第25話 怪物たち①

 数歩先を進むニシェルが地面を指差す。そこには、既に何度も目にしている乳白色の羽根が落ちていた。


「はね、あったよ」

「今度はそっちだね。ありがとう」


 トーハを出発した三人は、ハーピーから抜け落ちたそれを頼りに森の中を進んでいる。街道から逸れ、整備されているとは言い難い道は歩くのも困難だ。小石や枝が方々に散乱しているため、芙蓉は何かにつけて蹴躓いている。

 そんな彼女を尻目に、ニシェルの足取りはすこぶる軽い。少女の周りは空気が揺れていて、例えば走る際はそれが風となって後押しするのだ。おそらくフェリアドールの能力の一部だろう。ルシュが追いきれないほどの速度の理由がこれだった。

 ふと、ニシェルの視界に黄色がちらついた。


「…………」


 見事に咲いた野生のダリアだった。不安定なユニアの環境など露知らずといったような、隙間なく均等に並んだ花弁の華やかさにニシェルの瞳は釘付けになる。都会の髪飾りにも負けないほど豪奢な花だ、きっと髪色との相性も良い。

 茎を長く手折り、ニシェルは軽やかに踵を返した。気づいた相手がしゃがみ込み、ふにゃりと眦を緩める。


「わあすごい! 満開だね。綺麗……」


 うっとりと感嘆を吐いた芙蓉の虹彩にダリアが映り、ニシェルは確信した。潰さないよう花を支えながら背伸びして茎を滑らせる。

 耳上に飾りつけられたフォーマルデコラティブは、茶の髪にやはりよく似合った。まだ状況が飲み込めていないらしい芙蓉は両目を瞬かせている。


「私に? くれるの?」


 こっくり頷いたニシェルに顔が熱くなる。嬉しさに口の端が綻んで、芙蓉は照れ笑いを浮かべた。

 花なんて、大学の卒業式で配られた一輪ブーケ以来だ。特別に贈られることの喜びを久しく忘れていた。


「ありがとう……わ、私だけだと照れちゃうな。よかったらお揃いにしない?」


 案内された先で、芙蓉はダリアをニシェルの髪に挿した。少女は無表情のままだったが、どこかそわそわと落ち着かない様子で、衝動を緩和するようにルシュの服にも花を突っ込んだ。

 束の間戯れていると、そこへ調子外れの車輪の音が近づいてきた。


「やあ、こんにちは! 三人姉弟妹きょうだいか? 近くのノン集落出身なら、尋ねたいことがあるんだが」


 小型の馬車から顔を覗かせたのは、悠々とした雰囲気の女衛兵だった。銀色のバシネットから太陽のような赤毛を靡かせ、溌溂と笑っている。

 対する御者は恨めしそうな人相の若い金髪男で、隠す素振りもなく頬を膨らませていた。


「この辺りで旅人が消えるという噂があるんだが、何か知らないか?」

「……旅人だけじゃないっすよ、衛兵もっすよ」

「ン、そうだった。とにかく、人が消えたり帰ってこなかったりするらしいんだ」

「ちゃんと報告書読んだんすかあ~? ちぇっ、これだから新任は先走りやがる……」


 男衛兵が明後日の方角へ愚痴を吐く。上官たる女は気にした風もなく、ひらりと馬車から降り立った。引き締まった体躯は、三人の中で一番背の高い芙蓉よりも頭一つ抜けていた。


「こんにちは。すみませんが、私達はただの通りすがりなんです。なので噂というのも今初めて伺いまして……詳しく聞かせていただけますか?」

「おっと、早とちりしてすまない。構わないぞ。ついでに集落まで乗っていくか? 我々も今夜はそこに泊めてもらうつもりでな」

「お気遣いありがとうございます。ちなみに集落はどちらでしょう?」

「あっちですよ」


 下唇を突き出す男衛兵が指差したのは、奇しくもハーピーの羽根が散らばる小道だった。おまけにお誂え向きな噂もあるという。ルシュ及び入れ替わったフェリアが頷いたのを確認し、芙蓉は誘いを承諾した。

