第26話 怪物たち②
スタニクは両手をポケットに突っ込んで気だるげに歩く。その後ろを、集落の少女が雛鳥のようについて回っていた。
「ねえねえスタニクさん、わたしアンナっていうの」
「はあ」
「歳は十七! スタニクさんは?」
「二十二……何もねえか」
家の裏手や集落内に侵食しつつある森を一瞥し、スタニクは呟く。
集落の西側には住居と思しき小屋が点在していた。どれも一目見てわかるほどのあばら家で、とても住めたものではない。案の定全て空き家だったようで、人の気配はおろか入り口すら半開きだった。
数少ない住民のほとんどが集落の東側に移動しており、ここは半ば放置されているらしい。いつか戻ってくるかもしれないという希望が手をつけられない理由だという。
スタニクは扉に手をかけた。魔物が原因の移住者がいれば、家の中に何か手掛かりがあるかもしれない。例えば襲われた時にハーピーの羽根が服に紛れ込んでいたり──。
「五歳差くらいならいいよねっ?」
目の前に滑り込んできたアンナに、スタニクの体内をひゅうと風が通り抜ける。寂れた集落では婿探しも難航していて、彼らは次の世代へ繋ぐために必死なのだろう。少女もここの一員として大人に言いつけられ、だからこうして自分を追いかけ回しているのだ。
「そっすね。まあそんくらいなら全然。誤差じゃないっすか?」
「だよね! わたし──」
「オレなんか八歳差だし」
アンナの頬が引きつった。気の毒だとは思いながらも、スタニクは自嘲気味な笑みを浮かべる。
「だ、誰か好きな人……あ、恋人がいるのっ? でも、たぶんわたしの方が若いし、それに結構かわいいでしょ? 前は旅人さんにいっぱい告白されたり、贈り物も──」
「悪いっすけど」
自分は力になれない。なぜならば──。
「
目を瞠るアンナの脇を通り過ぎ、スタニクは空き家の一つに足を踏み入れた。
室内は荒れていた。陰気で埃っぽく、横倒しの椅子や飛び出たタンスの一部がスタニクの邪魔をする。それほど急いで集落を出たかったのだろうか、食卓には腐った判別不明の物体まで残っていた。
身一つで命からがら逃げ出したみたいに散らかった部屋、そして不自然に多過ぎる置いていかれた荷物。違和感を感じたスタニクはさらに奥へと進んでいく。
寝室も、今朝まで寝ていたとばかりに毛布がめくられたままだった。床には棚から落ちたであろう数冊の本と、よれて盛り上がったラグが横たわっている。
ぐるりと周囲を見回し、次いでスタニクは腹這いになった。ベッドの下に手を突っ込み、触れたものを引っ張り出す。
「──は?」
思わず息が漏れた。暗がりにあったのは、記憶に新しい乳白色の軽やかな手触り──ハーピーの羽根だった。
「あれ、落としちゃってた? それ、わたしが集めたの」
背後から少女特有の甲高い声が届く。硬直したスタニクは縫い留められたように動けない。脳内に耳障りな警鐘が響いていた。
「この前、余所の村が一つ潰れちゃったの。だから今度はトーハから持ってくることになったの。一気にたくさん移動したから羽根もいっぱい落ちちゃって……拾うの、わたしの仕事だから大変だったあ」
アンナは無邪気な笑い声を上げた。その屈託のなさに鳥肌が立つ。
「勿体ないから寝具と枕に入れてあげたのに気に入らないんだって。それで『生贄』になっちゃった。でもしょうがないよね。
この場にもう一人増えたことをスタニクは察知した。アンナよりずっと大きく、濃くて重い雰囲気を纏う何者かが後方にいる。
「だからスタニクさんも要ーらない♪」
ミシ、と床板が軋んだ。反射的に身を引くと、それはスタニクの鼻先をすり抜けてベッドを叩き割った。ぱっと白く染まる景色。破けた枕から飛び散った膨大なハーピーの羽根は、所々赤黒く汚れていた。
「──ッ!」
剣を振り下ろしたのは大柄な男だった。続けざまに分厚い刃先が髪を薙ぎ、スタニクも腰元を探る。紛れもない殺意を突きつけられたせいか指先が震えた。
男がもう一度振り被る。咄嗟に構えた隊支給の剣に衝撃が走り、スタニクは歯を喰いしばった。壁紙の一部になりそうなほどの力だ。上から重力で圧され、膝が崩れそうになる。
