第40話 友達③

 例えば運動会のスターターピストル。割れんばかりの声援を背景に、爆発しそうなほどの緊張と興奮を抱える者達へ、最高潮の今解き放てと言わんばかりに響く号砲。

 芙蓉の内側で弾けた音もまさしくそれだった。感情の高まり故か、瞬間的に増幅した魔力。周囲の雑音や自身の息遣いさえ彼方に追いやった、世界に自分だけしか存在しないような魔術師特有の感覚。それら全てを魔術へ昇華させるべく、合図が鳴らされる──。


「ああ゛あああっ!!」


 響く絶叫。放たれた魔力に呼応し、大地から無数の岩槍が迸った。嘆いていた不格好な様は見る影もなく、今や従順に付き従う騎士のように、鋭利な穂先が寸分違わず標的へと向かう。


「……ヨォ……ウゥ……」


 幾本も伸ばされた幹の腕と槍が衝突した。たちまち尖った先端が表皮を抉り、内部を断ち割っていく。反対側へ飛び出した複数の槍はそのまま一番太い体躯の部分を突き破る──と思いきや、錆びついたように一斉に動きを止めた。

 ぎし、と大樹が軋む。その身体の裂けた場所から新たに生えた根のようなものが槍に絡みついていた。

 ──両者が拮抗する上空を影が移動する。次の瞬間、太陽に反射した銀色が真っ直ぐに振り下ろされた。両断された腕がぼとりと転がり、地響きのような呻き声が轟く。

 着地したルシュは再び短剣を構え、ちらと後方に視線をやった。


「ットリムくん! エンリルくん!!」


 真っ赤な花畑に横たわる二つの肢体に覆い被さり、芙蓉は必死に叫んだ。エンリルは顔面の右半分が血濡れで、トリムの腹にはくり抜かれたような穴がいくつも開いていた。どちらも意識を失っており、悲痛な呼びかけに応答はない。


(でも息はまだある……それにほとんどミイラ化もしてない……!)


 震える呼吸を飲み込んで、魔力の灯る手をかざす。

 バクバク鼓動する心臓がうるさかった。動揺が魔力にも伝わっているらしく、気を抜けば取っ散らかりそうなそれを束ね、体内の経路を循環させていく。

 失血のせいでトリムとエンリルの体力は非常に危うかった。負傷箇所を塞ぎ、とにかく溢れる血をせき止めなければ光明はない。


(止まれ……止まれ……)


 しかし残念なことに芙蓉は一人前ではない。傷の深さに加え、それぞれの掌から別々の対象に魔力操作を行うことは初めてで、思うように進まないもどかしさが募る。ぐらりと眩暈のする頭を、唇に歯を立てて引っ叩いた。

 が浮かんでくるのはこんな時だ。未熟な自分の不甲斐なさにダメ押しの如くのしかかる、召喚主たる神の呪いの言霊。


『僕が選んだのは別の奴だ! 火とまじないを操るミコとかいう神仕え! これじゃない!』

『おまけに毛が生えた程度の魔力操作だ、他の代闘士にも勝てやしない』


 怒りが、悲しみが、かっと身を焼いた。急速に魔力の循環が早まり、全身が沸騰したように熱くなる。


(うるさい、うるさい、うるさい──!)


 視界がじわりと滲んだ。勝手に押しつけたくせに、と悪態を吐く。いきなり見放されてどれだけ絶望したか、あんな態度を取れる彼は知りもしないのだろう。

 予言や序列なんて余所の世界の話だ。自分には関係ないと何度も思った。けれど退路がなかったから、仕方なく進むしかなかった。いつか目にもの見せてやると、芙蓉はほとんどやけくそだった。

 怨念のようなその気持ちが変化したのはいつからだろう。ユニアに暮らす『フヨウ』の家族やエウリヤナ達、そしてルシュに出会い、芙蓉は次第に自ら魔術師を目指すようになった。彼らに何かあれば率先して力を振るい、脅威から遠ざけられるようになりたいと願うようになっていた。

 いつか降りかかるであろう予言がその最たるものだ。神にすら影響を及ぼすものが、ただの人間に逃れられるはずがないから。ユフレへの恨みからではなく、彼らを守るために運命に立ち向かうと芙蓉は決めたのだ。


(……羨むのはもうやめる。一人前の魔術師じゃないから何なんだ。できない言い訳なんかしてたらこの世界で生きていかれない)