 ──背後で珍しいほど大輪のダリアが揺れている。その根に浸食された物言わぬの眼は、ただただ無機質に彼らを映していた。



       ◆ ◆ ◆



「まずは自己紹介といこう。わたしはカティア。今年、ここから少し離れたツェルンに衛兵隊隊長として赴任した者だ。あちらは部下のスタニク」

「……どうもォ~」

「斜に構えているように見えるが、根は優しくて真面目なんだ。今日もこうして供を買って出てくれた」

「やめてくんないっすか、一気飲み負けただけなんで。マジ不本意なんで」


 渋面のスタニクが心底嫌そうな声を出す。仲が良いのか悪いのかわからず、芙蓉は曖昧な笑みを作った。


「私は芙蓉です。こちらは護衛のルシュくん、そしてニシェルちゃん。訳あって三人旅をしています」

「そうか。護衛の依頼を受けられるくらいのギルド員がいるなら大丈夫だと思うが、もし何かあれば遠慮なく申し出てくれ。子供ばかりでは不都合もあるだろうから」

「あ……私、一応二十二歳です……」

「えっ」

「オレと同い年タメじゃん」


 カティアどころかスタニクまで目を瞠った。芙蓉のいた世界でいう日本人系統の貌は、やはり幼く見られるらしい。


「オホン、失礼した。気を取り直して例の噂の話をしよう。わたしが来る前からこの近辺は妙に物騒だと言われていたそうでな。先に話した通り、通りがかる旅人や見回りに来た衛兵が消えることがあるらしい」

「消える……誘拐とかでしょうか?」

「その可能性もあるが、少し怪しい」

「というと?」

「人が消えるのは今に始まったことじゃないんだ。報告書これによれば、十年以上前から時々捜索願いが出されている。行方知れずは把握している限りで三十人以上だ」


 所々破けて黄ばんだ羊皮紙の束をカティアがめくる。


「それだけ長い期間、何人も行方不明者が出ているなら組織的な犯行の線が濃い。なのにそういう集団は『見当たらなかった』とある」

「では魔物でしょうか?」

「魔物の線はさらに難しいようでな……捕食されたにしても、とにかく被害者の痕跡が見られないそうだ」

「──飛行型の魔物が運ぶなら?」


 指先が止まる。報告書から目線を上げたカティアが、眼光鋭く芙蓉達を射抜いた。その様が、彼女の肩書が飾りではないことを物語っていた。


「……心当たりがあるようだな」

「はい。私達はその魔物を追ってきました」


 芙蓉達は、トーハの村での一連の出来事を話した。ハーピーならば人の運搬は容易であり、またそれを裏付けるような不可解な行動も起こしている。推測の域は出なくとも、手掛かりとしては一考の価値があった。

 カティアは熱心に話を聞いてくれた。急くあまり時折羊皮紙に穴を開けながらも、新たな報告書が綴られていく。


「つまり、指示されたハーピー達がこの辺りの人間を攫っているかもしれないと。そしてそれは、今我々が向かっている方角から来ているということだな」

「はい。もうずっと羽根が落ちています。このまま行けば突き止められるかもしれません」


 ただし、解せない点があった。これだけわかりやすく物証が残っているのに、なぜ今まで誰もハーピーを追わなかったのか。報告書にはノン集落への聞き込みや見回りの実施が記載されているものの、結果は全て判で押したような「異常なし」。カティアの前任者のサインもあった。


「そりゃ、報告書が書けるのはっすよ」


 抑揚のない、皮肉ったような声色でスタニクが嘲笑う。眉間に皺を寄せるカティアに構わず、彼は手持ち無沙汰に鞭を遊ばせている。


「オレ達は行ったら行ったで二の舞になる。部下が消えまくったんじゃ、隊長は監督不行き届きで昇進なんざ見込めない。何だっけ、事なかれ主義ってやつ?」

「……捏造」

「衛兵生活を平和に全うするための処世術っすよ。前の隊長も最初はえらい奮起してましたけどね、上層部から突っつかれたらモグラみてえに引っ込んじまった。どーせアンタも今だけだろ。張り切っちゃってイタいっつの」