──その時、彼は気づいた。自分の持つ剣と交わる相手のそれが全く同じ形であることに。
「……ジェ、ス……?」
剣の向こう、その顔は見知った同僚のものだった。スタニクと同じツェルンの衛兵で、昨年見回りから戻らなかった行方不明者の一人である。
「よおスタニク……久しぶりだな……!」
ジェスと呼ばれた男は攻撃的に唇を吊り上げた。顔色は冴えず、目の周りもどす黒く落ち窪んでいる。意気揚々と出発したあの姿が嘘みたいだった。
口の端を引き結び、スタニクはジェスの腹を蹴り飛ばす。ぐらつく巨躯を押し退け、柄で砕いた窓から脱出した。
「ジェス、お前っ……何でここに!?」
「そりゃ
すぐさま追いかけてきた一撃が再びスタニクを襲う。鍔迫り合いの中、ジェスは悲痛な小声で囁いた。
「頼む、頼むよスタニク、抵抗しないでくれ……」
「ンなこと言ったって……! だったらお前が引けよ!」
「っふざけんな! これ以上っ……これ以上オレ達から犠牲を出すわけにはいかねえ!」
「はあ!? 攻撃してんのはお前だろ、犠牲って──」
宣言通り猛攻は止まらない。受け止める手首が痺れ、スタニクはあまりのむかっ腹に声色を裏返らせた──が、その表情に言葉を失った。
「お前を……お前を殺さないと、オレが『生贄』になるうぅ……!」
ジェスは泣いていた。大の男が顔中皺くちゃに歪め、子供のように大粒の涙を流していたのだ。
呆気に取られるスタニクの視界の端に不気味に微笑むアンナがいた。飼っている虫同士の小競り合いを眺めるような目つきだ。およそ子供らしくない様にスタニクは身震いする。
誰も彼も正気じゃない。
「ううっ、オレが、帰らなくても……だ、だれも、様子見に来なかったくせにぃ……オレを、ひぐっ、見殺じにしたくせにぃ……」
「それ、は……」
「せぎにん、とって……死んでくれよォオオ!」
涙声で吠えたジェスを突然影が覆った。上空から降った風を叩く羽音に、スタニクは天を仰ぐ。
「ケルルルル! ケルルッ!」
「ギギッ、ギッギッ」
「ギャァァアアアッ!」
無理矢理人間のパーツを埋め込んだような、めちゃくちゃな形相の女達が飛びかかる。次々と鉤爪が突き立てられ、ジェスは身悶えして剣を取り落とした。
「あああ! イヤだっ、イヤアアアアアア!」
ハーピー達は宙吊りの獲物を運んでいく。しかし我慢できなかったのか各々が肉をついばみ始め、絹を裂くような悲鳴が木霊した。
「ジェス! このっ……!」
スタニクは柄を肩の高さに持ち上げた。投擲の瞬間、別のハーピーに強かに翼を打ちつけられる。傾いだところへ爆音の絶叫を浴びせられ、平衡感覚を失った。生気のない髪が肌にまとわりつく感触だけがやけにはっきりして気持ちが悪い。
皮膚に何かが刺さり、スタニクはがむしゃらに剣を振った。耳鳴りが酷くてわけがわからなかった。
──不意に、一筋の風が耳を掠める。
「ッギ!」
直後、眼前でハーピー達が肉片になった。
◆ ◆ ◆
時は少し遡る。
「ほれ、これでも飲んで」
「ありがとうございます」
老人が卓上にマグを置く。ルシュは礼を述べつつ、ちらりと宿屋の玄関を見やった。
胃がざわざわとして落ち着かない気分だった。お互いに目の届く範囲にいなかったことは多々あれど、ここまで不安に駆られたことはない。一体どうしたのだろうと無意識に腰元へ手が伸びる。
小型のナイフが一本、相棒の銀の短剣が一本、そして──彼から託された三本目がある。ルシュが故郷を旅立つきっかけ、傭兵になった理由を持つその刀身が熱を発しているような錯覚に陥った。どうやら余程身体が冷えているらしい。湯気の立つミルクを呷ろうとして、ふと止まる。
隣のニシェルがルシュを見つめていた。マグに手をつける様子もなく、椅子から飛び降りてズリズリとテーブルの下に仕舞う。ルシュも一つ頷いて席を立った。
「すみません、少し外に」
「あれェ、お姉ちゃん心配か? 畑はすぐそこだから、じき戻ってくるよ」
