第5話 どうか嘘だと言って
「神官、見習い……?」
「ええ。昨今のこの国の情勢に早急に対応するべく、適性のある将来有望な方を各地から募っています。先日こちらの教会から連絡があり、あなたに魔術の才が見られると。こちらに来るまでにいくつか拝見しましたが、とても素晴らしい。魔道具もなくこれだけのことをやってのけるのは才能に他なりません」
「──お言葉ですが」
絞り出したような声音にエウリヤナが振り返る。彼女越しに、眉根を寄せたジニアが祈るように両手を固く組んでいるのが見えた。
「娘は……娘は最近、頭を打って記憶を失くしています。日常生活にも支障がありますし、ご迷惑をおかけするかと」
「ご心配なく。神殿ではもっと高度な治療をお約束します」
「、娘は魔術学院に行くと……っ!」
「まあ、自主的に勉強なさると。大歓迎です。費用は全額こちらで持ちましょう」
エウリヤナは笑みを絶やさずにジニアの訴えを全て封じ込めた。うなだれる母の姿を見ていられず、芙蓉は唇を噛む。
「フヨウさん、詳しいお話は教会で。ご家族ではなく、あなたに決めていただきたいのです」
一礼し、教会のある方角へ歩き出すエウリヤナに騎士達も続く。芙蓉はジニアの傍に行こうとエリカの手を掴んだが、一体の鎧が行く手を阻んだ。
「大神官にご同行願います」
「あ……」
きりりとした顔つきの女騎士が目の前に立ちはだかる。彼女の無機質な銀の胸当てに情けない自分の表情が映っていた。見たくなくて俯くと、不安げなエリカと目が合う。
「……エリカちゃん、ジニアさんと一緒におうちに入っててもらえる?」
「おねいちゃんは……?」
「ちょろっと行ってぱぱっと帰ってくるよ。ね、ほら、じゃじゃーん! 今日イリスさんにチーズもらったんだ。何が合うか考えといてくれると嬉しいな」
袋をそっとエリカに持たせ、安心させるように髪を梳いて送り出す。二人の合流を確認し、芙蓉は大きく手を振って叫んだ。
「行ってきます! 終わったらすぐ帰ってきます!」
不自然に明るく響き渡る声に、何だどうしたと村人が様子を伺いに来る。ジニアとエリカはきつく手を握り合ったまま、姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた。
◆ ◆ ◆
先導していた騎士が重厚な扉を軽々とこじ開け、芙蓉に入室を促す。礼を述べて足を踏み入れると、深紅の絨毯が伸びた突き当たりで、ステンドグラスに照らされたエウリヤナが微笑んでいた。
「どうぞこちらへ。あなた方は外に。フヨウさんと二人にしてください」
エウリヤナの指示が反響する。四人の騎士達は黙礼し、鎧同士を擦り合わせながら足早に外へ出て行った。芙蓉は喉を鳴らして唾を飲み込み、祭壇へと歩を進める。
神聖な教会の雰囲気に気圧されたのか、まるで水を怖がる猫のように震えている。芙蓉の様子を眺めていたエウリヤナは、一旦視線を背けて堪えたが、しかし──。
「……ふっ、ふふふ……」
「……?」
「ふふ、ふ……あ、あなた、あんなにはっきり挨拶したのに、今から処刑されるみたいな顔ですよ……っ!」
芙蓉の口がポカンと開いた。腹を抱えて眦に涙を浮かべる彼女からは天上人の風格が薄れている。面白いことをしたつもりはなかったが、楽しそうなエウリヤナに水を差せず、芙蓉は目線をうろうろさせて所在なく佇むしかなかった。
「はー……笑ってごめんなさい、落ち着きました」
「あ、いえ……」
「怖がらせたのは私のせいですね。突然来て神官として迎えたいなんて言われたら、誰でも警戒して当然です。ご家族にも悪いことをしました」
繊細そうな指先がスイ、と空を切る。すると、どこからともなく薄桃色の大ぶりな花が現れ、雪のように白い掌へ静かに着地した。柔らかで繊細な芙蓉の花弁。エウリヤナが膝を折り、同じ名前を持つ彼女の髪に優しく差してやると、頬がぱっと花びら色に染まった。
「あ、ありがとうございます……あの、今のは魔術でしょうか?」
「はい。あなたも極めれば造作もなくできるでしょう。何せあなたはそこに至る可能性を確実に秘めています」
妙に確証のある口振りだった。首を傾げる芙蓉を余所にエウリヤナは杖を振りかぶり、力強く床を打った。
