第20話 すきなひと②
前日、意図せず複雑な三角関係に首を突っ込んでしまった芙蓉。一晩考え込んでも解決法は得られぬまま、しかし全員の矢印の方向を知っている唯一の立場から、半ば運命的にこの三人の輪に組み込まれることとなった。
「うわ、うまっ……! これ、マレットが作ったんだよね?」
「う、うん」
「すごくおいしい。おれ、こんなうまいの食べたことないよ」
「……あり、がとう」
「前から思ってたけどマレットは器用だよね。仕事も丁寧だし。他には何か作るの?」
「あ……えっと……」
パストルの真っ直ぐな賞賛が止まることを知らない。瞳をキラキラさせて食い入るようにマレットを見つめる様は、どう勘違いしても「恋」以外の何物でもないだろう。証拠に芙蓉達は完全に蚊帳の外、二人きりの世界だ。遠い目をしながら頬張ったキッシュは、パストルの言う通りとても美味しかった。
昨日の懺悔を経て、マレットは芙蓉に親近感を抱いたらしい。今夜の祭で出す料理の試食をしてほしいと照れていたのが可愛らしかった。
そこへ登場したのが、彼女の中では既に潰えた想い人・パストル青年である。
(といっても、呼んだのは私なんだけれども)
超がつくほど鈍い芙蓉でも察した。このパストル、外野が恥ずかしくなるほどマレットを気にしているのだ。芙蓉が知るわずかな間にも、前述のように彼女の手料理を褒めて喜び、大きな鉄皿を運ぶ彼女にすかさず手を差し伸べていた。
これだけ甲斐甲斐しいアピールがありながら、なぜマレットは懺悔するに至ったのか。それは彼女の眼鏡よりも分厚いレンズがその心を覆っているからである。
(物心つく頃からラデルさんへの踏み台だったら、今度もそうだって思っちゃうんだろうな)
マレットにとって、異性から受ける優しさや親密さは全てラデルへの取っ掛かりでしかない。そう思わされてしまうほど長い時間の積み重ねがあった。パストルがいかにわかりやすかろうと、彼女の思い込みがそのことに気づかせないのだ。
その
(マレットさんが信じられるようになるまで、パストルさんに頑張ってもらうしかない!)
他力本願と言うなかれ。ぽっと出かつ旅人の芙蓉には彼らの行く末を見守る時間がない。もちろん援護射撃する気は大いにあるが、最終的にはパストルの気持ちの強さ、そしてそれまでにマレットの頑なな心がどれだけ溶けるかにかかっている。
(そのためには今日のお祭りで絶対に踊ってもらわないと)
村に伝わる風習なら、男女が踊ることの意味を取り違える村人はいないはずだ。特にこの言い伝えの真髄は「結婚できる」というところである。本命以外と踊れば誤解を招きかねない行為を誰がするというのだろう。つまり、踊りを申し込まれるということは、相手の好意が疑いようのない真実であることを指している。
このイベントに誘われれば、さしものマレットでもラデルへの足掛かりだとは思うまい。今はまだ懺悔して忘れたと自身に言い聞かせているところで、パストルへの恋情を完全に捨て去ったわけではないのだ。この機を逃してはならなかった。
「~~~っ! フヨウさん、ちょっと……!」
「むぐ、ふぁい」
不意に、マレットがパストルとの会話を中断した。キッシュの皿を持ったまま、芙蓉はずるずると離れたところに引きずられていく。
「どうして
「エッ、私呼ンデナイデス。アノ人イツノ間ニカイマシタ」
「嘘下手ァ!! ……じゃなくて! もう……もういいのに……昨日決めたんだから……」
強く握られたマレットの前掛けに皺が寄る。芙蓉は屈み込んでその手をそっと解かせた。
「でも、パストルさんはマレットさんを褒めたいんですよ。お世辞じゃない褒め言葉を受け取ってほしいって、ずっとあなたの目を見てる。全部本気で言ってること、会ったばかりですけど私にもわかります」
「それは……ラデルに言う練習で私に……」
「そうかなあ。あれだけ言葉にする性格だったら、ラデルさんにも直接伝えてると思いますけどね。パストルさんってそんな回りくどいことする人なんですか?」
首を傾げてとぼけてみせると、マレットは胡乱げな目つきになった。
「……昨日、墓守になるって言ってくれたじゃないですか……」
「へへへ、すみません。パストルさんから来る場合は管轄外でして。イヤー昨日も根掘り葉掘りで大変だったなァー」
「えっ」
「聞かれたんです、どうしてマレットさんが泣いてたのか。具合が悪いのか、誰かと喧嘩したのか、心配だって」
眼鏡の奥でどんぐり眼が見開かれる。口端を震わせるマレットに、芙蓉は目尻を緩めて微笑みかけた。
「マレットさんの言ってた通り優しい人ですね、パストルさん。皆に優しいのも本当なんでしょう。でも、すぐにいつもと違うことに気づける優しさは平等じゃない。あなたのことを普段から見ている証拠で、あなただけに向けられたものです」
「私に……?」
「ラデルさんが好きだとしても、パストルさんの気持ちもそうだとは限らないですよ。傷つきたくないからそう思いたいのはわかります。でもパストルさんがマレットさんを気にかける理由、マレットさんを褒めたり助けたりする理由、あともう少しだけ考えてみませんか」
芙蓉から目を逸らしたマレットの唇がむずむず動く。どうにも割り切れないといった様相だった。やがて彼女は囁くように打ち明ける。
「……か、考えて……もしまた、ラデルに近づくため、だったら……」
──君の友達にすげえ美人な子いるじゃん? どういう男が好みか聞いてきてよ。
──ラデルちゃんに渡す前にさ、ちょっと練習に付き合ってくんない?
