第24話 あなたは私を騙すことができない③

「どうして何も聞かないの?」


 差し出されたククサを受け取ったフェリアドールが、ぽつりと零した。

 芙蓉とルシュは顔を見合わせ、揃って首を傾げる。焚き火にちらちら照らされるのは、「言葉の意味がわからない」というより「なぜ今更そんなことを聞くのか」と言いたげな表情だ。フェリアドールは似合わない皺を眉間に作る。


「わかってるでしょ。あの母親が言うように、私達が普通じゃないってこと」

「んん、まあ……でも世の中普通じゃないことだらけな気もするし……」

「気にならないわけ?」

「こっちがやっちゃダメなこととか、何に対して嫌だなって思うのかはもちろん気になるよ。教えてくれたら嬉しい」


 ルシュと自分のククサにハーブティーを注ぎながら芙蓉は笑う。普通じゃないってそういうことだよね。視線でそう問われ、フェリアドールの口がへの字に曲がった。

 思えば、魔物を食べる自身を前に真っ先に食糧事情を心配してきたような人間だ。連れている護衛も獣の血が半分。彼女にとってこの質問は意味を為さないらしい。

 フェリアドールは両手を挙げて降参した。


「あーあ、バッカみたい! あんたがまず普通じゃないのね。余計な気を回して損したわ」

「へへ、ごめんね」


 一瞬、寂しそうに目を伏せた様をフェリアドールは見なかったことにした。


「じゃあもう色々見られてるし、あんた達は特に深く考えなさそうだから言うわ。私はフェリアドール、モラハドメアに生息する風の妖精族よ」

「妖精!?」


 夜の森に裏返った芙蓉の声が響く。その大きな反応に気を良くしたフェリアドールはニンマリと唇を吊り上げた。

 モラハドメアは、風属性を司るモハリス・オハム神が守護するユニアの隣国である。国内は常に風が吹いており、それを利用した風車や頑丈なレンガ造りの建物が多く見られる。

 彼女はその風から生まれ、風属性の魔力を操る種族だった。


「だからハーピーがバラバラになったんだね」

「そ。私にかかればあんなの雑魚よ。……とはいえ、この身体じゃ前ほど魔術は使えないんだけどね」


 フェリアドールは肩を竦めた。宿主の小さな掌を見つめ、重たそうに口を開く。


「……私のいたところでちょっと面倒な魔物が出たの。どうにかソイツは封印できたけど、私は片羽をもがれて風に流されるまま、国を跨いでここに辿り着いた」


 死にかけのフェリアドールの目に留まったのは、同じく命の灯が消えそうな幼い子供だった。


「花を摘もうとして崖から落ちたんでしょうね。瀕死だったのに、ニシェルの声はずっと聞こえてた。『どうしても花を渡したい』って、頭の中にわんわん響いて……だから取引したの」


 なけなしの力を振り絞り、フェリアドールは体内の魔石を取り出した。それをニシェルに埋め込んだのである。


「人間の身体に魔石が受け入れられるかは一か八かだったけど、このままじゃお互い死ぬだけだったから。ニシェルもとにかく母親のことが気がかりで、黙っていなくなりたくないって言ったの。ま、それからこんな感じよ」


 結果、ニシェルの身体は魔石を受け入れた。脈打たない心臓に代わり、現在は魔石が彼女を動かしている。

 本来、魔力の経路は体躯の成長や魔術の練度に釣り合うよう拡張されていく。それを無理矢理こじ開けられたようなものだが、拒絶反応がなかったということは、彼女には魔術師の素養があったのかもしれない。

 ただし生命活動と魔術の行使を両立させるため、燃費はすこぶる悪い。暴食ともいえるニシェルの食事量を思い返し、芙蓉は「なるほど」と頷いた。


「魔石を持つ人間だから魔人ってとこかしら。めでたく生き返ったけど、人間じゃなくなったから成長もしないし、今以上に気味悪がられるだろうからここにはいられないわね」


 芙蓉の心配そうな顔色に気づいたフェリアドールは目を細めた。

 普段、表に出ている自我はニシェルのものだ。けれど戦闘時や彼女に危機が迫った時、フェリアドールはエメラルドグリーンの瞳を携えて現れる。変化は一目瞭然である上、既に魔物を駆逐していることや、魔力を充填するために魔石ごと食すことも知られている。

 もし村に残れたとしても、今後は置き去り以上の事態になりかねないとフェリアドールは危惧していた。


「この子が殺されでもしたらさすがに寝覚めが悪いもの。花は渡せたから一区切りはついただろうし、これからは何とか説き伏せてやっていくわ」

「ニシェルちゃんのこと、フェリアが守っていくんだね」

「……お互い了承したとはいえ、この子が母親に見放されたのは私が原因だからね。それに私は妖精よ。人間って、からかい甲斐があって嫌いじゃないの」


 内側で泣き疲れて眠るニシェルの静かな吐息を感じ、フェリアドールはくすりと笑った。古来、妖精というものは何かと人間に関わりたがるものだ。魔石を砕かれない限り続く寿命のほんの一部、親子や姉妹の真似事をしてみるのもまた一興かもしれない。