 空気が張り詰めた。カティアの静かな、それでいて竦み上がりそうなほどの圧力は凄まじく、芙蓉は無意識に後退した。次の瞬間には刃物のような一喝が飛び出すのかと思ったからだ。

 しかし彼女は口を噤んだまま、細く長い息を吐いただけだった。


「────そうか。上官が臆せば部下が迷うのも当然だな。指揮を執る者として褒められた態度ではない」


 凪いだ声音だった。見当が外れたとばかりに片眉を吊り上げるスタニクに向き直り、報告書を置いたカティアが凛と告げる。


「スタニク、わたしは約束する。必ずこの事件を解決し、何があっても逃げないと。だから君も隊長としてのわたしを信じてくれ。そしてどうか、衛兵の名に恥じない行動をしてほしい」

「…………」

「我々は町やそこに暮らす人々を守るのが責務だ。この仕事に就いたからには、それ相応の覚悟や志があるんだろう。自分の信条を裏切らないでくれ、スタニク」


 スタニクはしばらく静止していたが、やがて無言のうちに前を向いた。乱暴に頭を掻くその姿に、なぜかカティアは満足そうに笑っていた。



       ◆ ◆ ◆



 追ってきたハーピーの羽根は、ノン集落まで目と鼻の先というところで忽然と消えてしまった。今まで二、三連続して落ちていたものが、エリアを分断されたように突然見かけなくなったのだ。あまりの呆気なさに意図的なものを邪推せざるを得ないほどに。

 集落の人々もハーピー、そして例の噂に怯えていたようだ。彼らの中に行方不明者はいないものの、それらの要因で人が寄りつかなくなり、細々とした交易の商売も上がったり。何もない僻地では生きられないと、集落内でも見切りをつけて余所の村へ移住され、今では十数人の居住者しかいないという。


「だから久しぶりのお客なんだよ。今夜は是非泊まっていっておくれよ」

「ありがたい、世話になる。こちらも調査が終わるまで可能な限り力を尽くそう」


 まとめ役たる恰幅の良い女はカティアの手を握って離さない。集落全員の鼻息荒い出迎えに少々たじろぎながらも、芙蓉達はくすぐったく思った。トーハで苦い記憶を植えつけられたせいか、開けっ広げに歓迎されているのが嬉しかった。


「お兄さん、衛兵の人?」

「あ? ああ、そっすよ」

「えーかっこいい! 名前何ていうの?」

「はあ、スタニクっす」


 豊かな黒髪の少女に纏わりつかれているが、スタニクは相変わらず半目で無気力そうだった。カティアは何を勘違いしたのか、「衛兵たるもの、ああして市民一人一人に向き合わなくてはな!」とウンウン頷いている。どうやら彼女の上官モードはたまにポンコツになるらしい。

 そんなカティアはまだ手を塞がれている。相当興奮しているのか、紅潮して矢継ぎ早に言葉を並べるまとめ役の女に、衛兵の鏡たる彼女はつぶさに耳を傾けてやっていた。


「やっぱり外の人が来てくれると活気づくよ。おんなじ顔ばっかりで見飽きちゃってまあ」

「おいおい、わかってても言うなって」

「見飽きた顔でも、残ってるだけマシでしょ。ほとんどいなくなっちゃったんだから」


 萎びた様相でうなだれる彼らに何と言っていいかわからなかった。共に生まれ育った者達と離れる辛さは芙蓉にも想像できたから。


「あの、もしよかったら──」


 気づけば、いつものように申し出ていた。どこへ行けども、ユニアに暮らす人々は似たような境遇に晒されている。芙蓉は仮初とはいえ神官見習い、大神官が胸を痛めるこの状況を見過ごしてはならないのである。