──あー……、ごめん、何か勘違いさせた? ラデルに伝えといてほしかったんだけど。
二言目には必ず幼馴染の名前、彼女の付属品でしかない自分。勘違いしないようにと張った何重もの心のバリアが、マレットを守ると同時に動けなくさせていた。
「……怖い、ですよね。ただ、今はマレットさん一人で立ち向かわなくていいんです。そんな失礼なこと言われたら私がやり返しますよ。神官見習いとして神罰みたいなのをこう、バシッと!」
「…………ふ」
マレットの強張った表情がかすかにほつれる。波風が立つことを好まないだろう雰囲気だからか、彼女の元気がないと心配だと言ったパストルのことがわかった気がして、芙蓉はほっと肩の力を抜いた。
「ね、マレットさん。あとちょっとだけお願いします。ちょっとだけ勇気を出して、パストルさんを真正面から見てみたら、きっと──」
「マーレ♪」
明るく華のある声が降った。目の前をホワイトピンクグレージュのカーテンが横切り、芙蓉とマレットの間を断つ。
「旅人さんと何話してるの? あたしにも教えてよ」
「ラデル……」
洗練された指先でマレットの髪を掬う、鷹のような女。息を飲む芙蓉を鋭い双眸で射抜き、いっそ毒々しいまでの笑みを突きつける。
「あ、旅人さん聞きました? ウチのお祭りで踊った人同士は結婚できるって。何にもない田舎なのに、変なとこロマンチックですよね」
「ええ……伺ってます。素敵なお祭りですね」
「でしょう? あたしも相手が決まってるんで、今夜はたくさん踊ります。旅人さんも楽しんでくださいね」
「っあ、マレットさん!」
言外にパストルを暗示しているのが芙蓉にもわかった。刹那に飛び出したマレットを咄嗟に引き留めたが、その足は止まらずに村の奥へかき消えた。
手を振り払われたラデルはツンと唇を尖らせる。マレットの消えた方角へ向ける視線は冷ややかで、それでいて──。
「────」
「え……?」
風に攫われてしまいそうなその呟きに、芙蓉の口がぽかんと開いた。
◆ ◆ ◆
夜の帳が下り、星々が瞬く頃。大きな焚き火台で天にも届きそうな炎が燃え盛る周りを、複数の男女がくるくると踊っている。
皆一様に楽しそうで幸せそうだ。つられて綻んだ芙蓉の耳を、テーブルに打ちつけられたビアマグの音がつんざいた。
「……ヒック……ウゥ……」
呻き声を上げる酔っ払い──マレットは、散々飲み散らかしてうつらうつらとしている。後半は芙蓉達が差し替えた水ばかりだったのだが、プラシーボ効果なのか酔いは深まるばかりである。
「マレットさん、そろそろシャッキリしましょ。まだそうと決まったわけじゃないんですから」
「二人ともいないです」
「ほら、ラデルさんもパストルさんも二人で踊ってませんよ」
「……そんらの、時間の問題れす……」
「んも~~~」
木の上で会場を見渡していたルシュの報告を受けても、頑としてマグを手放さない。自暴自棄だ。芙蓉はため息をついて何度目かの水を継ぎ足した。
卓上に突っ伏したまま、マレットは涙声でくだを巻く。
「……やっぱり、勘違いれす。
ラデルを選ばない人間はいない、自分が横にいれば尚更。そしてラデルに選ばれた人間が自分を選ぶこともない。マレットは滔々とそう語る。表立って争ったことはなくとも、ふるい分けられてきた過去が「ラデルに勝てない」という意識を彼女に深く植えつけていた。
その心中が痛いほどわかるだけに肯定も否定もできず、芙蓉は黙ってマレットの頭を撫でた。酒の勢いだ、もう少し好きにさせてやろう──潤む彼女の涙腺を拭おうとした、その時だった。
「ねえ君、大丈夫? 酔っちゃった?」
反対側から男が一人、マレットの隣に腰掛けた。この村のものより都会めいた小奇麗な服装で、快活そうな色男だった。半目のマレットを覗き込み、くすりと笑いかける。
「眠そうだね。かわいいな」
「……かわ、いい……? わらしが……?」
「もちろん。純粋そうなところ、僕はとっても魅力的だと思うよ。よかったら一緒に──」
ゆらりとマレットが立ち上がる。その手がゆっくりと伸ばされ──たちまち男の襟首を捻り上げた。
「だぁあれがかわいいらボゲェ! 私にそんなこと言うヤツはなあ! どいつもこいつも絶対ラデル狙いなんらっつーの! ろーせアンタもおだててラデルにつなげてもらおうとか思ってんれしょうが! ふざっけんじゃないわよ! もう聞き飽きて耳にタコできるわボケナスがァァァ」
