第19話

旅の誘い


ゴーと低いエンジン音が、絶え間なく微細な振動と共に響いている。そこに定期的にカーンカーンとどこか遠くの方から、金属音が小さく鳴っているが加わる。

きつい塩の匂いが室内にも漂う。

大きな揺れが、いつの間にか体の均衡を崩すのか、室内の滞った空気のせいか、モヤモヤとした気分が続いている。新鮮な空気が吸いたい。

そう思って、さっき甲板に出てみたけれど、塩の匂いが更にキツい湿った渦巻く風に翻弄されてスッキリするどころか、更にダメージを受けてしまった。

何処までも続く青い海、白波が立ちフェリーを追ってイルカの群れが泳ぐのが見えていた。もっと長く甲板に立ってその光景を見ていたかったのに、風と揺れと寒さに負けて足をもつれさせながら船室に戻ってきた。


2等客室は、大きな絨毯敷きの広間の様な作りで、その床にゴロリと横になって長い手足の青年は気持ちよさそうに眠っている。

密集した長い睫毛に高い鼻梁、整ったほんのり赤い唇。太過ぎないが男らしい顎。そして、ガッシリとついた筋肉を身にまとい高い身長を隠す様に丸まっている。切れ長の大きな目は開けると大きすぎるが故に白目がちになってしまうところが、冷たそうに見える。本当は人懐こくて、フランクな雰囲気なのに、きっと第一印象は誤解されやすいんだろうな。僕も勘違いしたっけ。

そんな事をぼんやり考えて胸につかえたモヤモヤに気が向かない様にしていた。僕も少し寝られたら良いのにとは思うものの、横になるとエンジンの音と振動がダイレクトに体に伝わってくるので眠るどころではなくなってしまう。

「大丈夫?ほれこれ飲んで。」

と後ろからトンと肩を叩かれれ振り向くと、堀川さんが元気いっぱいの笑顔で烏龍茶のペットボトルを差し出してきた。

「顔青いよ。風に当たってきたら?」

「ええ、さっき甲板に出たら余計にグルグルしちゃって情けないです。」

「そっかぁ、あと15分くらいで着くらしいから。もう少しの辛抱よ。船酔いは陸地に上がればすぐ良くなるから。」

「良かった。」と額の汗をを拭う仕草をすると、堀川さんにカラカラとまた笑われてしまう。


あれは11月の末、豪太君が来たからみんなで鍋パーティーだと言って呼ばれた席の事だった。

程よく皆んなにお酒が回って、まだ日も暮れてないのに、赤ら顔のボク達は大いに笑っていたんだ。そんな時粕谷夫人だった気がするが、豪太君に「卒論どうするの?来年四年でしょ?」と聞いた。

すると豪太君はニヤリと不敵な笑みを湛えておもむろに立ち上がると

「今からクラウドファンディングを行います。」と宣言した。

「ボクの卒論は、島における経済活動の動向というもので、大体は文献とネットで傾向などを調査しているんですけど、やはりいくつかの島に行って現状を生で見てみたいと思っている訳です。」

「それで、なんだ俺たちに旅費を出せって言うのか?」とキャプテンが変に嬉しそうに言う。

「まぁ端的に言えばそうなんですがぁ」と言いかけた時、堀川さんは立ち上がって豪太君を自分の方に向き直る様二の腕を取った。

「あんた何考えてんの。行きたかったら自分でバイトでもして行きなさい。周りに迷惑かけるな。」と皆んなの動きが止まる勢いで言い放つ。

「だから、最後まで話聞いてよ。」

「うるさい。お終い。折角楽しい食事会だったのに台無しだ。みんなごめんね。」と頭を下げながら、豪太君の頭もむぎゅっと押さえつける。

豪太君は参ったな、降参だと諦め顔で頭を下げているのが妙に面白くって思わず吹き出したのは、お酒のせいかもしれない。

「もう、新木田君笑わない。」と叱られても笑いが止まらず、暫く涙を流しながら笑ってから、

「まぁ、若者の意向を聞いてみましょうよ。さぁ、簡潔に言ってみて。堀川さんはとりあえず最後まで聞くか、聞くのも嫌ならボクのウチの方で仕切り直しますが、どうします?」

そう言うと珍しくブーっと膨れっ面をした堀川さんは、低い小さな声で

「言ってみ。」と豪太君に顎をしゃくった。

豪太君は、僕にペコリと頭を下げて咳きを1つしてから、いつも着ている黒いパーカーの裾をキュッと引っ張って姿勢を正してから、

「スミマンセン、少しお時間を頂きます。」と断ってから

「さっき言った様に、僕は卒論の為に近々島を巡る予定にしています。そこで、折角島へ行くならきっと良い写真も撮れるだろと思って写真集を自主出版するつもりなんです。クラウドファンディングで出版費と旅費を集めていて、出資者には出来た写真集を差し上げたり、現地ロケのLive viewingを配信する事になっているんです。現在クラウドファンディングでは当初の目標額には実は達成しています。それで島、五島列島とかマカオ、それに出来たら瀬戸内海のいくつかにも行けたらと思っていて、それらにもし興味があれば、一緒にその旅に同行しませんか、と言うお誘いです。

チケットや宿の手配は、僕が勿論します。そして写真集も差し上げます。全部とは言いません。興味の有る、行ってみたいところだけで良いのでご一緒しませか?」

「面白いね。僕は五島列島に行ってみたいな。中々1人では腰が上がらないからね。」と僕が言うと、「やった」と笑みをこぼして豪太君は、

「でしょ?いっちゃんも五島列島一度行ってみたいって言ってきたじゃない。ねぇ行こうよ。」

「俺達は、長旅はもう疲れちまうから写真集は買ってやるよ。」とキャプテンとチーさんは、なぁと2人で頷き合っている。

「ありがとうございます。でもキャプテン達にはいっちゃん共々お世話になってるからあげるつもりだからさ。それより近場だったら行ってみたい島とかない?一緒に行こうよ。歳の違う他の人の目が欲しいんだよね。」と豪太君は、とりあえず言いたい事が言えたからか、一気にいつものラフな言葉遣いになってキャプテン達と近場ならどこの島が良いかとかで盛り上がっている。

堀川さんは、つまらなそうに頬杖をついて、グリッシーニをカリカリと噛みながらブー垂れている。

その姿が面白くて又ツボに入りそうなところをどうにか制御して、

「何が気に食わないんですか。」と聞いてみた。

「豪太は調子良いからさ、私達を連れて行けば学生のカツカツ旅が豪勢になると踏んでるのよ。それが透けて見えるのが気に食わないというか面白くない。」

「あはは、良いじゃないですか。僕は行きますよ五島列島とマカオ。それに瀬戸内海の島にも興味が有るな。」

「本当に?」と耳聡く聞きつけて豪太君が振り向いて嬉しそうに言う。

「アラッキー来てくれたら百人力だなぁ。」

「でも、レポートの手伝いはしないからね。」とそちらは一応釘を刺しておく。

そんなことがあって、こうして今僕達はカーフェリーで五島列島に向かっているのだ。


しかし船旅がこんなに苦行の様だとは思いもよらなかった。

参った。他の島はパスだな。

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