第32話
妹
掃除は嫌いだ。やらなきゃと思うだけで気分が下がる。
料理は好きだ、食べる楽しみが待っているから。でも後片付けは嫌い。いつだって自分に鞭打って仕方なくやっている感じだ。
綺麗にする事、毎日のルーティンを決めてそれを全部こなす事に幸せを感じる人もいる。私だってうんと汚れた洗面所の蛇口を磨き上げたり、曇ったガラス窓をピカピカにまるで何も無いみたいに拭き清めたりするのには、喜びを見出す事が出来る。
そう、明らかな結果を伴う掃除は達成感があるから楽しいけれど、毎日それを続ける自信はないのだ。
年末大掃除。コレを怠ればあっという間にゴミ屋敷になるのは必然。
仕方がないので、ノロノロと起き出して明日までに片付けなければいけなリストを書き出す。
ゴミの収集は、もう終わってしまったのでゴミを詰めた袋を物置に運ぶ。
なるべく不要な物は若い時に比べたら買わない様にしているつもりなのに、毎年いくつものゴミ袋を出す事になる。
もう着られなくなった服は、サイズが変わったから仕方ないと自分を慰めながら。
ミニマム生活という言葉を近頃聞くけれど、ぎっしり詰まった棚を見る限り私には向いていないと耳を塞ぐ。
明日の大晦日を前に、ふき清めた玄関にお気に入りの「めでた屋」のお飾りを下げ、門扉に松飾を結いつける。
三十日大晦日は晴れる事が多いい気がするのは天気の神様が掃除しろーと尻を叩いてくれているのだろうか?
松飾の角度を整えて干しておいた網戸を持ち上げて家に戻ろうとすると、路地先から
「こんにちは。大掃除ですか?」と新木田君の声がする。
振り返ると、手を振って新木田君は小走りにこちらに向かってくる。
「あ、お帰り。なんか久しぶりだよね。」
「持ちますよ。」と網戸に手を伸ばすけれど、
「荷物置いてくれば?」と旅行バッグを持ったままの新木田君の申し出をそっと断る。
クリスマスの後、暫く飯田橋のマンションへ帰っていたいたので、お正月はあちらで過ごすつもりなんだと思っていたと言うと、
「もう用事は済んだので。」と新木田君は、用事が無ければこちらに居るのが当然という顔で答えたのが可笑しかった。
「まだ掃除があるのでまたね。」と自分が休憩に入る口実を、見つけそうになる前に、そう断って家に入った。何か言いたそうだったけど、今日は三十日なのだ。新年は清く迎えなければ堕落の一年が始まってしまう。
それなのに、
「お邪魔しまぁす.久しぶり。あぁ懐かしい。」とはしゃいだ声で豪太の母で私の妹が、玄関から入って来た。
「どうしたの?何かあった?君は田舎町が嫌いでしょうに。」
普段は、法事なども墓のある小平で済ますので、彼女がここに来ることはほぼない。あぁコレで堕落の一年が決定した。
「ん。まぁたまにはね。」
「何か相談?」
「え〜そう言うわけでも無いんだけど、喧嘩したからさ。ちょっと泊めて。」
「なに?珍しいじゃない。喧嘩した時はいつもパァ〜っと買い物して、ホテル泊まってエステして気晴らしするのに。なに?今回はそんなんじゃ収まらない感じなの?」と聞くと
妹は、「んー」と唸ったあと頬杖をついて、窓の先の植え込みを見るとも無し眺めながら黙ってしまったので、
「まぁ、取り敢えずお茶でも飲むか、ビールの方がイイ?」と声を掛けると、ニヘラと小学生の頃と変わらぬ甘えた笑い顔を見せて、
「じゃお言葉に甘えてビールで。」と答える。
掃除のことは忘れる事にして、適当にチーズやオリーブ、乾き物や缶詰、残り物のラザニア等を並べて酒盛りになった。
ビール、白ワイン、じゃそろそろ赤も開けるかという頃合いになったので、
「で?」と促すと、
「だからさぁ、頭きちゃったのよ。私になんの相談もなくIターンだか何だかか知らないけど、老後は白州に住むとか言い出して、もう土地は確保してあるから、どの建築家に頼むかは君が決めてイイよとか言い出したのよ。なんでそんな寒いところに、ハイそうですかってくっ付いて行くって思ってんのか、訳分からん。」
「白州かぁ、イイところだけど思うけど、確かに寒いね。」
「でさ、昔私がこんなとこ住みたいって言ったじゃないかって怒り出すのよ。いつの話じゃって感じで呆れちゃって。土地買う前に相談しろって思うでしょう?
