を下のリビングに置くことに決めて、せっかく引っ越し屋さんに上げてもらった段ボール箱をよっこらしょと持ち上げて、一階のリビングへ何度か往復して運んだ。
そんな事さえ、なんだか自由で楽しいと思える自分を、今迄それ程色んな事を我慢してたのかよ?と呆れる思いで笑った。
3日も経つと家の中はすっかり片付いて、生活に足りない物も分かってきた。
生活に必要な物を買うなら何処ですか?と大家さんに聞くと、スーパービバホームなら大体揃うんじゃないと教えて貰ったので、車で出かける事にする。
都内では、高い物から安価な物、一体誰が欲しがるというんだという奇妙奇天烈な物、国内外のあらゆる食品など無いものは無いんじゃ無いかと思っていたけれど、郊外のこんなに大きなホームセンターに来ると、ある物の種類が違うんだなと圧倒される。
足場の鉄骨や工事現場によく置いてあるパイロン。落ち葉を入れるらしい人が20人くらい入りそうな大きなトートバッグ型の袋。
買う必要の無いものを、次から次へと見て回る。2階には画材や手工芸に使う材料まで揃い、フードコートも有る。100均やドラッグストア、スーパーマーケットまで併設しているので、一日中居ても飽きなさそうだ。コレは一種のアミューズメントパークだな。
浮き足立って、ニヤニヤしない様に気を付けながら、1人でヘェ〜とかはぁーとか言いながら隅から隅まで見て行くと一階の端に、ガーデニング商品が外にも中にも、種から果樹、肥料、レンガや耕運機までかなりのスペースに置いてあって、見ていたら何か育てたくなった。
アレもこれもと野菜の苗を手に取っていたら、あっという間にカゴがいっぱいになってしまう。
明日は良い天気になるかな?
大家さんに行って畑を貸してもらおう。
ガーデニンググローブや長靴に麦わら帽子にスコップも買って、準備万端。
夏休みの前日の様な高揚した気分で家へ帰った。
翌朝、大家さんに畑の交渉に行こうと庭に出ると、堀川さんは物置の前で何やらガタガタとやっている。
「おはようございます。今日は庭仕事ですか?」と声を掛けると
「あぁ、おはよう。うん。動くか試してみて動いたら今日は草刈りと、土起こしをしてみるかなとか思ってます。どうした朝から何かあった?」
と聞かれたので、畑を貸して欲しいと言ってみる。
大家さんは、気軽にOKをくれて、早速草刈機を僕に渡して
「エンジンかけてみて」と真剣な眼差しを向けてくる。
僕は初めての草刈機にあたふたしていると、
「なんだぁ、初めて?」それならイイよとまた自分が草刈機を持って色々試しているけど、全然エンジンが掛からない。
僕はスマホやラップトップを出して、検索しながらガソリンの割合や、スターターの掛け方を言ってみるけどやっぱり掛からない。
そんな事を2、30分やっていたら、表の方で声がしたので大家さんは、玄関の方へ行ってしまった。
僕は更に動画なんかを調べながらあれこれやっていると、大家さんがおじさん2人を連れて戻ってくる。
おじさん達は、この家の元の持ち主の大家さんのお祖父さん達のお友達だそうで、僕よりこの家のことに詳しいみたいだ。畑も千葉さんと名乗った体のがっしりした浅黒い強面のおじさんが、お世話をしていたそうで、草刈機を
「貸してみな」と手に取って5分もしない間にブゥーンと低音を立てて回してしまう。
大家さんとエッどうしてこんなにすぐにエンジン掛かるわけ?と2人で目を丸くした。
堀川さんは、
「流石!チーさん。」とおだてる。すると千葉さんは満足そうに頷き、
「ほら、コレを肩にかけてだなぁ、この棒とここを持ってだな。」と教える気満々で僕に草刈機を持たせる。
結局、畑の草は僕がほぼ刈って、その後耕すのも千葉さんのご指導のもと堆肥を買い込んで来て、それを漉き込んだりして1日を終えた。
僕の買い揃えた苗の種類を千葉さんは聞いて、
「天気みてまた来るよ。俺が来るまで植えるんじゃねぇぞ。」と念を押しながら、ニコニコして言う。
千葉さんは、言葉は乱暴だけど気の良いおじさんだ。
もう1人の千葉さんより少し歳上の「キャプテン」と呼ばれていた楪(ゆずりは)さんは、白髪、白髭のダンディな感じで、着ているものにもこだわりがありそうな、いかにも海の男の雰囲気を備え持つ元船乗りだ。
ひと汗かいた後、大家さんが冷たいお茶を入れてくれてテラスでみんなで休憩をした時に楪さんが、