音でも打撃でもない、不思議な衝撃が身体を駆け抜ける。体内の血が攫われていくような、かと思えば全身の穴を全て塞がれたかのような。
(膜が張ったみたい)
教会全体に上空から一枚ベールをかけたような感覚。しかし物音一つないどころか、景色が変わった様子もない。辺りをぐるりと見回す芙蓉の肩に細身の手が置かれる。
「込み入った話なので、防音も兼ねた結界を張りました。気分はどうですか。息苦しくないでしょうか」
「はい、大丈夫です」
「まあ。人によってはかなり影響の強いものですが……ふむ、既に耐性はあるようですね。先が楽しみです」
エウリヤナはにこりと笑って祭壇の中央へ歩いていく。
その先には小さな鉢が置かれていた。エウリヤナが敷き詰められている土を指差し、誘導するように天井へ向けると、焦げ茶色の塊がもぞもぞと動いた。
やがて、発芽した双葉がぴょこっと顔を出す。かわいいなと芙蓉が思ったのも束の間、双葉は瞬く間に苗木へと成長し、あっという間に大量の葉を茂らせた。
次に、人差し指ほどの小瓶がローブの下から取り出された。並々と揺れる透明な液体に小さな粒が二、三個揺蕩っている。エウリヤナはそれを苗木のてっぺんからゆっくりと傾けた。
「これはヤドリギの種です。寄生植物で他の樹から養分を吸い取らないと成長できないので、少々手間がかかるのですが……彼と一番縁深く、密接なつながりを持つ植物なので代用が難しいのです」
液体が苗木を伝っていく。エウリヤナは空になった小瓶をしまい、芙蓉に向き直った。
「──お待たせしました。本題に入りましょう」
振り返った顔つきは大神官のそれに戻っていた。
「最初に言っておくと、先程お母様に申し上げたことは半分本当、半分嘘です。あなたを魔術学院に推薦はしますが、神官見習いは表向きな職務で、担っていただくのは別の役割です。……いえ、担っていただくというよりも、残念ながらあなたに選択肢はありません」
不気味な音を立ててヤドリギが苗木に巻きついていく。不吉な予感に胸の奥がざわめき、芙蓉は半ば無意識に耳を塞ごうとした。
「森下芙蓉さん。あなたはその任務を全うするためにこの世界に召喚されたのだから」
──音が、止んだ。
息が上手く吸えなくて、喘ぐように呼吸する。口内がカラカラに干上がっていた。何度も唾液を飲み下しながらどれだけ反芻しても、異なる言語で話しかけられたかのように、芙蓉にはまるで理解ができなかった。
ようやく紡げた問いかけは、消え入りそうなほど弱々しかった。
「なんで、名前……それに、しょ、召喚……? 意味が、」
「──理解など不要」
芙蓉は今度こそ耳朶を押さえた。何重にも重なった声の波が、結界がたわむほどの威力で反発し合う。
「この世界、七国の泰平のため、『予言』の成立を阻止すべくお前を今代の『代闘士』とした」
苗木を吸い尽くしたヤドリギが動き出した。絡み合い、交差し、とぐろを巻いて、人間の五体のようなものが形成されていく。中央上方の大きな球体部分には左右対称の光る空洞が二つ、そしてもうひとつの空洞から一色に束ねられた声が発せられた。
「神に代わる闘士、神の名代だ。これ以上の栄誉がどこにある。お前はただ────誰だ、お前」
訝しげに問われ、芙蓉はもちろん、エウリヤナですら怪訝そうに眉を吊り上げた。
「どういう意味です? 彼女はあなたが召喚した異世界の──」
「僕が選んだのは別の奴だ! 火とまじないを操るミコとかいう神仕え! これじゃない!」
ヤドリギ人間が吠える。発露された感情が結界にぶつかり、爆弾の如く弾けた。
「ああ、くそ、顔と名前が同じ奴が他にもいたなんて! もう後がないというのに!」
ザワザワと体躯を揺らし、子供の癇癪にも似た絶叫はしばらく轟いた。エウリヤナはひどい頭痛を患ったように片目を瞑る。
ついには葉の先端から徐々に色が失われ、編まれた蔓の奥で輝いていた光が摩耗していき、頭がだらりと垂れ下がった。
「──お前、もういいぞ」
糸が切れたように空虚な言葉だった。肢体から解けた頭部が落下していく。
「何もしなくていい。普通の人間が神仕えより優れている道理がないからな。おまけに毛が生えた程度の魔力操作だ、他の代闘士にも勝てやしない。ユニアも僕も終わりだ────」