 できないならできるまで、経路が擦り切れたって魔力を流し続ける。そうすれば必ず形になるはずだと、芙蓉は奇跡の塊のような魔術の神秘性を信じていた。諦めずに己の全部を振り絞れば、この力はきっと応えてくれる。


(門前払いをくった私は神様には頼れない。自分で叶えるしかないんだ、だから──)


 魔術で不可能を可能にする。そのための力量が不足しているなら代用できるものを差し出す。それがたとえどんなにつらいことだとしても。

 芙蓉は破る勢いでポーチをまさぐった。取り出した淡く輝く二つの石──フェリアドールと水の妖精がくれた魔石をぎゅうぎゅう握り込めば、目が眩むほど強烈に発光する。一気に流れ込んでくる彼女達の魔力に、四肢の末端から怖気に似た感覚が這い上がって来た。

 魔術師が他人の魔力を行使する場合、一度自分のものに変換すべく経路に取り込む必要がある。示現性や行使力が最大限に発揮できるのは自己の魔力に他ならないからだ。そう教えてくれたフェリアドールは、初心者の芙蓉を気遣い、殊更ゆっくり魔力を分けて身体になじませる時間をくれた。

 わずかとはいえ経験はある。だが、ちっぽけな石に凝縮されていた二種の魔力の濃厚さは圧倒的だった。瞬く間に経路を圧迫した洪水みたいなそれを、喰い潰されないよう徐々に変換し、そのことだけに全器官がフル回転する。煮え滾る脳味噌が爆発しそうだった。

 案の定、ぷつん、と何かが切れたような気配。鼻腔から緩やかに伝う液体が芙蓉の口元を赤く濡らしていく。


「お゛願い、止まっで……!」


 それでも引くことはできない。入り込んできた鉄錆の味に噎せた、その時だった。


「……フキュ……」


 消え入りそうな声にはっとする。重たそうに首を起こしたエンリルが、残った左目で芙蓉を見上げていた。


「エン、リルくん……! よかった、気がついたんだね、待ってねすぐ治──」


 ぽすん。よたよた近づいてきた犬の鼻先が、倒れ伏すように芙蓉の固い拳に乗った。

 所々刈り取られたその被毛の下は露になっていて、深々と刻まれた痕から赤い滴が垂れている。自由の利かない足で踏ん張りながら、エンリルはもう一度声を上げた。


「クゥン……」


 じっと芙蓉を見つめる琥珀の瞳。不思議と言わんとすることが理解できて、懇願するようなその眼差しに躊躇はなかった。

 意を決して近づけると、犬はエメラルドグリーンの魔石をぱくりと飲み込んだ。


「グッ……グウゥ、ギャウッ!」


 途端、吐き出される苦しげな悲鳴。異物への違和感か、エンリルは目尻を吊り上げてのたうち回る。腹の底を打つような歯軋りの隙間から、唾液がぼたぼた花に落ちた。

 そのうち、背中が不自然に盛り上がった。ぼこっとした瘤のようなものが次々にでき、見る間に膨れ上がっていく。


「カッ、ケヒッ……ヒュッ」

「エンリルくん!!」


 あわや窒息かと思われた刹那──景色が白熱の光に包まれた。反射的に閉じた瞼の裏にフラッシュが点滅する。

 おそるおそる、ようやくこじ開けられた目の前は、ウルフグレー一色に染まっていた。


「……グル」


 そこにいたのは巨大な四足獣だった。エンリルの体毛と左目を持ち、右目を翠玉色に煌めかせた、芙蓉の背丈ほどもありそうな大きな獣。狼と犬の混血のような精悍な顔つきに以前の面影はない。棍棒の如く太い尾が振り返った拍子に風を起こし、芙蓉の髪をなびかせた。

 強靭な脚でのっしのっしと歩み寄って来たエンリルは、身を屈めて芙蓉の鼻頭をぺろりと舐めた。次いでその手にあるもう一つの魔石を咥える。ひたりと合わせられたオッドアイに芙蓉も強く頷いた。

 まるで冠を捧げるように、少年の空洞に青い石が据えられる──。


「────ッ、がはっ!」


 電流を浴びたようにトリムの身体が跳ねた。白眼にまでびっしりと血管が浮かび上がり、何かがその中を蠢く。芙蓉は鼻血を拭い、幼い手を包んだ。


「ア、ぐうっ、ぎっ」


 見開かれた瞳孔がぶるぶる揺れ、後頭部が何度も地に打ちつけられる。手の甲に食い込むトリムの爪を両手で覆い、芙蓉は治療を再開した。家族エンリルを庇ったのか、少年の傷は重い。このままでは魔石に順応する前に命を落としてしまう。

