第39話 友達②
トリムとエンリルの家に招かれた芙蓉達は、心尽くしの夕食を終え、口当たりの柔らかなお茶を啜りながら団欒に興じていた。
「うーん……」
膝上で舌を出すエンリルをじっと覗き込む。左に比べて少し陰った琥珀色の右目。体毛の隙間に隠れている一筋の古傷も含め、いくら魔力を流しても回復した様子はない。
「クゥン」
「んわ、あはは。ごめんね、飽きちゃったね」
鼻頭をぺろりと舐められて、芙蓉はエンリルを床に下ろした。すると今度はルシュの周りを徘徊し、撫でられて満足そうに目を閉じる。この数時間で慣れたのか、彼はトリム以外にも随分近づいてくれるようになった。
「他の傷は治せたと思うけど……ごめんなさい、目は私じゃ難しくて」
「いいえっ! ありがとうございます、痛くなくなってエンリルも喜んでます」
勢いよく首を振ってトリムは笑った。
エンリルの被毛の下には怪我がたくさんあった。どれもそう深いものではないので芙蓉のポーションが効いたが、普通の生活ではまず負わないほどの数。ぎょっとした彼女に、トリムは「ぼくの仕事のせいです」とうなだれた。
この国では都市や街の富裕層の間でペットを飼うことが流行しており、近年は特にその需要が鰻登りらしい。それ故、ブリーダー業を生業とするアイルズには日々注文が殺到。とはいえ集落の人手は限られているので、ブリーダーのパートナーであるエンリルらが同種への躾を手伝うのだという。
その過程で噛みつかれたり引っ掻かれたりと、彼らには生傷が絶えない。少年がポーションを求めていたのはこのためである。
「うち、両親がいなくて、家族はエンリルだけなんです。だから未熟なぼくをいつも助けてくれて……この目も、昔魔物に襲われた時、ぼくを庇ったせいで視えなくなったんです」
「そうだったんだ……」
「ぼくの方が先に生まれたけど、ふふ、今はもうエンリルの方がよっぽどお兄ちゃんみたいです。……できるだけ長く、ずっと一緒にいたいなあ」
幼さの抜けきらない指先が遠慮がちに傷痕を労わる。当の本人は素知らぬ顔でくわっと欠伸をした。
話を聞きながら、芙蓉は己の無力さを痛感した。こんな時、自分がエウリヤナだったらいいのにと思う。完治させられるかどうかはわからなくても、ユニア一名高い神職である彼女は最良の結果を与えられるだろう。
逸る気持ちが芙蓉を押し潰していく。早く一人前の魔術師になりたかった。
◆ ◆ ◆
「泊めてくれてありがとう、お世話になりました」
「こちらこそ! ぼくも家に人がいてくれて楽しかったです。ね、エンリル」
「ワンッ!」
翌朝、芙蓉達は集落前の交差路でトリムとエンリルに別れを告げた。彼らはこれから丘の上へ、日課である散歩に行くらしい。
「道中気をつけてくださいね。まだ魔物がウロウロしてるみたいなので」
「了解、注意して行くね。トリムくんも気をつけて」
「はい、今日はちょっとエンリルにも我慢してもらいます。ルシュくんもまたね」
「うん。トリムも元気で」
似通った大人しくて控えめな性質に親近感を覚えたのだろう、歳が近い少年二人はすっかり打ち解けている。敬語のないルシュの口調が新鮮だった。
何度も頭を下げながら丘を登っていく一人と一匹に手を振って、芙蓉は「そういえば」と笑う。
「エンリルくんもそうだけど、猫もたくさん懐いてましたね、ルシュくんに」
昨夜、トリム邸で世話になっていた時のこと。やにわに窓が軋み、その音に振り返った芙蓉とトリムは驚愕した。闇の中、窓の外に光る両眼がいくつも並んでいたからだ。おまけにじっとルシュを見つめ、恋しそうに細く鳴くのである。
見かねた当人が近づけば、待ってましたとばかりに首や背を擦りつけてマーキング。ルシュはされるがまま、慣れた手つきで一匹ずつ撫で回してやり、首尾よく解散させていた。
またもふもふに想いを馳せているのだろう。心底羨ましいといった風な芙蓉に少年は苦笑する。
「生まれた時からそうなんです。たぶん、俺の血のせいです」
