第8話 道しるべ

 四輪駆動の幌馬車は予想していたより快適だった。寝不足気味の芙蓉でも酔うことはなく、むしろ些細な振動がゆりかごの如く眠気を誘う。

 大神官を始めとする車内の人々は、何度も白目を剥いては我に返る芙蓉に笑いを嚙み殺していた。


「ふ、フヨウ様、ご気分はいかがですか? 体調が優れないようでしたら、ンフ、え、遠慮なくおっしゃってくださいね……っ」

「っへ!? あ、はい! 大丈夫です、ありがとうございます。すみません、あんまりにも乗り心地が良くて眠気が……」

「それはよかった。ここから馬車での移動が続きますから、少しずつ慣れておいてください」


 エウリヤナが含んだように微笑む。芙蓉は一瞬固まり──瞬時に馬車の外へ目を向けた。

 馬の蹄が凹凸のある地面を蹴りながら進み、跳ねた小石が車輪に弾かれている。何の変哲もない馬車の運行風景だ。


(……違う。地面がデコボコで石もあちこち転がってるのに、


 馬車に取りつけられた緩衝装置があるとはいえ、地面に空いた穴や石は確実に車輪と接触しているはずだ。じっと目を凝らす芙蓉の隣にエウリヤナが顔を覗かせる。


「何かわかりましたか?」

「いえ……ただ、ここまで衝撃がない理由は何だろうと思いまして。おそらく魔術で……何だろう、地面を均してるとか……?」

「ふふ、正解です」

「えっ!」

「詳しく言うと、車輪に私の魔力を纏わせて、地面と接する瞬間に周囲の土を吸い寄せて穴を埋め立てているんです。小石は逆で、魔力を流して砕いています。こうすれば魔術で大々的に道を整備するよりも、必要な時に必要な分の魔力だけで進めますから」

「なるほど……!」


 目から鱗が落ちた気がした。一方的に流すものだとばかり思っていた魔力を吸い寄せる方向に使うなんて、考えたこともなかった。


「私、魔力は流して使うものだって思い込んでました。こういう発想力とか想像性とか、示現性と行使力の他にも魔術に必要な要素はたくさんあるんですね」

「そうですね。魔術の才能だけなら示現性と行使力がものを言いますが、そこから更に飛躍できるかどうかはその他の要素も必要不可欠です。属性が割れてしまえばおおよその魔術効果は予想できてしまいますから、応用や奇抜な発想は相手の思い込みを欺けます」

「属性……そういえば神父様にお見せした時、私は地属性だと言われました。草がこう、ニョキッと伸びて」


 エウリヤナは鷹揚に頷き、「私も地属性です」とアルカイックスマイルを浮かべた。主に自然環境や地を通して育つ植物等に働きかけることができる力で、ユフレが地属性を司るため、ユニア出身者は彼と同じ属性を持つ者が多いという。


「属性は他に火、水、雷、風、氷、そして何にも属さない全くの無があります。地を入れて全部で七属性ですね。自身の適性が一番高い属性の魔術ほど、消費魔力を少なくしたり威力を高めたりできます」

「ということは、逆に適性がない属性は魔力が大量に必要になったり、発動できても威力がそんなになかったり、そもそも発動自体できないこともある……ということでしょうか?」

「ええ、おっしゃる通り。練度を高めればどの属性もそれなりに扱えるようになるとは思いますが、やはり適性は魔術効果に直結します。可能な限り、得意属性を第一に極めるといいでしょう」


 芙蓉の魔力が水を増やしたり炎を生み出したりすることができなかったのは、単純に適性が地属性であること、そして練度不足のためだったらしい。通りで食べ物がおいしくできたわけだ、と芙蓉は心底納得した。


「すみません、無属性はどういう魔術効果なんでしょうか」

「これといった魔術効果を持たない属性ですね。強いて言うなら魔力操作技術が最も優れる適性でしょうか。どの属性の魔術もそれなりにこなせるので、器用貧乏に陥りがちではありますが……ただ、私は無属性の相手が一番恐ろしいです」


 常に漂わせていた気品を打ち消し、エウリヤナの眼差しが鋭く研ぎ澄まされる。歴戦の戦士のような気配に中てられ、芙蓉の背に一筋の悪寒が滑り落ちた。


「どの属性もある程度こなせるということは、適性の判別が難しいということ。火の玉がぶつかってきたと思ったら、次の瞬間には大地が割れたり、はたまた雷が落ちてくるかもしれません。そしてこの優れた魔力操作技術に発想や創造が加われば、属性の垣根を超えた固有の魔術をどこまでも追求できる。すなわち、未知の魔術がどこからどうやって飛んでくるかわからないのです。魔術効果を見抜けないまま、対峙した瞬間にあっさり殺されても不思議ではないでしょう」