 果たしてこれが正しい選択なのか芙蓉にはわからなかった。魔人になれる保証はなく、なれたとしても普通に生きていくのは難しい。人間のことわりから外れることをトリムが良しとするとは限らないのだ。しかし何より優るのは死なないでほしいということ。

 難しい顔をする芙蓉をエンリルは一瞥した。賢い彼は彼女の献身とその限界を悟っていたし、魔石を譲ってくれたことに感謝していた。その上で、互いの唯一と分かたれないためにはこれしか方法がなかった。


「はッ、はッ、」

「がんばれ……がんばれトリムくん……」

「グルル、……ワフッ!」


 突如として、エンリルが何かを察知したように身を翻した。彼が四本の脚で踏ん張るのと、その横っ腹に影が激突したのは同時だった。

 ぶつかったものはずるりと滑り落ち、地面に手をついて咳き込む。


「げほげほっ、……あ゛りがとう、エンリル」


 ペッと血を吹いたルシュが立ち上がる。心配そうに切り傷のある頬を舐めたエンリルを撫でてやり、短剣を握り直した。

 ──強いな。少年は、立ちはだかる魔物に少なからず畏怖を抱いていた。余程魔力が潤沢なのか、斬っても斬ってもすぐに再生する。百以上の幹を捌いたはずが、どこもかしこもすっかり元通りだ。

 おまけに今や変態し、一回り体積を増して数多の棘を持つ木の鞭をしならせている。それが実を弾丸にして飛ばす上、巨腕が風を裂いて繰り出され、針のような根まで射出される。怒涛の弾幕攻撃にとうとう足元を掬われたルシュは、なかなか呼吸を取り戻せないでいた。

 その隣に魔物となった犬が並ぶ。低く唸るエンリルは、脈動する魔石から得たばかりの魔力を練り上げ、風魔術を発現させようとしたが──。


「グゥ、グ、グ……!」


 息苦しそうにもがいたかと思うと、ガクリと前足が崩れた。魔術が発動しない。それどころか、体内にあったはずの魔力までが根こそぎ消失していた。

 くずおれたのはエンリルだけではなかった。背後のあえかな苦悶を耳にしたルシュは、咄嗟にその頭を抱え込んで引き上げた。


「フヨウさん!」

「……ごめ、なさ……まりょく……とられ……」


 芙蓉の顔に色はなかった。息を吸って吐くことすらままならないほど、彼女はとてつもない倦怠感と寒気に苛まれていた。サイクロプスと対峙したあの時と同じ、魔力を使い果たした者の症状である。

 攻撃魔術、回復魔術、そして初めての複数同時魔力操作に魔力変換。芙蓉の限度はとうに過ぎており、そこへ止めを刺したのが──。


「……ヨ……ウ……ヨォ……ウゥ……」


 メリメリと音を立て、またもや全長が伸び上がる。最早陽光さえも遮るほどに成長した樹木の魔物がルシュ達を見下ろしていた。ばっくりと口内のように裂けた幹の内部が怪しく光っている。

 ふと、ルシュはある感触に気づいた。見れば芙蓉の腕の一部がへこみ、そこだけ皮膚が乾燥したように皺だらけだった。不可思議なその現象は見る間に広がっていく。

 干からびた死骸。反比例にどこまでも育つ魔物。疑惑が確信に変わった。


「お前か……!」


 目を剥いたルシュの耳元でヒュン、と風が鳴る。即座に振り上げた短剣に伝わる衝撃。切断し損ねた鞭の何本かが首筋を掠める。

 棘が肉を抉ったが致命傷ではない。構わず腕を振り抜いた少年の背筋が、更なる一撃に硬直した。


「ぐっ!」


 焼きごてでも捺されたかのような灼熱の痛み。背中から貫通したのだろう、眼前でずんぐりした根が踊っている。あからさまに魔力えいようをたっぷり吸った様子が腹立たしかった。

 両肩を貫かれたルシュの腕がだらりと落ちる。その一瞬の隙を突き、尖りきった根がトリム──その魔石しんぞうを狙う。


「やめ、ろ……!」


 脱力した指先で必死に剣を突き刺す。咎めるように鞭が絡みつき、締め上げられたルシュの首に棘が食い込んだ。

 ぼやける意識の中、葬送の合図が静かに響き渡った──。

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