 芙蓉も微笑んでククサを傾けた。妹のいる自分よりよっぽど姉の顔をしている。


「二人はこれからどうするの?」

「とりあえず、ここを離れてあのハーピーの出処を突き止めるわ。ニシェルが母親に近づけたくないって言うのよ。その後は流れるままね、風みたいに」


 曰く、ハーピーが大群で現れたのは今回が初めてのことだそうだ。今までは週に一度、それも二、三羽程度だったとフェリアドールは腕を組む。


「ていうか、今思えば色々おかしいわね。

「ハーピーがそういう習性というわけではなく?」

「聞いたことはないですが……単純に村を餌場とみなしたならその頻度で賄えるのかもしれません。ただ、来たものは全部仕留めてるんですよね?」

「私がね。ついでに遠慮なく丸ごといただいたわ。知ってる? 髪が歯に絡まって食べづらいったら──」

「アッ大丈夫です間に合ってますッ!!」

「全体的に骨っぽくてマズいけど、一番マシなのは肩と翼の繋ぎ目の──」

「あああああニシェルちゃん助けてえええ」


 ぎゃあぎゃあと攻防が繰り広げられる傍ら、ルシュは顎に手をやって呟く。


「番人がいて餌場にできない、しかも同族が何度も殺されてる。そんな場所に周期的に来る必要がどこに……?」

「指揮系統があるのかもね」


 勝手知ったるようにハーブティーをお代わりしながらフェリアドールは言った。ちなみに芙蓉はまだ耳を塞いでいる。


「誰かに命令されて来てる?」

「あるいは協力関係とか。どっちにしてもそう考える方が納得いくわ。キーキーわめくだけの肉漁りにそこまでの知能があるとは思えないし」

「だから背景を探りに行くと?」

「そ。これに関しては私もニシェルも意見は同じよ。──嫌な予感がする」


 エメラルドグリーンが鋭い刃のように瞬いた。ニシェルと一体化した今、彼女の意思はフェリアドールにも影響を及ぼしている。即ち、彼女の敵は自身の敵なのである。

 魔的生物の曇りなき敵意の強さにルシュが背筋を粟立たせる一方、芙蓉は「確かに」と何の気なしに口にする。


「あんまり規則的だと、不気味だよね。……え?」


 しんとなった雰囲気に周囲を見回すと、フェリアドールもルシュも極限まで両眼を剥いていた。


「下見……確かにそうだわ。それが一番しっくりくる」

「村あるいは村人の何かを定期的に確認する必要があった……?」

「私は見つけ次第即ぶっ殺してたから、アイツらが何を目的に来てるのかまでは気づかなかったわ。てっきり捕食目的だと……ねえ、あんたは今日すぐ近くにいたのよね? ハーピーに何かおかしな動きはなかった?」

「おかしな動き……」


 芙蓉は昼間の出来事を思い起こす。

 あの時、ハーピー達は一人の村人に襲いかかった。聞くに堪えない鳴き声を浴びせ、耳朶を覆ってふらついた女に鉤爪を振りかざし──。


「……ハーピーって、肉食なんだよね?」

「下品なくらいね。我慢なんてアイツらの頭の中にはないし、意地汚いほど食い散らかすわ」

「じゃあ……変かも。その時はてっきり食べられちゃうのかと思って慌てて遮ったんだけど、よく考えれば一生懸命爪先引っかけて持ち上げようとしてたような……しかも三羽同時に」

「あの肉狂いが? 目の前の餌に手をつけないなんて、槍が降るわね」

「血の雨ならあなたが降らせてましたけどね……一旦どこかに持ってって、後で食べようと思ったとか?」

「考えづらいですが、その可能性もなくはないですね。けど、他にも村には人がいたのに、最終的にはフヨウさんの周りに全部集まってきていた。フヨウさん含め村の人は全員非武装で、食べようと思えばそこら中にいる状況下での行動がハーピーの習性に当てはまらない」

「何においても魔術師を優先しなければならない理由があったのかもね。さっきの話でいうと、種族の習性を上回る何かに強制的に指揮されてたとか。協力関係よりは現実味があるわ」

「はい、あり得ます。魔物の力関係は多くの場合、単純に強ければ強いほど優位に立てる。上位種であればハーピーのような下等種族に命令するのも簡単でしょう。整理すると……」


 手近な枝で地面に図を描き、ルシュは「あくまで推測ですが」と前置きした。


「ハーピー達は定期的に村へ派遣され、基準を満たした獲物を運ぶ役割を担っていた。それが何のためなのかはわかりませんが、普通の人間よりも魔術師のような優れた性質を持つ対象であれば尚いい。そして、一連の行動は全てハーピー達の習性を無視していて、背後にいる何らかの存在に指揮されている可能性が高い」

