第35話

雪降る夜に


雪が降る。

夕方から降り始めた雨が、夜半には雪になり明け方には外の世界の音をすっかり消して、しんしんと降り積もる。

ニュースでは不要不急の外出は控えましょうと、ずっと呼びかけていた。

都内では、まだ植え込みに薄らと積もっているだけの様だが、窓から見る庭はすっぽりと雪に覆われて、少なくとも5センチいや10センチは積もっているだろう。

自宅の窓からこんな雪景色を見るなんて久しぶりだ。

僕のマンションは、地上の景色が遠くて、実感を得るにはエレベータに乗らねばならない。

庭に飛び出て雪だるまでも作りたい気分だ。

子供の頃は、雪が降ると団地の植え込みでよく雪だるまをせっせと作った。シャーベット状の重たい雪は、ギュッギユッと鳴ってよくくっついてくれた。

なるべく建物の影になる様に置いても2日もしたらすっかり無くなっているのが常だった。


この前見に行ったら梅たちは、この雪でダメになってしまうのだろうか。

大家さんから誘われて梅を見に行った青梅は、思ったより近くてそして観光地だった。

見どころも沢山で名産もある。

思いの外楽しくてそして気軽な旅だった。

帰り際に寄った養蚕で使われていた煉瓦造りの蔵をレストランにした繭蔵で堀川さんに、ずっと気になっていたことを今更ですがと、断りを入れて聞いてみる。

「この間道端で粕谷夫人と泣いていましたよね?」と。

一緒ポカンと口を開けてから、

「見られていたかぁ。不覚。でも何を今更。」その時声を掛けてくれたら良かったのにと呆れ顔だ。

「いや、あの時はとても声をかける雰囲気では無かったです。でもやっぱり気になっちゃって。」スミマセンと頭を下げる。

「答えないと、このままずっと気に掛かって考える時間が増えそうだから教えてあげるけど、本来ならこんなネタ明かしをするのは野暮なのよ」と釘を刺される。「だから、心して聞きなさい。」イイわねと少し怒った口調で

「あのね。私は自分がロクでも無いイイ加減な人間だって常から思ってるの。」

僕がそんな事は無いと言いかけそうになるのを手のひらで制止して、

「だからね、人の人生をとやかく言える人格者じゃ無い訳。だけど、粕谷氏から相談を受けた時、何とかしなきゃって出しゃばってしまった。でも、私の判断が間違っていて粕谷夫婦が、思いもよらない方向に行ってしまったりして、取り返しの付かない状態になる事だって有った訳でしょ。だから勢いで作戦を実行した後、すごく怖かったのよ。」コーヒーで唇を湿らせてから、

「粕谷夫人の笑顔を見たらその緊張が解けてホッとしたの。私の様な若輩者が、申し訳ありませんって気持ちも相まって感情のコントロールが出来なくなった。まぁそんな感じよ。」こんなこと言わせるな恥ずかしいと、何故かおしぼりを投げつけられた。

そうだ、最初に内見で会った大家さんはぶっきらぼうで、人が嫌いなんだなって思ったけれど、隣に住む様になって、イヤ上野で会った時から相手の気持ちを気遣う優しい人なんだと分かったんだ。それを裏付ける様な話で何だか嬉しくなって、ニヤニヤと笑ってしまった僕を

「何を笑ってる。小坊主。」と叱られてしまう。

「小坊主って、、」

「ハイおしまい。」これ以上一言でも言ったらぶん殴ると言われてしまった。

おしぼりで顔を覆って必死に笑いを堪えたけれど、やっぱりバシバシと肩を叩かれてしまった。

僕は必死に笑いをこらえながら、大家さんになってくれてありがとうと心の中で、呟いた。



僕はこれまで堀川さんとみたいに、人と関わってきた事はあったろうか。

会社の仲間だと思っていたアイツらの心の中を、見ようとした事はあったろうか。

みんな僕と同じ方見ていると思っていて、気に留める事もなかったかもしれない。1年前僕は、みんなに裏切られた可哀想な奴だと自分を憐れんでいたけれど、本当にそうだったのか。

まぁ、人の気持ちも分からない可哀想な奴だったかもしれないけれど。


雪が落ちてくる底無しのグレーの空を見上げて、暫くそんな事を考えていた。

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