初対面時の印象はあながち間違っていなかったらしい。芙蓉がロシアンブルーを連想した通り、彼の獣人としての血は猫のものだという。それは半獣人同士の番である両親から受け継いだそうだ。
「だからあんなに身軽なんですね。なるほど、猫から仲間だと思われてるのかあ」
「かもしれないですね。たまに昼寝場所とか餌をくれる人のこととか教えてくれます」
「エッ……言葉も通じる……?」
「全部が全部じゃないですけどね。なんとなく雰囲気で聞き取れるくらいです。おかげで猫捜しの依頼は得意でした」
「うわー! 確かにそれはそう! 猫の友達いいな~~~」
つまり獣人たるロッドウォルフ達ならば狼と意思疎通ができてもおかしくない。なんてメルヘンチックな特性なのかと、芙蓉は不格好に口笛を吹いた。音は鳴らなかった。
いいなあ、と繰り返す芙蓉にかすかな笑みを浮かべ、ルシュは短剣の柄を握った。完全に自分達を無視しているとはいえ、今もすぐ傍を魔物が通り過ぎているのだ。彼女に何かあってからでは遅い。
ルシュには未だ何か引っかかる、ぼんやりとした疑問が残っていた。狙われないに越したことはないけれど、隣を歩く雇い主も言うなれば魔力溜まりである。これだけの数の魔物が全て目の色を変え、彼女よりも優先するそれはどれほど立派な代物なのだろうか、と。
「……い! お────い!」
「ん?」
前方からの騒々しい車輪の音に二人は足を止めた。速度を落とした馬車の上で、筋骨隆々の男が馬鹿でかい大剣を振り回している。その腕にはギルドのバングルが嵌まっていた。
「こんにち──」
「子供二人で大丈夫か!? 襲われてねえか!?」
「へっ?」
「見たところ傷はねえみてえだな……オレらが戻ってくるまでこの辺りで待てるか? いや、連れてった方がまだ安全か?」
「まあそうだな。馬車ン中にいりゃ大丈夫だろ」
「よし、じゃあ乗れ!」
「え、あ、あの、すみません、何がどうなって……?」
有無を言わさず引き込もうとする男達に腕を突っぱねる。緊張を孕んだ彼らの真剣な表情と、あまりにも脈絡のわからない話に腰が引けていた。
「向こうから来たってことはアイルズに寄ったんだろ? まだ無事だったのか?」
「無事?」
「知らねえか、じゃー運がよかったな。いや昨日とんでもない魔物が出てよ、ヨーヨー鳴くすげえデカい樹みてえなやつだって。ウジャウジャ魔物引き連れてやがんの」
「オレらこの先の町のギルド員なんだけど、そいつがエフランからアイルズの方に向かってるって連絡が来てな。急いで馬車飛ばしてきたんだよ」
「──!」
胸に過ぎる少年と犬の姿。芙蓉とルシュの視線がかち合い、二人は同時に叫んだ。
「っ乗せてください!!」
◆ ◆ ◆
壊された小屋、悲痛な鳴き声を上げる動物、灰色の煙が立ち昇る家。軒並み破壊されたアイルズは壊滅状態となっていた。
小さな呻き声が木霊する集落の中を、一匹の魔物がふらついている。よろよろと覚束ない足取りのそれは、あばらの浮いた痩躯を引きずりながら息を切らしていた。忙しなく呼吸する度に皮が萎んで骨に貼りついていく。
やがて「カッ」と喉を詰まらせ、力尽きた魔物がどうと倒れた。開いた口からは色のない舌が投げ出されていた。
「なんだこりゃあ……」
馬車を降りたギルド員が呆然と呟く。
辺りには魔物の死体が無数に転がり、集落の敷地を埋め尽くしていた。どれも骨と皮ばかり、眼球までも枯れさせるほど極端に痩せ衰えている。まるでミイラのような異様な様相に一同は言葉を失った。
「引き連れてた魔物ってこれ……!?」
「死に方も何かおかしいな……」
「おい! こっち生きてるぞ!」
ギルド員の一人が半壊した家屋から声を張る。我に返った芙蓉達は、駆けつけたエフランからの応援と合流し、散開して生き残りを捜した。
「フヨウさん! 怪我人がいます!」
「了解です、診ます!」
「すげえ力持ちだな、坊主! ちょっと手伝ってくれ!」