もう、一緒にいたら爆発しそうだから、クールダウンしに来た。」と半泣きの仏頂面で、注いだばかりの赤ワインを一気に飲み干す。
そう、妹のダンナは結構いい奴でサプライズ好きだ。
妹だってそれが分かっているから、真っ向からお断りだとも言えずにうちに来たんだろう。
いい歳してしょうもない子達だ。
「取り敢えずさ、私に呼ばれたからうちに泊まるって言っておきなよ。」
「うん、もうそうメモ置いてきた。」
そうやって愚痴や近況報告をお互いグダグダ話していい加減喉が嗄れた頃、妹はソファにゴロリと横になって眠ってしまった。
そんな無防備な寝顔を見ていると、やっぱり昔の事を思い出してしまう。
この子はいつだって生意気で、口から先に産まれて来たんだとよく言われている程の鬼っ子だったから、外でも喧嘩をして通りの向こうから聞こえてくる位の声で大泣きして帰って来たっけ。
ワンワン泣いて、沢山食べてコロッと寝ると次の日には元気よくなんの衒いもなく学校へ行く。
そして、何よりこの子の良いところは、次の日にはちゃんと仲直りをするところだ。
自分の悪かったところは謝り、相手の悪いところを指摘してそれに対して腹が立ったと伝える能力が有る。
そんな能力あるなら、初めから喧嘩になる前に話し合えばいいじゃんと、いつだって泣いている妹を、慰めて諭す役割を担っていた私は思ったものだった。
私は気に食わないとか意見の合わない子は遠ざけることで、危険回避をして来たから、真っ直ぐに向かっていく彼女の姿勢が、大変そうだとも、羨ましいとも思っていた。イヤ今でも思っている。
そして、今この寝顔をみながら、きっとこの子は白州に自分好みの家を建て、それでもそこに籠っていなくて済む方法を見出して、ダンナを納得させるんだろうなとボンヤリと思う。
不器用だと思っていたこの子の性格は、実に周りを惹きつける。
豪太のあの可愛がられる性格は、この子から受け継いだのかもしれない。
そうか.私の方が全然不器用なんだな。イヤだこの歳になって気付いた。まぁそれは内緒にしておくか。
翌朝、首が痛いと起きて来た妹は、
「お風呂、お婆様のお風呂にはもう入れないんだね。そうかぁ。」とヤケに残念そうに呟く。
「お婆様の?」
「そうよ、母屋のお風呂にこだわったのはお婆様だもの。あの窓から見える木の具合好きなのよね。」
坪庭が見えるように低い位置にスリットのように設置してある窓は確かに趣きがある。
「お祖父さんの好みかと思ってた。」
「私は、お婆様と作る前にどんな木を植えたら四季折々が楽しめるか色々話したから。」
「あぁ、田舎は嫌いだけど、植物に詳しいもんね昔から貴方。」
「うん。」と生返事をすると、何故だか急に走って掃き出し窓から庭に飛び出して行った。
その向こう側には新木田君が、チロのリードを持って門の方へ歩いていく姿が見える。
なんだなんだ風呂に入れてくれとでも頼むつもりかしら?
戻って来た彼女は、少し高揚している様に見える。
「何?寝起きの姿を見てもらいたかったの?」と私が言うと妹は、自分の姿を見下ろして、
「あちゃー、忘れてた。」とボリボリと頭をかきながら、全く気にする風でもなく、
「噂に違わず、爽やかイケメンだね。」と嬉しそうだ。
「何よお顔拝見って事?」
「違うわよ、そんなにミーハーじゃ無いわよ。豪太がお世話になっているみたいだから、ご挨拶よご挨拶。」
「ふーん」と上目遣いで見ると。
「まぁさ、ミーハー心がないと言えば嘘になるか。アハハ。おばちゃんには潤いが必要だからね。」
と伸びをしながら行って
「シャワー借りていい?」と言う。
「イイよ、朝ごはん食べられる?パンと卵くらいしか無いけど。」
妹は、ニカニカ笑って
「上等よ。サンキュー。」とシャワールームに消えた。
リフレッシュしたわぁとか言いながら、来た時とはまるで違うテンションで妹は昼前には帰って行った。
大丈夫だとは思っていたけど、心配したこちらが損をしたと思える程の回復力は、いつもながら完敗だ。
そんな妹が、帰り際に
「ねぇ、いっちゃんはさアラッキーが、お嫁さん連れて来て紹介されたらどんな気持ちになると思う?」と唐突に聞いてきた。
「えっ?目出度いと思うんじゃない?他に何かある?
そりゃ相手によっては、か老婆心が働いてその子は危険じゃないとか言いたくなるかもしれないけど、新木田君ならそんな子を選びそうも無いから大丈夫そうよ。」
「そう。やっぱり恋心が有る訳じゃ無いのね。」
「ったり前だ.何言ってんの。」
「豪太がさ、超仲良いんだよって言っていたから。」
「気が合うからね。」
「気が合うんだ。一緒にいると楽しいんだね。もし母屋出てっても、地震や病気が流行ったら。心配して連絡入れちゃうって感じ?」
「そうね、生存確認はしちゃうかもね。何よ何が言いたいの?」
「アラッキーの友達とのキャンプに誘われたら行く?」
「何なんだよその質問。行かないよ。おばちゃんが行ったら邪魔でしょ?それに私がキャンプもイヤだし。」
そうだった妹は、気になり始めると納得いくまで質問攻めにする癖があるんだ。
「何が気になるの?」
「店子と大家にはどんな関係性があるのかって事。」
「仲良しご飯仲間って事でイイでしょ。」
「ご飯よく一緒に食べるの?」
「時々ね。キャプテンとかチーさんと一緒にだよ。」
「ふむ、でもキャプテンとかチーさんとかとはちょっと違うんでしょ?」
「でも、君が勘繰っているかもしれないから敢えて言うけど、恋愛関係では無いからね。」
「『でも』、やっぱり違うんだね。ただの食事仲間でも無いと。豪太とも違うよね。」
「そりゃ豪太はほんの小さな赤ん坊だった頃からの私を愛を注いでるからね。全く違うよ。まぁ近いところもあるかも知んないけど。」
「ふむふむ、成る程。職場の後輩でも無いでしょ?一緒にチーム作ったりしてないもんね。
歳下の幼馴染に近いのかな?」
「あぁ、言われてみればそんな感じかもね。」
「友達ってのも店子だし変な感じかぁ。もっとイイ言葉がありそうな気もする。探してみるわ。じゃね。また来るよバイバイ。」
と、彼女はコッチの気持ちをざわつかせる言葉を残して帰って行った。
店子と大家じゃダメなのかな。
別にタイトルなんて要らないし、こんな風に気の合う人なんてなかなか女の子でもいない。
そうなんだ、男とか女とか歳とか関係なく、気が合うんだ。
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