大気に溶けるように崩れていったそれは、嘆きと共に跡形もなく消え去った。
静寂が満ちる。エウリヤナは心の底でため息を吐いた。
ヤドリギ人間──もといユフレはユニアの守護神である。もともと神にしては感情の振れ幅が大きい性質だったが、ここ最近は輪をかけて人間のそれに近づいている。ユニアの情勢悪化、他神との確執、力の衰え。それらが日々積み重なり、精神に重く圧しかかっているのだろう。
だが、とエウリヤナは思う。ユフレの事情は芙蓉には関係のない話だ。彼女は異世界の存在であり、ユフレの庇護を受けているわけではない。突然「神の代わりに闘え」と言われ、わかりましたと二つ返事ができるのは、日頃神を信仰し、神託をありがたがるこの世界の人間だけである。
今も立っているのがやっとのような彼女が、到底納得しているわけもなく。
「……彼がユフレ神です。ユニアの守護神であり──」
「もういいって、なんですか」
暗く塗り潰された声が零れる。芙蓉は拳を身体の脇で力いっぱい固め、叫び出しそうな自分をどうにか宥めようとした。
「これじゃないって、どういう意味ですか。私、間違って喚ばれたんですか」
けれど止まらなかった。言葉にできない感情が脳味噌を食い荒らす。視界が赤く覆われていく一方、頭からつま先まで血の気が引いていくのがわかった。痙攣が治まらず、気を抜けば倒れ込みそうになる。
「だ、だったら、今すぐ帰してください。私はここの人間じゃない、地球の、日本っていう国の出身なんです。今ならまだ夢で──」
「いいえ」
その一言に堪えきれず、とうとう芙蓉の涙腺は決壊した。くしゃりと顔を歪め、縋るようにエウリヤナを見る。
しかし、希望は無情にも断たれた。
「芙蓉さん、あなたは帰れません。手違いとはいえ、既にあなたは今代のユフレ神の代闘士として定められてしまった。あなたの魂は現時点でユフレ神のものであり、此度の予言の阻止を達成するまで、場合によっては達成してもこの世界に囚われたままになるでしょう」
止めの一撃が今度こそ息の根を止めた。床に吸い込まれていく芙蓉を、エウリヤナが咄嗟に抱き留める。
「芙蓉さん、聞いてください」
「うぅ、う」
「帰る方法がないわけではありません。時間はかかりますが、予言の成立を食い止めることに誰よりも多く貢献し、代闘士としての役目を果たせば願いが叶えられます。そうすればあなたはこちらの世界での出来事をリセットし、元の世界に戻れる」
「よ、よげん、? でも、しっ、しんじゃったら? わた、わたし、たたかったこと、なんかっ、ない……っ!」
「そうならないために魔術学院で学ぶのです。あなたには才能がある。神が取り違えるほど、本来召喚しようとした別のフヨウさんと同じくらいに!」
「っひぐ、ぅそ、あのひと、かてないっ、て!」
「今はまだそうかもしれません。でも、あなたが育てた作物は嘘をつかない。私は最初からあれほど魔力を操ることはできませんでした。あなたはきっと立派な魔術師になれます」
「でも、でも……っ!」
「現状、道はそれしかありません。理不尽でしょう、不条理でしょう。気持ちはわかるつもりです。ですが、諦めたらあなたは終わってしまう。私も協力は惜しまない、ユフレ神の代わりにあなたをできる限り助けると誓います。だからお願いです、どうか一旦全て吞み込んで、自分のために立ち上がってください」
芙蓉は顔を覆って崩れ落ちた。聞く者の心臓を弱々しく引っ掻くような慟哭が教会中に木霊する。
酷なことだ。誰一人自分を知らない場所で、初めて手にする力を鍛え上げ、神の影として闘うことを強制される。死は許されず、過酷な道程を最後まで正気のまま、たった一度の機会を信じて。それまで神命は至上のことだと、当人の意思は路傍の石なのだと額を延々地面に擦りつけられるのだ。
エウリヤナはやりきれなく思った。彼女のために祈りたい、けれど神は彼女を見放し、聞き届けてくれる存在はいない。自分にできるのは、彼女がこのまま悲しみに溶けてしまわないよう、しっかり抱えていることだけ。およそ神職にふさわしくない力不足に嘆息し、大神官は哀れな子羊を強く抱き締めた。
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