「急に群れで来たのも気になるわ。私がいるのに数で勝てると思ったのかしら」

「それだけの理由ならまだ納得できますが……魔術師が現れたことがそこまで大事なことだったのか、他に要因があるのか……」


 芙蓉とルシュは粘り強く思考を巡らせてみたが、それ以上の予測は得られそうになかった。とにかく眠い。長距離の移動と戦闘の緊張感が身体に蓄積していた。

 そんな彼らを横目に、フェリアドールは無音でククサを置く。時間だ。ニシェルが寝ているうちに出発するはずが、随分と長居してしまった。これからは二人きりで生きていくというのに幸先がよくない。

 妖精ではあれど、フェリアドールは人間の中身を知っていた。自分達の境遇は特殊であって、理解を得難いのは当然のこと。人間だけでなく、集団に混じる異物が排除されるのは動物でも魔物でも同じなのだ。実の母親ですら受け入れられないものを恐れない芙蓉達が異質なだけ。だから期待は持たず、拠り所も必要ない。特にニシェルは幼いままだから、心を開き過ぎればろくな目に遭わない。

 彼女が芙蓉に母親の影を探している節はあるものの、今ならまだそう影響はないだろう。共に過ごしたのはたった一日。今夜旅立てばすぐに忘れられるはずだ。

 そうして立ち上がりかけたフェリアドールの向かいで、おずおずと芙蓉が手を挙げた。


「あの……詳しいことはまた明日考えるとして、今日はもう寝ませんか……」

「そうしましょう。明日もまた歩くことになると思います」

「ね、そうですよね……はい、フェリア。窮屈で申し訳ないけど、またこれ半分こしてね……」


 落ちそうな瞼を必死に持ち上げ、芙蓉がマントを広げる。出鼻を挫かれたフェリアドールは咳き込みかけてしまった。


「な、に言ってるの……?」

「……? 窮屈で申し訳ないけど──」

「聞こえなかったって意味じゃないわよ、まさかあんた達……一緒に来る気なの?」


 再び二人は揃って首を傾げ、不思議なくらい同時に首肯する。またあの顔だ。「なぜ今更そんなことを聞くのか」と今度ははっきり書いてある。


「もちろん。ここまできたら乗りかかった舟だよ。小っちゃい子が一人で移動してると目立っちゃうし」

「だからって……ねえ、何かヘンな責任感じてる? ニシェルを村に連れ戻したからとか、私達の正体を聞いたからとか」

「感じてないって言ったら嘘になるけど……でもそれだけじゃないよ。私が、ニシェルちゃんとフェリアに二人ぼっちだって思いながら行ってほしくないだけ」

「────」


 脳内を読まれたのか。動きを失くしたフェリアドールに、芙蓉は大人びた笑みを浮かべる。


「フェリアがニシェルちゃんを守ろうと必死なの、わかるよ。生きにくいって理解してるから、少しでもニシェルちゃんに耐性をつけようとしてるよね。でもルシュくんと私は知ってて近くにいるから。世界に二人ぼっちじゃないし、そういう人の前では気を抜いてもいいんじゃないかなって、さっきニシェルちゃんが泣いたの見て思ったんだ」

「…………」

「それに私は一応神官見習いだから、祈ってくれるかもしれない人を食べちゃう魔物を放っておけないのは事実だし。そういうのと戦おうとしてる人達がいれば手伝わないと。っていっても私にできることはあんまりないんだけどね……」

「……神官見習いのくだり、後付けでしょ。今初めて聞いたわよ」

「……わかる? 自分でもハリボテ感が否めなくて……あ、あと、よかったらもっとフェリアの風魔術を見せてもらえないかなって。私、どうしても魔術学院に入りたくて……今後の参考に是非!」

「────ハァ」


 構えていたのが馬鹿らしくなってしまって、フェリアドールは勢いよく鼻を鳴らした。


「はいはい、もうわかったわよ。何言っても来る気なんでしょ。ルシュ、あんたもそうなの?」

「はい。俺はフヨウさんの護衛なので」

「なによ、あんた達も似たようなものなんじゃない。二人で一つなんて、そう珍しくもないのね」


 そっぽを向いたフェリアドールに、芙蓉とルシュは破顔する。波長が合うのだろうか、何かにつけて行動がそっくりだと妖精は頬杖をついた。

 二人組なんてありふれているかもしれないけれど、こんなお人好し共はそういないでしょうね。嘆息した内側で、いつの間にか起きていた相棒がくすりと笑った。



       ◆ ◆ ◆



「ごめんなさい、お待たせしました!」


 トーハの村から、息を荒げた芙蓉が走ってくる。隠れるように村の外れにいたルシュとニシェルは、その声に顔を上げた。


「落とし物、ありました?」

「はい、大丈夫でした! いや~ハーピーに持っていかれなくてよかった~。じゃあ……もうちょっとしたら行きましょう──か」


 ニシェルが村をじっと見つめていた。その背中に出立を急かすことができず、ルシュにこっそり話しかけた芙蓉の手が柔らかい感触に包まれる。

 澄みきったブルーブラックの双眸がこちらを見上げていた。


「……行こうか」

「………………うん」


 しばしの沈黙の後、少女の首が弱々しく振られる。故郷の妹を思い出させるような、つるりとしたその頭を撫でて、芙蓉はふかふかの手をそっと握った。

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