「畑を? お嬢さんが?」

「はい。あまり長くは保ちませんが、少しは食糧事情も回復するかと」

「本当かい!? ああ、神様……!」


 涙ぐむ彼らの掌はたこができて黒ずんでいる。明日を生きるために枯れた土を耕し続けたのか、あるいは来訪者を夢見て仕事の道具を振るい続けたのか。たくさんの苦労が滲むそれを、芙蓉は両手でそっと包み込んだ。


「君、魔術師だったのか」

「はは、そんな大それたものじゃないですが……少しは魔力を操作できるので、ないよりはマシかなと」

「謙遜してくれるな、立派な才能だぞ! その心意気も見上げたものだ!」


 カティアはとびきりの笑顔で芙蓉の頭を撫で繰り回した。豪快だが心からの賞賛が伝わってきて、心臓のあたりがむずむずとこそばゆい。


(オーラはあるけど威圧的でも感情的でもないし、明るくて裏表がない。この人が上司だったら、きっとたくさん褒めて伸ばしてくれるんだろうな)


 けれどスタニクはお気に召さないようだった。あの半目が向けられているのだろう、じっとりとした粘着質な視線が突き刺さり、途方もなく居心地が悪くなる。


「では、我々は手始めに集落内この中を見せてもらおう。噂の出処から一番近い場所だ、何か手掛かりがあるかもしれない。スタニク、君は西側から頼む」

「……へぇ~い」

「じゃあ坊ちゃん達はおじさんと宿に行こう。ごめんな、あんまり遊び場ないんだよ」

「ぼっ……!?」


 あからさまな子供扱いにルシュが硬直した。老いた集落の男は宥めるようにその肩を擦り、ニシェル共々宿屋へ案内しようとする。


「俺は──」

「ルシュくん、先に休んでてください。昨日も野宿で疲れてるでしょうから」


 そう言う芙蓉は集落の女の後ろをついていこうとしている。目尻をとろんとさせて、疲れているのはどちらなのか。せめて畑を整えるまで見届けなくてはと、ルシュは男を躱す。


「大丈夫です、俺よりフヨウさんが、」

「最近は私も体力ついてきたので、結構平気なんです。育ったの確認したらすぐ戻ってくるので。ニシェルちゃん、ルシュくん連れて休んでてもらえる?」


 ニシェルは芙蓉とルシュを交互に眺め、ふすっと鼻を鳴らした。そして「聞かん坊ね」といった体でルシュの服を掴み、ぐいぐいと引っ張っていく。見た目はか弱い少女のニシェルに強く出られないのか、何度も振り返りながら引き摺られていくルシュを見送って、芙蓉はほっと息を吐いた。

 大規模な戦闘、そして連日の長距離移動。その間ルシュが常に周りを警戒し、今に至るまでちっとも気を緩めていないことを芙蓉は知っていた。それもこれも、結界一つ満足にこなせない未熟な自分のせいなのだ。彼が倒れてしまえば己は一歩たりとも進めない。情けないことだが、かといって急に成熟できるわけもないので、一時でも使命から解放された場所で休んでほしかった。

 待たせたことを詫び、今度こそ集落の畑を訪れる。一面の土畑は硬く締まって色味も薄かった。何とも修復し甲斐のある土壌だと、芙蓉は両手をかざす。

 地面が少しずつ黒褐色に染まり、柔らかく解けていく。並行して種を植えてみれば、元気よく双葉が飛び出してきた。何度立ち会ってもほっこりと心温まる瞬間だ。芙蓉は膝を畳み、健康そうな緑の芽をちょいと突く。


「……魔術師ってのはすごいのねえ」

「あ……りがとう、ございます……」


 景色が歪んでいる。こめかみを嫌というほどゆっくり伝っていく脂汗が不快だった。ナメクジが這っているような感覚を霧散させようと、芙蓉は深呼吸を繰り返す。自覚していた以上に疲労が溜まっていたのか、しばらく立ち上がれそうになかった。

 ──その後方で、女が鍬を逆手に持った。


「大分保ちそうで助かったわあ。

「え」


 耳元で風を切る音がした。最後に見えたのは、太い木の柄を振りかざす女──その憎悪に溢れる血走った双眼だった。

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