「ぐぐ、ぐるじっ」
「私らって苦しいわァ! 一体いつまでこんなこと続くのよ! ねえ! どうらのよ男どもォ!」
「ちょ、ちょ、マレットさんやばいです! 首絞まってる! あああパストルさんこっちですううう!」
芙蓉はようやくやってきた待ち人に気づき、喧騒の向こうに手を振った。人混みをかき分けてきたパストルは、惨状を目にするや否や、青い顔でマレットの肩を掴む。
「マレット!」
「うるさァい! アンタらって、アンタらって同じくせに! 皆ラデルがいいくせに! なんれわたしにかまうのよお……」
ヒンヒン泣き出したマレットの手中から男が滑り落ちる。派手に頭を打った彼を、芙蓉とルシュが素早く回収した。
「わかってるもん……わらしがいちばん……わかってるからわきまえてるのに……なんれ……」
顔中の穴から液体を垂れ流し、マレットはしおしおとうなだれる。アルコールと急激な興奮で立っているのがやっとの状態だ。パストルは不安定な彼女を両手で支え、大きく息を吸い──そして、告げた。
「マレットが、好きだからだよ」
「…………へあ?」
理解不能な言語で話されたかのようにマレットは呆ける。芙蓉は叫び出しそうな自分の口を思いきり塞いだ。
「マレットが好きだから。いつも優しくて、ラデル目当ての奴も無下にできないくらい本当に優しくて、でもそれで傷ついてるの知ってた。おれならマレットだけを見てるから、そういうの、全部おれにだけ向けてくれたらって、ずっと思ってたんだ」
霧雨のように降るパストルの穏やかな声色。ぱち、と火の爆ぜる音だけがそこに混じる。いつの間にか、誰もが固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
当人であるマレットは、信じられないといった面持ちでパストルを仰ぐ。
「まって……待って、え……? ラデルは……? 最近すごく仲良くて……恋人同士になったんじゃ……?」
「え? ラデル? おれと? いや全然。むしろラデルが聞いたら殴られそうな話だな……」
「だって、だって今日、踊るって……」
「あー……それもおれから言ったら殺されるやつだ……とりあえず、ラデルとは何もないよ。マレットが心配するようなことは何も。でも、それを聞くってことは期待してもいい……?」
背後の篝火よりも熱っぽい眼差しだった。目は口ほどに物を言うのだ、直視しているマレットの言葉にならない様子も頷ける。芙蓉は目を血走らせて懸命に雄叫びを飲み込んだ。
「もしもマレットがおれと同じ気持ちなら、ゆっくりでいいから恋人になって、それからできれば、今日踊ってほしい。今は友達以上に思えないなら、おれ頑張るから、いつか好きになってくれると嬉しい。……マレット、返事をもらえる?」
いよいよ芙蓉の心拍数が限界だった。極限まで開けた視界に映るマレットは、「あ」だとか「う」だとか唸りながらも、おずおずとスカートの裾を持ち上げて一礼した。
──それは、申し出を受け入れて踊る風習の合図だった。
「うおっしゃ────っ!!」
「よくやったパストル!」
「マレットおめでとう~!」
村中が大歓声に包まれた。割れんばかりの拍手とグラスのぶつかり合う音が響き渡り、再び興奮の渦が巻き起こる。ルシュは雇い主の百面相に同意を示してやった。
口々に降り注ぐ祝福に胸が痛いほど幸福だった。大切に育んでいた恋を成就させた青年は、溢れ出す衝動のままに愛しい恋人へ手を差し出す。
「マレット、踊ろう! ……マレット?」
「うぷ……オボロロロ」
「うわあっ!?」
慌てふためき、パストルは盛大に吐き散らかしたマレットを抱き上げた。茶化す村人達に「来年踊るからいいんだよ!」と返して道を開けさせる。
そして、くるりと振り返った。
「ありがとう」
周囲のどんちゃん騒ぎに呑み込まれたが、その口が模った語意は確かに芙蓉達に届いた。呼応するように振られる手。パストルは全身が弾けてしまいそうな多幸感を覚え、顔中くしゃくしゃにして笑った。
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