「……!」

「──と、言いましたが」


 再び大神官のベールを纏ったエウリヤナが、悪戯っぽく片目を瞑る。


「そもそも魔術師の才を持つ者が少ない中で、さらに無属性に突出している者は非常に稀なのです。無を司るヘファネス神の国であっても例外ではなく。知識として知っておくこと、常に危機感を持っておくことは大切ですが、人生において出会わない確率の方が高いでしょう」

「あああ……よかった……」

「ふふふ、怖がらせてしまってごめんなさい。私が魔術学院にいた頃も無属性の使い手はいなかったので、もしも芙蓉さんが入学して出会えたら、こっそり魔術効果を研究させてもらうのもいいかもしれません」


 芙蓉は何度も首を上下に振り、頭の中のメモに『無属性 貴重』『魔術効果 研究 こっそり』と書き残した。


「あの、大神官も魔術学院に通われていたんですね。どんなところなんでしょうか」

「ああ、そうでした。行き方も含めて、さわりだけでも説明しておいた方がいいですね」


 横からフリウスが羊皮紙を取り出し、丁寧に開く。

 そこに描かれていたのは地図だった。国と思しきいくつかの大きな塊とその周囲を囲む海、そして海上に浮かぶ数え切れないほどの小さな島々。さすがに現代のものより精密さは劣るが、それでも河川や山の起伏等が緻密に記載されており、一目見て世界の様相がわかる。


(電化製品がなくてもちゃんと作れるんだなあ……ううん、ないからこそ頑張ってここまで仕上げたのかも)


 羊皮紙の手触りに浸る芙蓉の前に、細い指先がトンと立てられる。


「ここが現在地です。あなたのいたハイマの村から出発し、今は都市ネレイを目指しています。そこで私達は一旦お別れとなります」


 エウリヤナ及びクルーガーとスピアーノは、ネレイから神殿のある大都市に帰るという。大神官が何日も神殿を離れるのは本来異例のことであり、芙蓉の出立が急かされたのもそのせいだった。


「先日申し上げた通り、フリウス卿とフレミオ卿があなたの護衛として国境都市までお送りします。各都市には魔獣車があるので、馬より速く乗り継いでいけるでしょう」

「魔獣車!?」

「その名の通り、魔物である獣が牽引する乗り物です。草食で人を襲わない種族が使役されています」


 この世界には魔の存在が跋扈しているが、その全てが必ずしも討伐対象となるわけではない。魔物は動物や植物等が魔力を取り込み過ぎた結果、体組織が変貌したものであり、中には人間に害を為さないそれまでの習性と変わらないままの場合もある。そうした魔物を躾け、荷物や人の運搬をさせているのが魔獣車である。彼らは魔力を取り込んで肉体が強化されているため、普通の動物である馬より速度・持久力共に優れている。

 ただし、魔獣車の設置及び運行にはそれなりの敷地や労力、費用を要する。それが都市間でしか普及していない理由の一つだった。


「国境都市のレイドラから先は、冒険者ギルド所属の傭兵の方を雇っています。彼には何度か神殿関連の依頼をお願いしており、一人とはいえ実力は申し分ありません」

「あ……そうだ、お二人は国内だけでしたね」

「ええ。神殿騎士ということが他国の信者に見咎められると厄介な場合もあり……下手を打てば宗教戦争に発展しかねません。芙蓉さんもあまり神官見習いということは吹聴しない方がいいでしょう」

「は、はい、わかりました」


 ユニアの国境付近から一息に飛んで、エウリヤナの人差し指はとある海上の一点を示した。


「──魔術学院はここです」


 七国の連なる中心に位置する、広大な海に浮かぶ島。隔絶されたようにぽつんと存在するそれには『ガルズルーン』と記されている。


「正式名称はガルズルーン魔術研究機関。あなたが入学する魔術師養成学院はこの敷地内に併設されています」

「海の上……ユニアからだと他の国を跨ぎつつ移動、という感じでしょうか」

「そうですね。隣のモラハドメアを経由するのが最短ではありますが、海路を長く行くことになります。場合によってはその先のルニューで陸路を採った方が安全なこともあるでしょう。傭兵の方にはあなたの体調と意向を最優先するよう伝えておきます」

「ありがとうございます」

「それと、ガルズルーン到着までにかかる時間ですが……ここから国境都市まで約二ヶ月、そこから先は順調に行けたとしても、最低半年程度はかかるでしょう」


 芙蓉は閉口した。天候、情勢、魔物の出現、体調の良し悪し、馬車や魔獣車の乗り合わせ等、考えられる限りでも不安はたくさんある。おそらく野宿も避けられないだろう。屋根の下でしか生活したことがない現代人が、道中彼らの足を引っ張らないわけがない。


