第36話 アイの証①
一晩で三人もの犠牲者を出したヴェフルの村は、深夜から朝にかけて大騒ぎに見舞われた。ケニーと呼ばれた老齢の男が指揮を執り、ウィリアムとベアトリス、そしてブドウ園の若い娘に祈りが捧げられ、夫婦は村の墓所に丁寧に埋葬された。娘の遺体の行方は村とブドウ園で話し合われるらしい。
余所者かつ交流のあった芙蓉達は、一時ウィリアム殺害について疑われかけたが、彼の死に様がおよそ人道から外れたものであったために追求を逃れた。ケニー曰く、「どこにも傷がないのに身体の中身がそっくり抜かれていて、代わりに腐った肉がパンパンに詰まっていた」そうだ。長い人生、こんなことが起こるとは思わなかった。しわしわの唇を震わせてそう呟いた老人は、この件について深追いしたくないと粛々と葬儀を進めた。
その頃には不思議とグラシュティンが落ち着きを取り戻していたので、一行は参列もそこそこに、次のドーランを目指して村を後にしたのだった。
「手、大丈夫ですか……?」
「はい、もうほとんど痛まないです。ありがとうございます」
ルシュがヒビの入っていた手首をくるくる回してみせる。どうやら精一杯の回復魔術やポーション、軟膏等の諸々が効いたらしい。丈夫な半獣人の身体能力も相まって、少年はすっかり元通りになっていた。
ほっとした芙蓉は力を抜いて壁に背を預けた。わずかな仮眠からの極度の緊張状態が続いたせいか、身体的にはかなり疲労しているものの、心地良いはずの車体の揺れは眠気を連れてきてはくれない。
──頭の中に強く存在をちらつかせる男がいるからだ。
「……何だったんでしょうね、あの人……いや、人……?」
「フェリアが表に出ている時のような気配に近いと思います。でも人間の部分はほんの少しか、あるいはほぼないか。かなり魔的生物の割合が多かったような気がします」
「はい……魔力が恐ろしく濃厚でした……」
げんなりした顔で芙蓉は肩を落とした。
実のところ、彼女の足はずっと震えていた。取ってつけたような愛想の良さがむしろ不気味に感じるほど、あの男の発する圧力は人間のそれを遥かに超えていたのだ。ルシュが抱えていてくれなければみっともなく崩れ落ちていただろう。
「……知り合いでしたか?」
顔色を窺うようにルシュが問うた。底まで透き通ったキトンブルーに見つめられ、芙蓉は慌てて首を振る。
「いえっ、私は全然! ……ただ、たぶん一度会ってるんだと思います。顔は今回初めて見ましたが、イヴァの近くに火の獣が出た時、一緒にいた人の声と同じでした」
「獣の方はスタニクさんが集落で遭ったと言ってましたね。もしかして一緒に行動してるのかも」
「だとしたら飼い主とかですかね? ウーン、スゴい組み合わせだ……」
人外の生物はやはり人外なのだろうか。でも人間飼ってても嫌だな、と芙蓉は遠い目をした。難なくやりそうな雰囲気だから余計に。
「それと、『ヤツ』というのに心当たりはありますか?」
「あ、いえ、それも特には。私も誰のことだろうって思いました。すみません、何一つピンと来てなくて……」
あれからいくらロルダークの言葉の意味を考えても、芙蓉にとって当てはまる人物はいなかった。多いとはいえない知り合いの中であの男と関係があり、「捜している」というからには何かしらの用事や目的がある者。唯一彼を知っていたエウリヤナは酷く忌み嫌っているようだったし、用があるならやり取りしている手紙に書けばいい。そうなるともう手掛かりはなく、芙蓉は困ってしまった。
(というか、用とかじゃなくて恨まれてたりする方なのかな……そっちだったらやばくない……?)