「はい!」
結果、集落の面々は大半が生きていた。というのも、件の脅威とされる巨大な魔物達は集落を通り抜けただけで、彼らを攻撃しなかったらしい。一部ミイラ化しかけている者もいたが、負った怪我の大半は建物の倒壊に巻き込まれたためで、重傷者もほとんどいなかった。
(人間はそんなに襲われないけど魔物はミイラ化してる? 魔物の生命力みたいなものを吸い取るから従えてるのかな。一体どこに行こうとしてるんだろう……)
魔力による治療を行いながら、芙蓉は釈然としない思いを抱えていた。昨日から挙動のおかしい魔物達、現れた樹木のような魔的生物、精気を吸い取られたような奇怪な現象。仮定ではあれど、一連の原因は例の巨大な存在にある気がしてならなかった。
「おお……嬢ちゃんすごいな」
「ありがとうございます。あの、トリムくんとエンリルくんはどこにいるかご存じですか」
回復した腕をさすった老人は「そういや見てないな」と首を捻った。まただ、と眉間に寄った皺を揉んでため息を飲み下す。誰も彼もが自分の身を守ることに手一杯で、彼らの行方を知らなかった。
真っ先に訪れた家はもぬけの殻、少年と犬だけがずっと見当たらない。ギリリと歯噛みしたそこへ、周辺を見回っていたルシュが戻ってくる。
「住人はほぼ回収できたと思います。ただ、やっぱりトリムとエンリルは見つかりませんでした」
「そうですか……なら丘の上に行ってみましょう。もしも散歩の途中だったら──」
皆まで言う前にルシュが頷いた。芙蓉はギルド員達に言付け、短剣片手に先導する彼の後を追う。
丘へと続く集落沿いの道には、息絶えた魔物達が道しるべのように横たわっていた。その合間に規則正しく刻まれた大きな跡。人間二人分もありそうなそれは、何か重いものを振り下ろしたように地面を抉っている。
(足跡みたい……)
芙蓉はゴクリと息を飲んだ。嫌な想像ばかりが膨らんで、背筋を冷たい汗が流れていく。
その時、走る二人の頭上にふっと影が射した。見上げれば、宙を舞う干からびた複数の小人。丘の上から転がり落ちてきたそのゴブリンを跳ね飛ばすと、ルシュは芙蓉を掬い上げて一足飛びに駆け上った。
慌ててしがみついた芙蓉のすぐ脇を、人形のように無機質な肢体が墜落していく。造形が変わるほど圧縮された禍々しい顔の数々。一つ、また一つと、眼下の緑の野原に大量の骸が積み重なっていく様を無理矢理視界から追いやった。
「ルシュくん、ありが──」
程なくして到着した丘の天辺。ルシュから降りようとした芙蓉は、瞠目して立ち尽くす少年に気づいた。瞳孔が開き、黒々とした円が彼の感情を主張している。
思わず釣られ、その眼が指し示す方向へ顔を向け──喉から空気のような音が漏れた。
「……あ……」
秋色の花弁の香りがそよぐ一面の花畑。魔物の死骸に取り囲まれた中央に極大な樹木が
ぬらりとした妖気が漂う魔物だった。一切合切を根こそぎかき集めてきたような、ぐちゃぐちゃでムラのある魔力を溜め込んでおり、そのせいかわんさと生い茂る葉は濁りきった色をしている。それらがカサカサと風に吹かれる響きは虫の足音にも似て、訳もなく不安になるような不協和音だった。
樹は何重にも絡み合った太い縄みたいな根を幾本も生やし、大地を見下ろす己の体躯を支えさせていた。腰を折るような人間染みた仕草にじっとりと汗が滲む。存在感とは裏腹に敵意を感じないが、かえってそのことが不気味でならなかった。
(何をそんなに見ているんだろう)
樹木の魔物は微動だにしない。おそるおそる視点を移動させると、不意に鮮やかな赤色が目に飛び込んできた。ぐっしょり濡れて重たそうに首を垂れる花、地表を伝ってきたその源は──。
「トリム、くん……?」
芯の抜けた声がぽつりと零れる。ピクリと反応した樹が振り向いた瞬間、芙蓉の内で何かが弾けた音がした。
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