止めようとした老人に曖昧に会釈してニシェルの後を追う。足がもつれそうだった。
「──坊ちゃん達。どこ行くの?」
扉の先には鍬を携えた女と、その両脇を固める集落の面々がいた。芙蓉を畑に案内した人物だ。なぜか彼女はルシュの雇い主を連れておらず、何が面白いのか目一杯破顔している。
「……フヨウさんは? まだ畑に──」
言いかけてはっとした。わずかに漂う鉄錆の臭いと、女の鍬を染める赤い液体に。
「ギャァァアアアッ!」
「──!」
ルシュとニシェルは同時に動いた。入れ替わったフェリアドールが宝石の瞳を煌めかせ、突き上げる暴風にのけ反った人々の間を突破する。
「なんだ今の風っ!?」
「ただの子供じゃないわ! 捕まえてっ!」
断末魔の轟いた方角へ向かっていると、所々にあの羽根が落ちていた。既視感のあるそれにルシュはぐっと土を踏み締める。
「あああ! イヤだっ、イヤアアアアアア!」
「ジェス! このっ……!」
男の喚き声と複数の羽音が響き渡る。襲撃されるスタニクが前方に現れ、妖精から突風の塊が放たれた。
スタニクの前でハーピー達が細切れる。ルシュは地を蹴り、彼の後ろ首に迫る別の一団を仕留めた。短剣に抉られた首から迸る体液が雨のように降り注ぐ。
二人は、座り込むスタニクを両脇から抱え上げた。
「立ってください」
「捕まったらまずいわよ」
「あ……あっ? ちょっ、待っイテッ!」
焦れたフェリアドールが尻を蹴る。近づいてくる怒号と足音から逃れ、三人は畑のある北側へと駆けた。
◆ ◆ ◆
「フヨウさん! フヨウさんッ!」
人気のない場所にルシュの声が溶けていく。あちこちに呼びかけてはその度に捜し人の不在を悟り、少年は唇を噛み締めた。
大人しそうに見えて、結構感情的なところもあるんだな。スタニクは肩で息をしながらぼんやりとした感想を抱いた。
「ねえちょっと、これ」
フェリアドールが畑の一角を指差す。風で土を払うと、そこには潰れた一輪のダリアが打ち捨てられていた。
「ニシェルがフヨウにあげた花よね?」
「……はい……」
ルシュがぎこちなく拾い上げた。あのフォーマルデコラティブが見るも無残に崩れており、奥歯がギリリと耳障りな音を立てる。
「……ここで、何かあった」
少年は、そう確信していた。あれほど喜んでいたものを落としたことに気づかないはずがない。
ルシュへの気遣いだってそうだ。いつも他人のことばかり、彼女がそういう人間だとわかっていたはずなのに。こんなことなら無理にでも離れるんじゃなかった。
「でしょうね。ハーピーがいる時点で大体の予想はつくけど。問題はフヨウが今どこにいるのかってことよ」
「……ジェスが連れていかれた方で間違いないみたいっす。あんな芸当、魔術師以外にできなくないっすか」
スタニクが顎で示した集落の奥の山に、不格好な岩の棒が何本も生えていた。それは山並みの背景にそぐわず、人工的で異質な存在感を放っている。
その近くには赤い煙が立ち上っていた。衛兵として歴の浅いスタニクが初めて目にする狼煙。隊の規則で緊急事態に発射されるそれは、事なかれ主義の傍観者を煽るような毒々しい色合いだが──彼に恐れる理由はない。
「どうやらウチの隊長も捕まっちまったみたいで。ハハ……んっとに手のかかる上官っすよ」
「顔、笑ってないわよ。口の減らない人間ね」
「お嬢さんもめっちゃ喋るじゃないすか。目の色そんなだったっけ?」
フェリアドールの冷やかしも起爆剤の一種だった。怒りか高揚か、全身が不可思議な痙攣に襲われる。今なら何でもできそうだと、自分を見失いそうなくらい凶暴な万能感だった。
底光りする両眼で暗い山を見据えるルシュとスタニクを、フェリアドールが満足そうに笑う。
「じゃ、二人とも行きなさい。私はここに残って──あのクソ鳥を片付けるわ」
性懲りもなく湧いて出たらしい。ひらひらと落ちてくる忌々しい羽根に掌を向ける。そこから躍り出た巨大な竜巻を合図に、二人と一人は一直線に駆け出した。
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