「君は囲碁をやらないのか?」と聞くから、
「残念ながら、タブレットで将棋はたまにやるんですが、囲碁はやりませんね。」と言うと、
「なんだ、そうかそれなら教えてやらなきゃならんな。なぁチーさん。」と千葉さんと悪巧みでもする様にニヤリとする。
僕は、楪さんの船乗り時代の話が聞きたいと思ったけれど、それも、囲碁を教えてもらえるなら追々聞けることだろう。
僕には親の実家というものが無かったし、僕がいた業界自体が若かったので、こんな風に現役を離れた人と話す機会は殆ど無かったから、囲碁でも畑でも話が出来ることが新鮮だった。
次は囲碁を教えてやるからなと楪さんが言うと、千葉さんがまだ畑の苗植えが終わってないんだから、そっちが先だとワイワイと言い合いながら、帰って行った。
大家さんが
「すっかり気に入られちゃったねぇ。」とケラケラ笑いながら、2人の帰る姿を見送っている。
あっという間に日が暮れてきて、こんなに充実感のある日はいつぶりだろうと考えながら道具を洗って片付けていると、大家さんが
夕飯をご馳走しましょうと誘ってくれる。
畑を貸してもらえて、講師までいるなんて凄くラッキーだと思っていたので、更に夕飯の特典が付くなら庭仕事の一つや二つ何時でもやりますって言う気分だ。
誰かと外食する事は有っても、手作りご飯なんて、母親以外では高校生の時友達の家に泊まりに行って以来だろうか。それだって数えるほどなのだ。
前の彼女は、お洒落な新しく出来た店が大好きで、いつもリサーチして予約まで取ってくれたから、美味しいご飯を食べる事は出来たけれど、朝食さえ彼女の手作りを食べたことは無かったな。
まぁ今となってはどうでもイイことだけど。
シャワーを浴びて、小ザッパリした服に着替えると、グゥとお腹が鳴った。まだ夕飯には早い時間だけど、さっき千葉さんと一緒に肥料を買いに行った道の駅みたいな農協の直売所では、「美味いんだぞ。」と千葉さんに勧められて笊豆腐も買ったので、それも一緒に食べてもらおうと、大家さんのウチに向かう。
3歩も歩かないうちに、大家さんの玄関の扉が開いて、菜箸を持ったまま堀川さんが出て来たので、
「さっき千葉さんに勧められて買った笊豆腐も一緒にいかがですか?」と聞くと大家さんは口角を大きく上げて
「おっ。いいね。じゃ持って来てもう大体出来たからさ。こっちで食べればイイよね。」と子供を呼ぶ様においでおいでと手を振る。
初めて大家さんの家に上がらせてもらうと、リビングダイニングは僕が居る母屋よりも半分くらいのスペースで、色々な物がかなり魅力的にぎっしりと詰まっているという印象を受けた。
リビング側の壁一面が造り付けの木製の本棚になっていて、そこには古い重厚な装丁の本から、写真集や月刊太陽の様な雑誌まで並んでいて、端から端までじっくり見てみたいと思わせる。
2人で座るには大きなダイニングテーブルは欅の一枚板で、それぞれ形の違うアンティーク風な椅子が六脚置いてある。そのテーブルに料理が盛られた大皿が何枚も並んでいたので、思わず
「あのお2人も来るんですか。」と聞いてしまった。
ヒラヒラと手を振って、
2人は夜は出歩かないから来ないと言う。
僕らだけでこの量はちょっとと思っていると、
「食べたいだけ食べればイイのよ。残したら明日に回すから。」と気安い感じで言ってくれるので、安心して食卓につく。
堀川さんちの夕飯は、野菜の種類が多くてどれも僕好みの味付けだった。畑仕事でお腹が空いていたのも手伝って大いに食べてしまった。
食べながら、よく食べ物の好みで論議に上がる「玉子焼きは甘いかしょっぱいか」の話から、色々な好みについて話が盛り上がる。
どうやら僕と堀川さんは、味や歯触りの好みがよく似てる様で、
「こんな感じなら私の料理なんでも食べられそうだね。」と嬉しそうにして
「また食べにおいで。」
と帰る時残り物を詰めたタッパーを渡してくれながら、声を掛けてくれた。
その言葉に心がホッコリとして、その日は、いつもより深く眠れた気がした。
もしかしたら、畑仕事の疲れのせいかもしれないけれど。
誰かとご飯を食べるってこんなに心安らかになるモンなんだなぁとひとりごちる。
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