道中、神官見習いとして全てを円満に解決できたとは言い難い。その場合はさらに困ってしまうし、さらに迷惑をかけることになるので、芙蓉は前もって頭を下げておくことを決めた。
「ごめんなさい私本当に心当たりないんですがどこかで恨みを買ってたらいつもお世話になってるルシュくんにもっと多大なるご迷惑をおかけすることになり誠に申し訳なく」
「フヨウさん!?」
背後から綺麗に平伏する芙蓉と素っ頓狂な声を上げるルシュの騒動が聞こえる。御者は軽やかに口笛を吹き、「平和になってよかったなあ」と晴天を仰いだ。
◆ ◆ ◆
カサリと音がして、蓋を開けるように芙蓉の意識が覚醒した。
眠るのに苦労していたはずだったのに結局寝落ちしていたようだ。寝惚け眼でぼんやり辺りを見回すと、近くにいた御者が「しまった」という顔でこちらを見ていた。
「すみません、起こしてしまいました……」
「いいえ、とんでもないです……ドーランに着きました……?」
「はい。それで、
ちらりと窺えばルシュも目を閉じている。村には着いたが、御者が寝ている自分達に気を回してくれたらしい。芙蓉は礼を言い、ありがたく包みを受け取った。
包装代わりの紙のように薄い木板の底が温かい。芙蓉はいそいそと正座し、包みを掲げて四方八方から眺めた。この世界のガレットは一体どんな味がするのだろう。
期待に唾液を飲み込むと、不意に影が射した。いつの間にか起きていたルシュがすぐ傍に膝をついている。
「──何かいます」
素早くそう告げて、少年は魔獣車の窓を指差した。真剣な眼差しにつられ、芙蓉も咄嗟に息を止めて目を凝らす。
車内に沈黙が満ちる。耳朶にかすかに届くのは、さざめく木立や遠くで聞こえる誰かの声。ルシュの瞳孔がきゅっと収縮した。
時間にして数十秒ほど。乾きそうな眼球のために二、三瞬きすると、ほんのわずかなその隙間にキラリと何かが閃いた。
「今!」
「俺も見ました。魔物ではなさそうですが──」
「ええ、違うわ!」
パッと光る水飛沫を散らし、宙に現れたのは掌サイズの小人だった。大きな瞳とサクランボ色の唇が艶々していて、まるで美しい人形に生命を吹き込んだように人間離れして愛らしい。その背には景色が透けるほど儚い翅が生えており、小人が上下するのに合わせてパタパタ羽ばたいた。
ふと、芙蓉はニシェルの描いた絵を思い出す。フェリアドールの格好と目の前の彼女はよく似ていた。
「妖精……?」
「そう! そうなの! 妖精なの、私! 嬉しいわ、私が視えるのね!」
妖精のまろい頬がぽぽっと紅潮した。彼女はくるりと身を翻し、興奮したように芙蓉へ突進したが、その手前で鞘に入った短剣がバリケードのように差し込まれた。
「まあ! ごめんなさい、はしゃいでしまって!」
妖精は透明な急ブレーキを踏んだ。懸命に翅を扇いできちんと距離を開けて止まってみせ、ウフフと笑う。コロコロ変わる表情とコミカルな動作がカートゥーンアニメみたいだった。
彼女の気分が高ぶるのも無理はない。人間の眼に神秘の存在が映るのは、純粋な幼子の頃や死期が近づいた時、あるいは彼らの世界に招かれる等、非常に短く限定的な間だけだ。肉眼で捉えられるのは魔力に馴染みのある者、またはそういった魔道具を持つ者等に限られる。この妖精は、そうした特殊な人間を長い間待っていたのだ。
「あなた、魔力適正がある? それとも何か素敵な
「一応、魔力操作ができますが……」
「きゃあ! マジュツシなのね! じゃあ属性は何? 何が得意なのっ?」
「ええと、地属性、です……」
「~~~っ!」
それを聞いた妖精は、噛み締めるように顔をくちゃくちゃにした。次いで、勢いに圧されてのけ反っていた芙蓉に小さな両手を突き出す。
「っこれ! 一緒に育ててもらえないかしら!」
そこにあったのは、光沢のある暗い緑色をした種の山だった。
◆ ◆ ◆
「ふンぎぎぎっ……!」
「むうううう……!」
梅干しみたいに顔中に皺を寄せ、芙蓉と妖精は魔力を振り絞る。曲がりなりにも、彼女達は魔術師の卵と魔力から生まれた生物である。だというのに、それらの力を以てしても、芽がちょろりと這い出してくれば御の字。中には全く反応しないものもあり、全部が成熟するには途方もない魔力と忍耐が必要そうだ。
