第29話

割れたカシューナッツ


堀川さんが豆を引いたばかりのコーヒーを淹れると、部屋の中は豊かな香りが充満してゆったりとした空気が流れる。

それぞれに会話を楽しみながら、粕谷夫人が持って来てくれたナッツを頂く。

粕谷さんは、塩分が入っていないローストタイプと言っていたが、アーモンドは明らかに揚げてあり塩がかかっていた。それにカシューナッツも割れているものばかりで、堀川さんに聞いた値段に見合った品では無いような気もするが、今はそれを指摘する場ではない。

  

丁度カップを一斉に置いたタイミングで、モロさんの語りが始まった。

合いの手を殆ど入れずに、耳を傾ける。

人は、ハタから見たら何でも持っていて裕福で悩み知らずに見えてもそれぞれに、多かれ少なかれ悩ましい事案が有るものなのだと改めて思い知らされる話だ。

その悩みの種が、些細なことかどうかもそれぞれの物差しによって違うから、他人が暗にそんな事ぐらいでと言えるものでも無いのだろう。

何事につけて、自分の物差し以外の目で何かを計るのは案外難しい。

想像力が無ければ余計に、人の気持ちがわからない人だと評価されてしまう羽目になる。

粕谷夫人は、きっと僕達の知らない健康の事で気にかけていることがある様だから、そこを突かれてしまったのかもしれない。

人から何か搾取しようと思っている人は、相手が何を欲しているかを見極めるのに、凄い嗅覚を持っているのだと思う。騙すなんて頭の片隅にも無い人なら、まさか相手が元から騙すつもりでアドバイスしてるなんて露程疑わないかったのだろう。

粕谷夫人は、人を騙そうとか搾取しようなんて事から1番遠くにいそうなタイプだから余計にだ。これまでは出会わなかったタイプの人に、目をつけられてしまったんだな。その不幸な出会いを、何とか傷痕にならない方法で断ち切れたらと、モロさんの話に耳を傾けながら思う。

モロさんの話に出て来た50万円の作務衣みたいな物を、何か提示してくれたら気付くスイッチになるかもしれないけれど、ナッツじゃ弱いだろうか?

モロさんの話が終わったら、このカシューナッツ割れてるのばかりですねと指摘してみようかな。


お茶会が終わって洗い物をしている時に堀川さんが、深いため息をついたので、

「大丈夫ですか?」と聞いてみる。

2人になった部屋は急にガラんとして、声がいつもより響いている気がする。

「えっ。あぁため息ついたよね。上手くいったかな?今日のあんな感じで。」とやや不安そうに堀川さんが僕を見上げる。

「粕谷夫人なら聡明だから大丈夫ですよきっと。下手したら僕達の企みまで気付いてしまうかもしれませんよ。」と明るく言ってみる。

「そうね、何だかそう思うと気恥ずかしなぁ。人にとやかくアドバイス出来るほど人間出来てないのにさ。」

「えぇ〜そんな事ないですよ。それに洗脳の様な商売に取り憑かれると、自分で気付くのは中々無理だってモロさんの話を聞いていても思ったでしょ?だから誰かが気付いて気付いてって信号送るのは、大切な事なんだと思いますよ。」

「そうか、そうだよね。じゃあ私がそんなのに落ち入りそうになったら新木田君が肩叩いてよ。」

「了解です。」と2人で笑った。

「それより僕は、あのナッツが割れているものばかりなのを指摘したのは、感じが悪くて返って頑なになったのではないかと心配です。」

「あれね、あはは。そうねぇ何だか取ってつけた様な話だったけど、まぁアレがお試しで3千円なら、その期間が終わった時どんな値をふっかけられるのか、興味はあるけど聞くのは空恐ろしいよね。」

全くだと同意する。

かちゃかちゃと暫く食器の音だけが響いた。


このミッションが上手くいったと分かったのは、この数日後粕谷さんのご主人から、

「もう、どうやら大丈夫そうです。」と堀川さんに連絡が入ったと聞いた時だった。

それじゃお祝いかなと堀川さんが言うので、それはちょっと時期尚早ですよと、何故か僕が戒める羽目になる。

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