「あの……大神官」

「はい」

「何かこう、瞬間移動できるような魔術はありますか? 風属性なら自分を浮かせて飛ばしたりとか……移動を短縮させるようなこと、私でも練習すれば何かできますか?」


 エウリヤナは芙蓉の問いかけをかみ砕くように二、三度瞬きし──やがて思い当たったとばかりに口角を上げた。


「なるほど、道中不安ですか」

「ウグッ……いや、その、まあ、はい……私、旅自体したことがなくて、野宿の経験もないので……皆さんにご迷惑をおかけするよりは、別の方法があればそちらを頑張った方がいいかなと……」


 どんどん俯いていく芙蓉の様子に兄妹騎士は顔を見合わせ、そしてエウリヤナに猛然と首を振った。心得たように彼女は首肯する。


「芙蓉さん、質問の答えですが」

「……はい」

「瞬間移動の魔術は残念ながらありません。一度身体の全てを極限まで分解し、大気中の魔力を通じて移動、その後別の場所で再構築する──理論的にはこのようなことかと思いますが、神術並の膨大な魔力と操作技術が要求されるでしょうし、人間の身体は魔力だけでできているわけではありませんから、実質魔術師には不可能です。今後、ガルズルーンで研究が進めば将来的には実現するかもしれませんが」

「そうなんですね……そのシンジュツというのは、魔術とはまた違うんでしょうか?」

「はい。神術とは、読んで字の如く神が扱う魔術です」


 世界中に遍在している魔力は、天界から降ってきたものだというのが世の中の共通認識である。神々が神術を扱った際、零れ落ちた魔力の残滓が下界に降り注ぐ。そのままでは非常に純度が高く、内に取り込めば毒にもなり得るそれは、地上の塵芥や人々の吐息に晒され、ようやく人間が扱える段階まで。つまり神術は魔術の上位互換的存在であり、魔術はどうあっても神術を超えられない。


「ちなみに風属性なら、おっしゃった通り似たようなことは可能かと。ただし、これも今すぐとなると現実的ではありません。それにあなたの適性は地属性。練度を高めたとしても、実現はかなり難しいでしょう」

「そう……ですか」

「ええ。何よりこの二人がそう思っていないので、私としてはあなたの不安は杞憂に思いますよ」

「もっちろんです!!」


 がしっと力強く手を取られる。反射で顔を上げた先には、興奮しているのか頬を赤らめたフレミオがいた。


「フヨウ様! フヨウ様が旅に不慣れなのは重々承知しております! ですがっ! 経路の下見体調管理野営の準備その他諸々、全て兄と私にお任せください! 万が一フヨウ様がお風邪を召してしまっても、不肖このフレミオが精一杯看病させていただきますので!!」

「私もフレミオも遠征には慣れております。フヨウ様の御手は何一つ煩わせません。ですからどうか、我々をお連れください」


 騎士の皮をかなぐり捨てたフレミオと、固い顔をしたフリウスが真っ直ぐに芙蓉を見つめている。彼らの緊張が伝わってくるようで、喉の奥がきゅうっと締まった。


(会ったばかりなのに、どうしてこんなに気を遣ってくれるんだろう……騎士って皆こうなのかな……わからないけど、でもすごく配慮してもらってるのに、不安だからって突っぱねるの、よくなかったな……)


 かすかに震えるフレミオの手を握り返し、芙蓉は勢いよく頭を下げた。


「すみません、確実にご迷惑おかけすると思いますが……私も早く慣れるようにがんばります。なのであの、先程のことは一旦忘れていただいて、今後ともよろしくお願いします!」

「フヨウ様~~~!」


 感極まったフレミオがぶんぶん腕を振る。と思いきや、何かを感じ取ったのかピタリと動きを止め──御者台からこちらを射抜く鋭利な眼光に身震いした。


「おや、クルーガー卿にも聞こえていましたね」

「ギャー! お説教!!」

「というわけで芙蓉さん、少しずつ練習しましょうか。手始めに今夜は野宿ということで」

「大神官!?」

「え、ええっ!? いえ、大神官はきちんとしたところにお泊りになった方が……っ!」

「──私はお伝えしましたよ」


 眦を緩め、エウリヤナは芙蓉の髪を掬って耳にかけた。まるで母が娘にするような仕草に、芙蓉はこれ以上ないほど目を見開く。


「協力を惜しまず、できる限りあなたを助けると。どんなに小さなことでも構いません。不安なこと、わからないこと、何でも教えてください。……要らぬ苦労をかけてしまう、せめてものお詫びに」


 労わるように頬をなぞる柔らかな手。それはジニアの感触にも似て──クルーガーの静かな説教が響く中、芙蓉は泣き損ねたような顔で心からの礼を述べた。

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