「ぜえ……はあ……こ、これ……一粒でもちょっとしんどくないかな……!?」
「ふう……ふう……そうなの……この子達、とっても頑固みたいなの……」
見上げる空はどこまでも青い。大の字に寝転ぶ二人に、水の入った革袋が差し出される。
「一度休憩しませんか。フヨウさんは昼食がまだですし」
「あ゛りがとうございます……」
芙蓉は起き上がり、覚束ない指先で袋の口を緩めた。同時に荷物の中からククサを取り出してウームと首を捻り、今度は木のスプーンを手に取る。それを突っ込んで表面がぷっくり膨れるほど水を掬い、妖精に近づけた。
「まあ! ありがとう、いただくわ」
楕円の部分を両手で支え、妖精が喉を潤していく。花の蜜でも吸っているかのような可憐さだ。彼女といいフェリアドールといい、純然たる魔力から生まれると皆こうなるのだろうか。
全て飲み干した妖精は、張りを取り戻した翅をいきいきと広げた。
「お水、とってもおいしかったわ! 少し青い匂いがしたけれど、薬草か何かが入ってるのかしら?」
「うん、いつも魔力で育てたレモングラスとかミントを入れてるんだ。口の中がさっぱりしてご飯にも合うし、魔力の補充もできるしね」
所謂水出しハーブウォーターのことだ。作り方は至ってシンプルで、水にハーブを入れて香りや成分を抽出するのみ。あらかじめハーブに魔力を含ませておけば溶け出すため、手軽に魔力も補給できる優れた旅のお供である。ちなみに柑橘類を加えれば更に爽やかになるので、暑い日にもぴったりだ。
「色々工夫があるのね! 人間って器用で不思議でとっても面白いわ! でも──水に関してなら私も自信があるの!」
鈴を転がすように笑い、妖精は芙蓉に人差し指を立てて見せた。何もない先端の空間がふるりと揺れる。そこにみるみる水滴が集まっていき、瞬く間に拳大の水球が生み出された。
彼女はそれをククサに放り込み、「飲んでみて」と勧める。目を丸くしたままこくりと一口含んだ芙蓉は、すぐに瞳を輝かせた。
「おいしい!」
「うふ! 自信作よ!」
妖精の作り出した透明な水は驚くほど飲みやすかった。まろやかでクセがなく、あっという間に喉を通り抜けてしまう。目の覚めるような冷たさと柔らかな口当たりは、山の奥深くで湧き出るそれを連想させた。
また、魔力のみで作られているために非常に回復が早い。ククサ一杯分だけで芙蓉の魔力経路は満タンになっていた。
「私の魔力は水属性なの! こうやって水を作り出したり、形や用途を変えることもできるわ! でも……」
いたいけな五指が雫型の種に触れる。つるりとした表面をなぞる彼女の面持ちは硬かった。
「私だけじゃだめだったの。この種をもらってからずっと魔力を注いできたけど……水さえあれば大丈夫って、きっとこの子達にそれが伝わっちゃったんだわ」
「そう、かなあ……たぶん種自体が特殊で、そんなことは──」
「いいの、ありがとう。ここの村の人間は皆善良だけど、あなた、その中でもとびきり優しいのね。魔力切れなんて大変な思い、会ったばかりの私にも惜しまないでくれてる。あの人によく似てるわ」
妖精は、幸せな記憶に想いを馳せるようにそう言った。『あの人』が誰のことなのか芙蓉にはわからないが、彼女にとってとても大切な相手なのだろう。先程とは打って変わって表情が解けている。
「……これも何かの巡り合わせね! 私が綺麗なお水をあげて、あなたが栄養たっぷりの土を用意してくれたら、この子達も機嫌を直してくれるはず! 私達、きっと相性がいいわ!」
隙間から星屑が零れそうなくらい可愛い拍手につられ、芙蓉はくすりと口元を綻ばせた。
「
「っええ! そうなの! すっごく、すっご────く大事なものなの! 育ってくれたら私、はち切れちゃうくらい嬉しいわ!」
「は、はち切れちゃうの?」
「ウフフ、人間ってこう言うでしょう? 『死んでもいいくらい幸せ』って。私もその瞬間にはそう思うってわかるの。だってこれは──私の精一杯のアイの証だから!」
──その時の彼女の笑顔は今でも芙蓉の頭にこびりついている。たった一粒残った『種』と、深い後悔と共に。
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